その名の由来は何でしょう?
平和だった。空が青く、偉大なりし女神が私たちに声を掛け、皆が笑顔で健やかに過ごしていた。
時々神を悪魔だと囀る異端者もいたが、それでも神の息吹をその身に感じれば改心し、人々は女神を中心に手を取ることが出来ていた。……平和だったのだ。
けれどある日、空は青から禍々しい赤に変わり、世界は血で染まり始めた。平和は終わったのだ。
地上に響くは人々の叫声。恐れ、怒り、恨み、ひたすらに赴くままに叫ぶ獣堕ち。
我らを、
人々は抗った。神の名の下に、欲深い
そしてその紅い夜を三つ乗り越えた夜明けに、ついにそいつは現れた。現れてしまったのだ。
光柱と共に聖域に降り立ったそれを視認した瞬間、我らはそれに目を奪われてしまった。
夜を凝縮したかのような黒い長髪。その輝かしさに反し、光の籠もっていない翡翠の瞳。
私よりも一回り年下に見えるのに、まるで歴戦の戦士を思わせる佇まい。握られた剣に宿るのは、三女神が人々に授けたと伝えられた大聖堂に刺さる神剣に等しき格。
人であって人にあらず。人の器であるだけの、人ではないナニカ。
まるで女神が遣わした、この厄災を沈めるべき救世主。我らの希望となる別格の存在だと。
『……また、ですか』
それが憂い声を呟いた瞬間、我らは確信した。その一息吹には、それだけの力が宿っていた。
我らは救われるのだと。三女神は我らの祈りに応え、この魔なる夜を切り裂く矛を授けられたのだと。
あの瞬間の歓喜を。そしてその一年後、彼女が犯した禁忌の報いを受けた我らの絶望を。
……忘れることなど、出来やしないだろう。未来永劫、我らの憎悪が燃え尽きるまで。絶対に。
「んっ、んん……」
あれから家……家? に帰り、シルラさんが起きるまでの間トランプをしていた私たち。
ちょうど私がばば抜きで二十九連敗という歴史的惨敗を果たし、煽りまくってくるイルカを拳をめり込ませてやろうかと握ったちょうどそのとき、寝かせていた彼女の呻きが耳に届いた。
「あ、起きました? 具合はどうです?」
「……え、ええ。ここは一体、私は何故……?」
イルカの気配が消えたので、トランプを床に置き、ずるずると枕元まで躙り寄っていく。
するとシルラさんはゆっくりと体を起こし、周囲の様子を窺いながら戸惑いを見せてきた。
「大丈夫ですか? ここは私の家です。どうかご安心を」
「……貴女は、確か──」
「はい、貴女と私の
そんな彼女を安心させるため、ひとまずお水の入った湯飲みを優しく手渡す。
ごくごくと、少し躊躇いながらも喉へと流し込むシルラさん。……なんだかちょっと扇情的ですね。
「ふうっ、ありがとうございます。……また助けられてしまいましたね」
「いえいえ。どうぞ気になさらず。所詮は私の自己満足ですので」
気にしないでと言いつつ、私もお茶を一口。……うん、やっぱり水より緑茶だよね!
「まずはゆっくりお休みください。理由なぞ、別に深くは聞いたりはしませんので」
「……暖かな気遣い、心から感謝します。ですがすみません、問わねばならないことがあります」
起きた直後だというのに、随分と気を張ってこちらを警戒してくるシルラさん。
よくやるよ、魔力もほとんど戻ってないだろうに。ま、予想はしてたからびびらなかったけどさ。
……ごめんやっぱうそっ、ちょいちびりそう。以前の負けが余裕で尾を引いてるっぽい。
でもさぁ? 警戒するなら渡された水飲むとか油断しすぎじゃない? 信頼の証かなぁ?
