いつぞやの夜のように

 逃げるようにあの場を立ち去った俺は、男へ戻ってから帰宅した。

 流石に母さんには怒られたが、説教は碌に頭に残らず、その後とろうとした仮眠すら胸のもやもやに邪魔されて満足なこなせず寝転がるだけだった。


 考えても考えても、心の中は思うようにまとまってくれない。

 そこまで考える必要もないはずなのに、正体不明の燻りに答えを付けられない。

 

 俺はどうするべきなのか。今日の昼の失敗は、果たしてどう受け止めるべきなのか。

 答えは出ない。出てくれない。悩んでも悩んでも、一向に泥濘みに足を沈んでいくみたいだ。


 だからしばらく経って、窓から見える空が暗くなってから、ようやく俺は一人で悩むのを諦めた。

 夕飯も食べずにあるところへ電話し、家を飛び出して近所の公園のブランコに座ってぶらぶらと待ち続けていた。


「来たぞ……今度は男か。変装の意味もあるんだろうが、いちいちせわしないやつだな」


 呆れの声を出してブランコに近づいてきた、黒いスーツを着こなす長身美人。

 どうやら本当に一人で来てくれたらしい。尊重してくれるなんてありがたいことだよ、本当に。


「やあつくちゃん。どう調子は?」

「抜かせ。貴様の置き土産のせいで絶好調だ。まあもっとも、尋問はなぎの担当だがな」


 隣のブランコに座ったつくちゃんは、こちらを睨みながらそう答えてくれる。

 尋問ね。なぎくん、あんなに中性的で優しそうな顔して結構鬼畜そうだよね。街中で見かけたら女の腹殴ってそうとか、そんな風評被害食らいそう雰囲気醸してるもん。

 ……まあいいや。あいつの身に関してはどうでもいい。五つにバラすなら遠慮なくどうぞって感じだ。


「それで何の用だ。私達も暇じゃない、今日の事後処理が忙しいんだ。戯言に付き合ってる暇は──」

「奴らの次の作戦場所を知っている、とでも言ったら?」

「……何?」


 遮るように告げた事実に、呆れていたつくちゃんの声色が変わる。

 ま、それはそうだよな。現状俺と同じで後手にしか動けない獅子原ししはらの退魔師にとって、相手の動向なんて情報は喉から手が出るほどほしいに決まっているはずだ。


「私を呼んだということは、当然教える気はあるんだろうな。……何が望みだ? 物乞いや金銭であればお嬢様に言う方が早いぞ。お前には建前さえあれば貢ぐだろうからな」

「……いや、そういうのはちょっと。だからこそ、君を呼んだわけだし」


 困ったようにそう返事すると、つくちゃんは訝しげに首を傾げてくる。

 なんでか知らんけど、かなでちゃん無性に俺に甘いんだよね。ことある毎に小学生に奢られるとか、流石の俺でもちょいとプライドつんつんされちゃうんだ。ま、今回それは関係ないんだけど。


