また一つ、幼気な恋を踏みしめて
やはりと言うべきか、
カピバラは可愛かったし、ゾウは大きいぞうだったし、モルモットを抱えた
我ながら結構ちゃんと見て回っていたので、正午を過ぎようと半分程度しか回れず。
一端昼食をとり、その後にこの動物園のメインイベントらしきパンダ含め、残りのアニマル達を見るべく見事一周を果たしたのだ。
いやぁパンダってまじで寝てばっかりなんだな。実はテレビの誇張だとばかり思っていたんだけど全然事実なんだな。
そして四時を過ぎ、それはもう満足した俺達は動物園を後にしたのだった。
「いやー楽しかった。動物園ってのも馬鹿には出来ねえもんなぁ」
「ですわよね! 実は
「そうなん? ちなみに何が一番お気に入りだったん?」
「ホワイトタイガーの赤ちゃんを抱っこですわ! それはもう、白くてもふもふでしたわ!」
確かにあれは可愛かったなー。……あれ、でも獅子原が虎に傾倒して良いんすか?
「それで
「もう少しですわ。……ほらっここ、着きましたわ」
小さくも大きくもない、けれども夕方だというのに人の姿がない寂しげで何もない公園。
こんな何もないところに何の用があるというのだろうか。贔屓の紙芝居屋やチンドン屋でも来たりするんだろうか。
「……懐かしいですわね。ここ、覚えていらっしゃいますか?」
「……え、いや、うーん。悪いけど記憶にはないかなぁ」
「……ふふっ、酷いですわ。あんなにも情熱的なことがあったというのに」
いまいち思い当たりがないなと脳を回して記憶を遡っていると、
うーん思い出せねえ。ここで何かあったっけかぁ? この一年、公園でイベントが異常に多かったからなぁ。
「へい
「えー? そうですわね……。では、こうすれば分かるでしょうか」
直後、何かを思いついたように
この公園で一番目立つ遊具──滑り台の屋根の上に腰を下ろす少女。
……ああなるほど、やっと思い出した。夜だし出来事の方ばかり覚えていたし、場所まではそこまで意識したことはなかったぜ。
「……そういえばここだったね。
「ええ。貴方と
屋根の上から、少しの不満気と満面の嬉しさで見下ろしてくる
あの時はまったくもって察知出来なかったが、今は雷光たる彼女の動きでさえ目視出来るようになった。
そう考えれば、俺も成長したと言えなくもないんだろう。それでも雷一つで感慨深くなる程度、俺とあの人との距離は近くないんだけどな。
「
「……そうだね、それはそうだ。それこそ普通に学生やってたら、高校生と小学生が同じ戦場に立つこともなかっただろうさ」
小さく笑って頷いてから軽く跳び上がり、少女の隣へと着地する。
こうして隣にいることもまた、あの日の出会いがなければあり得なかったことだ。
クラスが同じになった
あの日閲覧魔法を手に入れ、殺人鬼を退け、きまぐれに夜の散歩をしたからこそ生まれた縁。それは俺が
「そういえばさ、結局どうして俺を殺さなかったんだい?」
「あら、前にも言わなかったかしら? 貴方が
ぎしりと怪しげな音を立てながら着席すると、
まあ確かに、最初にそう聞いた気がしなくもないが、あれはあくまでその場のノリでしかないと思ってたんだが。
「……少し身の上話になってしまいますが、実は
「……そうなんだ。ちなみにだけど如何なる理由で?」
「具体的な言葉にするのは難しいですが、まあ強いて挙げるならば……疎外感ですかね。ああ、けれど誤解はなさらないで? いじめられていたとかそういうわけではありませんの」
だって……ねえ? 他人ならいざ知らず、俺はこの剛胆な奏ちゃんを知っているからなぁ。
小学生らしからぬ落ち着きに特徴的なですわ口調に、その可愛さと綺麗のいいとこ取りみたいに端麗な容姿。そして大きなお家で揉まれて培われた鋼の精神。
小学生ながらどれもこれもが一級品。才能もあるがそれ以上に異世界なんて希有な体験にて完成した
これでまだまだ成長余地があるというのだから末恐ろしいものだ。一体この少女は、今後どれだけ人間を魅了していくんだろうかね。
「そう、決して孤独ではありませんでした。話しかけてくださる同級生もいますし友達だっています。家庭の事情で休む機会が多くとも、
……そりゃあ良いことで。俺や