「私を助けたのであれば、恐らくグリュード……手練れの男に襲われたはずです。どう対処を?」
「追い返しました。偶然にも、相手が私を買い被ってくれたので」
これは嘘ではない。あいつは私を警戒していたが、実のところあの場で勝ち目は薄かった。
いくら魔力制御が多少達者になったところで所詮は一夜漬け。毎日こつこつと積み上げてきた実力者に太刀打ち出来ると思えるほど、今の俺では楽観的になれない。
影も使っていいのなら勝敗は読めなかったが、シルラさんがいつ起きるかも不明だったのもあり手札からは除外。実質強化だけで戦えるわけもなく、あの場においてあの結果は最適解だったのだ。
「……魔力を、使えるのですね」
「はい。私、そういう荒事に少しばかり慣れてますので。普通のJKではないんですよ?」
人差し指を柔らかな唇に当て、ちょっぴりあざとく彼女の疑問に答える。
ここで嘘をつく気はない。大分危険ではあるが、一般人として関わるために近づいたのではない。私は
「そうですか。……結界を抜けたのも、最初から意図的で?」
「いえ、道端では偶然です。あの出会いがなければ、きっと貴女を助けることは出来なかったでしょう」
嘘ではない。事実、私は近づかなきゃ認識できていなかった。遭遇は二度ともイルカのおかげだ。
「……何にせよ、恩人を疑うのは失礼でしたね。申し訳ございません」
「気にしないでください。あんなおっかないのに追われている身なら、人を疑うのは当然ですから」
警戒を緩め、謝罪してくるシルラさんに気にしていないと伝える。
本当はめっちゃ気にしているけど! 怖かったけど! バレたら全部水の泡! だからね!
「お食事はどうします? お体に障りなさそうであれば、こちらにお運びしますが」
「……是非お願いします。傷は問題なく、今はとにかく魔力補給を優先したいので」
シルラさんの返事を聞き、ゆっくりと立ち上がりお台所へと足を運ぶ。……正座だったから足が痛ぇ!
今日の献立はさっき炊いたお米とさっき買ってきた鮭を焼いたやつ、後は味噌を溶かして豆腐をぶち込んだだけの味噌汁。つまりは手抜き……いや、お手軽メニューってやつだ。
えっ? 緑? ……知らないなぁ。そういえば実質別人なんだし、味の好みって変化ってあったりするのかな?
炊きたてほやほやの白粒達を茶碗によそい、さっと準備し居間へと戻り、ちゃっちゃかちゃーと並べていく。
うーん好い匂い。やっぱ
「ではどうぞ。いただきます」
「いただきます。……美味しい、美味しいです……」
私とは違い、手を合わせてから数秒目を瞑り、それから食べ始めるシルラさん。
こちらをチラ見し、たどたどしく箸を使って米を掴む彼女。
そういえば、朝はおにぎりだったから気にしなかったけど、外国人でもそうなのに異世界人に箸は難しかったかな? ……ま、食べれてるしいっか!
「美味しい、美味しいです……」
そんな私のどうでもよい悩みなどお構いなしに、彼女は食べながら声を振るわせ、目を滲ませる。
えっ、なに。どうしたんでしょうか。異物混入はしてないですよ。本当ですよ?
「ど、どうしました……? お口に合いませんでした……?」
「違うんです、違うんです……。思い出してしまって、朝は普通だったのに、おかしいですね……」
嗚咽は止まらず、されど食べる手も止まることはなく。
シルラさんは何かを思い出すよう、食卓に並べられた料理をただただ食べ進めていく。
……感極まっちゃったのかなぁ。ま、命の危機から脱した後だし仕方ないのかもね。
「……ごちそうさまでした。食事中に汚いものを見せてしまいすみません。本当に、本当に美味しかったです」
「気にしないでください。こんなに綺麗に食べてもらえるなんて、こちらこそ光栄ですよ」
やがて米粒一つ残さず完食し、口を拭きながら先の醜態を謝罪してくる。
ま、どんな気持ちであれ、手料理をそんなに褒めてもらえたら悪い気はしないですよ。
私も食べ終わったので、ぱっぱと食器を片して洗い場に持っていく。手伝いたいと言い出してはくれたが、客兼怪我人にそんなことはさせられない。それは仮とはいえ、家主の責任だ。
ちゃっちゃちゃーで茶を用意ー。デザートはー、鮭と同じくさっき買ったプリーン。
「どうぞ。食べたらどうぞお休みください。私のことは気になさらず」
「……いいえ。話さねばならないことがあります。私は貴女を巻き込んでしまったのですから」
イルカ奢りのプリンにスプーンを掬いながら彼女に言えば、返されたのは意外にも否定であった。
プリンに手を伸ばさず、申し訳なさそうにこちらを視線を向けてくるシルラさん。
巻き込んでしまった、ね。実際はお門違いもいいところなのだが、彼女視点であればそうなのだろう。
ま、私的には都合が良い。その罪悪感、申し訳ないが利用させてもらおう。謝る気はないけどね。
「巻き込んだ……? それはあの男のことですか?」
「はい。私を助けてしまった以上、きっとあの男達は貴女も殺しに来ます。……いえ、あれを踏みとどまらせる力を見せてしまったのなら、彼らの悲願の贄にされるのでしょう」
辛そうに語るシルラさん。貴女もそうだったけど、あっちも贄なんだ。流行ってるのかな?