「悩み相談……かな。ちょっぴりお悩み中でさ? アイデンティティ崩壊中ってわけ」

「……なんだそれは。私にすることなのか?」

「さあ? ただ何でだろ? つくちゃんとはすっごく話しやすいんだ。……不思議だね」


 きっとあいつに雰囲気が似ているからと、そんな失礼なことは口になんて出せず。

 ゆらりゆらりとブランコを漕ぎながら、自分のメンタルがぐちゃぐちゃになっていることを話す。

 つくちゃんはすっごい嫌な顔をしながらも、それでも語りを止めずに俺の話に耳を傾けてくれていた。


「……なるほど。お前、さてはあれか。ドが付くほどの馬鹿なのか? それとも呆れ返るほどに女々しいやつだったのか?」

「……ひっど。今の聞いてそんなこと言う?」

「お嬢さま以外は口を揃えるだろう。香雲かくもですら真顔で返してくるだろうよ。そんなくだらないこと真剣そうに相談されでもすればな」


 馬鹿馬鹿しいと首を振りつつ、つくちゃんはブランコから立ち上がる。

 呆れちゃったかな。一応まだ木曜日の件話してないから、帰られるのも困るんだけど。


「そら立て。言葉なんて回りくどいから、拳で簡潔に教えてやる」

「え、ええ……?」

「早くしろ。やる気にならないなら殺す気でやるぞ」


 意味のない喧嘩の誘いを断りたかったが、真顔で脅されてしまっては応じるほか道はなく。

 渋々とブランコから飛び降りて、つくちゃんに向かい合うように立つ。


「……なんか、いつぞやの夜を思い出すね。あのときと違って、月には雲が掛かってるけどさ」

「知らん。いくぞ」

「ちょ、感傷とかないの!?」


 てっきり同じ気持ちかなと言葉を振ってみるも、容赦なく飛び出し襲いかかってくるつくちゃん。

 仕方がないの彼女の徒手空拳をいなし、たまに反撃してみるも返されるを繰り返していく。


「ど、う!? 昔よりは、やれてるでしょッ!!」

「あの頃よりはな。だが所詮、初心者脱却程度だ」


 だが多少の成長なんて無意味だと、流された拳を掴まれそのまま地面へと投げ飛ばされてしまう。

 いってて……。これ、一本背負いってやつぅ? 綺麗に決まっちまったぜ。


「わかったか。貴様が多少力を付けようが、そんなのは大したことではない」

「……魔力ありなら勝ってたもん」

「それでも私が勝つし、結果なんて誤差レベルだ。強くなったと豪語したいのなら、せめて疾風はやての巫女……高月由奈たかつきゆなくらいにはなるんだな」


 地面に倒れる俺に、つくちゃんは真上からぞんざいに見下ろしてくる。

 由奈姉ゆなねえくらいねぇ。前より近くなったからイメージ付くようになったけど、あの人と本気で並ぶのはもう一回屍鬼かばねおにを倒しても無理じゃないかなぁ。


「結局、私もお前もそんなもの、大局を覆せる超級の存在ではない。お嬢さまでさえそうなのだ。お前程度がどんな心を持ったって、周りの誰かは知らず知らずのうちに何かに巻き込まれて死んでるだろうよ」

「……だから何? 許容しろって?」

「さあな。んなこと考えるくらいなら、せめて周りだけでも取りこぼさぬよう精進しろって話だ。お前の抱いた罪悪感それは、一個人が持つには重すぎる且つ無意味なものだからな」


 砂でスーツが汚れることも厭わず、どさりと俺の隣に座りながらつくちゃんはそう言ってくる。

 重すぎる、か。そう割り切れるのならそれはすごく楽なんだろうよ。

 でも無理だ。結局俺は弱いから、瞼を下ろすと浮かんで来ちまう。関係ない人を巻き込んだ、俺自身の情けなさに。


「それでも心が晴れないのなら。今一度立ち返ってみろ、お前が戦う理由わけに。大人しく学生やってればいいものを、文化祭を捨ててまで非日常に飛び込むその意味を」

「……戦う、理由」


 つくちゃんに言われ、思わずその言葉を反芻してしまう。

 俺はどうして戦うのか。なんで俺が強くなりたいのか。……俺が挑みたいのは、誰だったのか。


 ゆっくりと瞼を閉じる。その映るのは、思い浮かぶのは一人の少女の笑顔。

 ──嗚呼、こんな簡単なことだったのか。こんなことすら、揺らいでしまっていたのか。


「きひひ、きひひひっ! そういえばそうだ。俺の目的を考えたら、一般人パンピーのこと考えてやる時間も余裕もないじゃんか。あーおっかしい」

「……どうした。いよいよ狂ったか?」

「そうかもね。むしろ最近が可笑しかったんだ。俺は善人ヒーローでも聖人ヒロインでもなかったってのに。ぬいぐるみなんぞに踊らされちゃってさ」


 そうだ。そうだとも。俺はどこまでいってもろくでなし、殺人経験だってあるゴミ屑じゃないか。

 屑がやりたいようにやらなくてどうするってんだ。人なんぞどうでもいいとは言うまいが、それでも優先して心を動かされてやるほどまともな人格持っているわけじゃないだろうに。


 あーすっきりした。胸の内に刺さりまくっていた支えが取れた気がする。

 ほらっ、月だってあんなに綺麗に見えちゃうし、ひとまずこれでおっけーでことにしちゃおっと。


「よいしょ! んー! ねえつくちゃん、ちょっちストレス発散に付き合ってくれない?」

「……少しだけだぞ。お前と違って、私には仕事があるからな」

「そこはほら、俺の聴取ってことでさ? だってまだ話してないよ? 今後のことをさ?」


 勢いづけて立ち上がり、背中の砂を払いながら眉を歪めるつくちゃんを誘う。

 心優しき賢人みたいな葛藤なんて止め止め。俺は馬鹿で愚かな殺人願望者なんだから、もっと気楽にハッスルして気持ちの切り替えしないとね。


「……はあっ。仕方ない、これを機に教えてやろう。私とお前の格の差というやつを。ついでにちゃん付けなんてふざけた呼称出来なくしてやる」

「いいね。やってみなよ。その代わり、負けたら一生つくちゃんだ。場合によっちゃつくたんに昇格かもね」


 久しぶりに口角が変わるくらいの笑みを作りながら、立ち上がったつくちゃんを掌で挑発する。

 とりあえず、今は何も考えずに暴れたい気分だ。後のことはそれから考えよう。


「……潰すッ!」

「上等ッ!」


 先ほどとは違い、本気の戦意で向かってくるつくちゃんに拳を合わせる。

 こうして月夜の元始まった、無意味で無価値な俺達の喧嘩。

 結局日が変わるまで続いた殴り合いは、心に溜まっていた淀みを少しずつ減らしていった。

 

 そしてキリが良いところでつくちゃんが立ち去った後。

 地面に転がりながら清々しい気持ちで思ったのは、学校に行きたいというごく普通のものだった。

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