「けれどやはり、どこか遠い存在だと感じてしまう時がありましたの。同い年で同じ教室にいるにも拘らず、少しだけ退屈に感じてしまう……そんな感じでしょうか」
少しだけ寂しそうに、けれどそれを誤魔化そうと笑みを作る
まあ確かに、それだけ色々やってたら精神年齢も他とはズレてしまうだろう。あくまで一端しか知らないが、それでも本来奏ちゃんが背負っている重積など、小学生に抱えられるものではないのだから。
「別に学校に限った話ではありません。
そうかなぁ。あの三匹の忠犬共は最悪家がなくなってもお供してくれると思うけどなぁ。
まあそういうことではないんだろう。俺は人の上に立ったことなどないし、どんなに頭を回そうが
「……ちなみにパイセン……お兄様は?」
「もうぅ、
はあ、そうっすか。ところでその仕草可愛いね。
「──だから
「……そんな風に言われてもね。命を狙われた俺としては、そんな気になれる余裕なかったよ」
「ふふっ、そうでしたわね。確かそう……アーレグレイ、でしたわね?」
「……ダージリンだよ。……あれ、逆だっけ?」
朧気な記憶を頼りに口に出し、それから
「ふふ、ふふふふっ! あー面白いっ! あの日のことは思い出すだけで、それはもうはしたなく笑ってしまいますわ!」
「あーね、あれについてはお願いだから忘れてほしいかなぁって。実はあれ、ネタじゃなくて知ったかだったんだよ……」
「ええ、当然承知ですわ! ですが清々しいほど明白だったからこそ、あの時の
そうは言うがなぁ。いまいちピンと来ないなぁ。
あの時の俺は今よりも遥かに弱くて、圧倒的格上を前に多少は虚勢張ってイキっていたけど面白みは皆無だったはずだし。
……ああでも、そういうのって外から見たらさぞ愉快な道化なんだろうなぁ。
「あの時ほど心が震えたことはありません。何もわからぬ暗闇へと招かれ、この
随分とまあ衝撃的で楽しい思い出のように話すこと。
実際はそんな綺麗なもんじゃない。あの時はただ必死だっただけだ。
知らない場所に拉致されて、その上母を巻き込んだと勘違いし、ただ死ぬのも馬鹿らしいから精一杯反抗しただけ。一言で表すなら、ただのやけくそでしかなかったんだ。
「……そんな綺麗なもんじゃないさ。星は遠くからだから綺麗なだけで、降り立ってしまえばただの地面だよ」
「いいえ、いいえっ。それでもあえて言いましょう。
そんなのは勘違いだと、そう返そうとして──その瞳があまりに曇りなく純真なので気圧されてしまう。
「初めてでしたわ、あんなにもときめいたのは。欠片も信じてなどいませんでしたが、一目惚れというものが実在するのだと嫌というほど理解しましたわ。だって貴方といるだけで、貴方と笑い合うだけで……こんなに、こんなにも心が焼けるように熱くなるのですから」
頰を赤く染め、変わりつつある夕焼けを背に言葉を紡ぐ
いつも大人びている
「──ねえ
それは囁くように静かに、けれども耳の奥まで通るはっきりとした音。
少女から発されたのは、誤魔化しようのない真っ直ぐな告白。俺にとっては、固まるしかない予想外の言葉だった。
「貴方の全てが欲しい。貴方には
「好き、好きですわ。愛しています。だからどうか、この手を取って共に歩みましょう。……嗚呼、やっと言葉に出来ましたわ」
こんな寒さだというのに手袋を外した少女の手。その小ささが、未成熟な幼さの証に他ならない。
「……そんな風に思ってくれてたんだ。意外だったな」
「鈍感ですこと。
「それでもだよ。俺にとって君は、年下の凄いやつって印象しかなかったから」
飾り気のない俺の本音に、
そんな顔をさせたくはないが、それ以上に嘘はつきたくなかったのだ。
「……ありがとう。けど、ごめん。その手は取れないよ」
「……一応、理由を聞かせてもらえないでしょうか」
「うん。好きな人がいるんだ。君と同じで、己の全てを費やしてでも痕を残したいほど焦がれる人がさ」
真っ直ぐには真っ直ぐに。今まで誰にも話さなかった恋心を、
それが誠意だと思ったから。俺なんぞへ真剣に恋してくれた目の前の少女に返せる、ただ一つの誠実さだと何となく思ってしまったから。
「報われないかもしれない。というか多分、あっちは俺のことなぞ眼中にない。何処まで行こうが俺は地を蹲う路傍の石で、あの一輪の花には決して届かないのは分かりきっている。けれど伸ばさずにはいられない。そんな相手が、俺にはいるんだ」