「贄ですか……。さては鍋にでも放られて、そのまま溶かされてしまうんですかね?」
「似たようなものです。彼らは無辜の人々でさえ容赦なく利用します。全ては復讐のためと、憎悪という大義を掲げて」
似たようなものなんだ。こっわ。
それにしても、彼らとか男達とか、まるで単独犯じゃないみたいなことを言うね。
「彼ら……? あの人一人ではないのですか……?」
「はい。貴女が追い払った男は恐らくグリュード。あの組織にて二番手に位置する者。頭目のシグルイは研究に専念しているため、実質的に組織の管理を任されている実力者です」
「シグルイ……グリュード……」
グリュードねぇ。便利でキュートな翻訳的な都合なんだろうけど、やっぱり異世界ってカタカナ名称ばっかりなのかな。
「貴女の魔力は上質です。だから尚更、彼らは決して逃がさないでしょう。……こうしてはいられません。すぐに彼らの下へ──うっ!」
「だ、駄目ですよ! 傷はなくとも
シルラさんは勢いよく立ち上がるも、歩き始める前にふらついてしまう。
そんな彼女を咄嗟に支え、ほとんど無意味な抵抗を無視して無理矢理にでも一旦座らせ直す。
「冷静になってください。私すら振り払えていないのに、外は愚か戦うなんて不可能ですよ。シルラさんが言ったんですよ? 相手の男は相当の実力者だって」
彼女の容体は芳しくない。言葉通り、今の私ならちょっと力を込めれば簡単に始末できてしまう、その程度の魔力しか残っていないのだ。
そんな状態で出来ることではみすみす自分を捧げに行くようなもの。そういう考えなしのやけくそ特攻を自分以外がやっていると、何故だかちょいと苛ついてしまうんだよね。
……まったく。仮にも俺をぼこぼこにしてくれたんだから、相応に強者やっててほしいものだよ。
「まだ一日程度の付き合いですが、出来るなら頼ってほしいです。共に食を囲み、共通の相手に狙われるのであれば、最早私たちは一蓮托生ですから」
シルラさんの手を両手で握り、自分にできる限り優しい声色で共にあろうと提案する。
今の会話で少し背景が見えてきた。どうやら公園での因縁にけりをつける前に、倒さなければならない障害が出来てしまったらしい。
ならば手を取り、先にその邪魔を排除するのが最優先。その後に俺の正体をバラし、互いに軽くなったところで再戦と洒落込めばそれで万事解決よ。
「……それは、でもそれは」
「では言い方を変えます。どうぞ私を助けてください。どのみち狙われるというのであれば、その大義とやら為そうとしている計画に立ち向かいます。だから、そんな無謀な私に手を貸してはくれませんか?」
シルラさんの紅い瞳から目を逸らさず、真っ直ぐに彼女を見つめながら頼んでみる。
彼女の善意につけ込む非道な提案。共に歩むか、それとも見捨てるかの悪魔的二択。
それは遺恨のある俺であれば出来ないこと。けれど私であれば、きっと彼女は頷いてくれるはず。
何せこんな短期間の付き合いでもわかってしまうのだから。
彼女は俺と同じく、自らの欲のために道を踏み外した者ではあるけれど、それでも心まで真っ黒に染まった悪人ではないのだと。
だってそうでしょう? 本当に外道なら、私の料理を美味しいって言ってくれないでしょう?