叶わない恋。報われぬ想い。届かない願い。
言葉を紡ぐ度、改めて実感させられる俺と
けれど仕方ない。それが恋というものだ。
「……振られたのは、初めてですわ。
「でしょうね。君の魅力はピカイチだ。俺の心に誰かが焼き付いていなければ、きっとロリコン待ったなしだっただろうぜ」
一瞬、ぎゅっと口を締め、それから元通りに取り繕うように小さく笑みを浮かべる
そんな彼女に一言だけ告げ、屋根から降りて地面へと着地する。
これ以上側にいると、無駄なことを口走ってしまいそうで怖い。どんな事情でであれ、振った側からの言葉なぞ彼女を傷つけるだけの哀れみでしかないはずだから。
けれど
せめて最後の最後まで目を離すまいと、俺よりも強く
「その方に、告白するのですか?」
「ああ。これからしてくるよ。一世一代、自分の全部を費やして挑むんだ」
尋ねてきた
あの先で、俺は彼女に蹴りをつける。
「……非道い人。
「そんなことはないよ。少なくとも、動物園では意外なほどに君一筋だったとも」
「よくもまあ、あけすけもなくそう宣えること。……やっぱり貴方は非道い人、ですわ」
そうだよ。俺はとっても非道い人だ。きっと俺は地獄に堕ちるだろうね。
こんなにも魅力的な女の子の告白を切り捨てるんだ。それはきっと人殺しよりも重く罰せられる、人生最後のモテ期だったんだろうからさ。
──でもごめんね。
そんな潤んだ瞳を見せられても、震えを押さえた声で気丈に振る舞われようとも。
俺の答えは変わらない。今の俺が恋をする相手は、この世界でたった一人だけだ。
「……ねえ
「なんだい?」
「もしもこの後貴方が振られたら、そのときは
……まったく、非道いのはどっちなんだか。
これから告りに行く人へそんなことを言っちゃ駄目だろうに。中身が失敗保証でもキラーパスだぜ?
……ああけれど。そんな強かな
例えそれが間違いだらけの言動だとしても、俺はその行いを否定したくはなかった。
「うん、いいよ。駄目だったら、そのときは俺を
「……二言はありませんのね?」
「ああ。俺、こう見えて嘘は嫌いなんだ」
どの口がと、つい衝動で自分を殴りたくなるのを懸命に堪える。
その願いが叶うはずなどないのに。どんな結果に終わるとしても、今宵を越えたら
「……そろそろ行くよ。帰りは一人で大丈夫?」
「ええ。どうせ迎えは来ますから」
……ああなるほど。お前らに暇なんざ与えても、やることは一つだったわけだね。
「じゃ、また今度」
「ええ、また今度。叶うならば、明日にはお茶でもしましょうか」
小さく微笑む
我ながら逃した魚は大きかったなと思いつつ、直ぐさま切り替え目的の場所へと。
「やっぱり非道い人。あの女が貴方を手放すことなど、あり得ない夢想だというのに」
「……さて。出てきなさい三人とも。いるのは分かっていますから」
すると数秒後、茂みの奥から音を立てて現れた三人の人影が、ゆっくりと
「……いつ気付いたので?」
「最初から、ですわ。いくら本気で身を潜めようが、
「……なるほど。流石です。
にべもなく返した少女に、総意であろう意見を発した中性的な男は苦笑ってしまう。
この主は自覚しているのだろうか。その察知がどれだけ常識外れで、忠誠を誓う者にとって嬉しいことを言ってくれているのかを。
きっと自覚しているのだろう。
三人が本気で協力して姿を隠せば、見つかることなどあり得ないことなどほとんど皆無。事実先ほどまでの
「……
「ええ。お嬢様は最後までお嬢様でしたよ。誇り高く、諦めが悪く、けれども真っ直ぐなお方でした」
だから彼女の
最後まで己を貫いた主を誇ることこそ、彼女に従う最大の礼儀であり忠義だと心得ているが故に。
「……少し泣きます。
「ええ。どうぞ
最も付き合いの長い、最初の部下へと
けれども獅子の叫びは誰の耳にも届かない。音も気配も姿でさえも、三人の部下は決して漏らさせない。
そうして失恋の涙はいつまでも、いつまでも。
胸の痛みは冬の寒さを凌駕し、その涙が涸れるまでいつまでも続いたのだった。
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