「……ずるい人ですね。恩人からのそんな提案、断れるわけないじゃないですか」
「はい。私、これでも結構強かですから」
少しの後、シルラさんは負けたと言わんばかりにため息を吐き、それから私の手を握り返してくる。
契約は成立。このときより、私たちは同じ道を進む同士。同じ嵐を同じ舟で、ってね?
「あ、終わったー? いやー、中々に微笑ましい一場面だったねぇ」
「ひゃあ!」
そんなちょっと良い雰囲気のを切り裂くように、唐突にだるそうな声がこの部屋に響く。
ひゃあって。そういうギャップを狙ってくるのよくないと思うんですよ、はい。
「……出てきたんですか。最後まで隠しきると思っていましたが」
「そんな不誠実なことはしないさ! そしてやあやあ! 君が慈悲のシルラ、
「──なっ」
「ほらタッチ。これで君と僕は仲良しこよしだぜ、よろよろー?」
ハイタッチに驚きながら、死ぬほど警戒しているシルラさん。
まあ無理もないね。俺も私も雑に流したけど、普通ならそこで数ターン浪費するだろうしね。
……ってか、
「馬鹿な……! 完全自立した魔法なんて、それこそ我らが主でなければ……!!」
「おっと、僕の原理は社外秘だぜ? さてさて! それじゃあとっとと本題に入っちゃおうな!」
空中でくるりとターンを決め、昨日みたいにどこからともなくホワイトボードを取り出してくる。
……あれ、本当にどこから持って来てんだろうね。収納系って実は珍しくもないのかな。
「現在すーちゃん、シルラ、そして僕にて結成された
「……はい」
「……OKです」
イルカはパタパタと、無駄に上手いイルカのイラストなんて足しながら簡潔にまとめてくれる。
見ろ、いきなり始まった説明にシルラさんも面食らっているじゃないか。
それにしても我らのチーム名はいつの間に決まったのでしょう? そしてどうして貴女が今一回も名の出ていない相手の組織の名を知っているのでしょう?
考えるだけ無駄な気がします。どうせ聞いても答えてはくれないのでしょうね。……はあっ。
「ともあれ、相手の次の動向がわからないのでどうしようもありませんね。シルラさんは何かご存じで?」
「すみません。私も知らないです。……イルカさん? はどうです?」
「……ふむ。そうかそうか、君たちはそういう奴らなんだね。どうしようもないからイルカを頼っちゃう、情けない迷える子羊なんだね?」
やかましい。どや顔(仮)やめろ。何も表情変わってないはずなのに憎らしく見えるわ。
「宜しい! では教えて進ぜよう! この僕が! 彼らが次に贄と変えようろ目論む儀式場を!」
「……本気で信じていいんですか?」
「さあ? ま、駄目だったらそのときは二人でぼこしましょう。共同作業ってやつです。きひひっ」
きゅっきゅと音を立て、文字を書き綴っていくイルカの背後で約束を交わす。
いやー、イルカの態度にむかついてくれる人増えてくれて嬉しい。していい理由が出てきたら遠慮なくタコ殴りにしてやろうぜ!
「というわけで! そこで怪しげなこそこそ話をしている諸君! 次の目的地はここだ!」
少し距離が縮まったかなと思っていると、イルカが注目を訴えてきたのでそちらを見て──思わず首を傾げてしまう。
今までの全てを消し、真ん中に堂々と書かれていたのはある場所の名前。どこにあるのかは知らないが、どんな場所なのかは容易に想像が付くとある施設名だからだ。
何故ならそれは、野蛮さとは無縁であるべき場所。ある意味侵してはならない聖地。
「区立、白坂しょーがっこー?」
「そうとも。ここに彼らは来る。それも明日のお昼にね?」
区立白坂小学校。それ以上でもそれ以下でもなく、そのまんまの意味であろう小学校。
つまり俺達の敵はちびっ子達の学び舎を襲うのだと、イルカはそう言うのだから。
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