恋を踏み、けれど約束は破りながら

 夏の日差し。潮香る海の風に蝉の声。そしてそこそこ耳に入ってくる、どこか誰かも知らない家庭の団欒。

 そんなリア充度の高い砂浜で一人寂しく座る俺。うーん、とてもアオハルとは言いがたいね。


「……はあっ」


 今日何度目か分からないため息。燦々と降り注ぐ乾いた暑さに負けないくらい、梅雨みたいにしっとりとして陰気くさいマイナスオーラの凝縮が漏れてしまう。

 失意。消沈。その他思いつかないけれど、とりあえず落ち込む系のワードがetcエトセトラ

 そんな絶賛しょぼくれ中な俺。まあ理由なんて語るに及ばず、昨日の一騒動の余波である。

 

「……はーあっ」

「ため息ばかりですね。そんな風では幸運も逃げてしまいますよ?」


 そんなじめじめ百五十%で俯く俺に、突如掛けられたであろう声。

 誰かに話しかけられると思っていなかった俺へ軽くびくつきながら、それが自分の思い上がりかも確かめずに背後へと首を向けた。


 ──そこにいたのは、砂浜に降り立った黒髪の天使。すらりとした長い足をホットパンツで存分に見せつけ、臍を出した白シャツとキャップで上を隠す真夏の超絶美少女。

 高嶺たかねアリスサマーバージョン。季節限定、というか初めて見るにしては刺激的すぎる私服姿での降臨に、思わず思考も言葉を失ってしまった。


「……あの、何か言ってもらえると」

「ああ、あー、うん。目の保養ありがとう……ございます?」


 あんまりな語彙力に高嶺たかねさんは呆れたように小さく笑い、そして隣へと腰を下ろしてくる。

 何でここにいるのだとか、そういうのは考える意味のないこと。高嶺たかねアリスであれば、例え地球の裏側であろうといるときはいるのだろうから。

 

「え、えっと……? 近いんですが……?」

「パラソルとシートが狭いのが悪いんです。次からは一人分はゆとりを持つべきですね」


 いや、そんなこと言われたってこれ最初から一人用のちっちゃいやつだし。ばっちゃまの家から拝借してきたヴィンテージ物のパラソルとブルーシートだし、次とか言われても無茶が過ぎるのでは?


「……昨日振りですね。その後どうでした?」

「んー。まあ平気だったよ。夜遊びもバレなかったし、寝不足以外はノープロかな」

「そうですか」


 思い出すのは目が覚めて、目覚めを確認して高嶺たかねさんが帰ってからのこと。

 実は母上にはバレていたのだが、ちゃんと謝ったら思春期だからと謎の理論でお咎めなしだったからね。お説教がなかったのならそれはもう何もなかったに等しいはず、うん。


「……姫宮雫ひめみやしずくについて少し調べました。交通事故だったのですね」

「うん。スマホでググったら出てきた。まったく、死者の個人情報が簡単に手に入るなんて便利な時代になったもんだよ」


 友の死に様をこうも簡単に知れるという胸糞悪さに、つい言葉に皮肉が混じってしまう。

 だってそれはつまり、あいつについて知ろうと思えばいつでも知れたということに他ならない。昨日の姫宮ひめみやの真実で驚いてしまったのは、どこまでいこうと俺自身の怠慢であったことの証明なのだから。


「私は悪くないと思っています。時に死んだことにすら気づけないまま終わってしまうことすら罷り通ってしまうのが現実というものですから、少し人道から逸れようとそれで救われる人もいるのでしょう」

「……そういうもんかな。実感できねえぜ」

「それならそれで好ましい。だって貴方は、それだけ大事な人と別れず過ごせているのですから」


 ……そんな破廉恥な格好して、随分とまあ悟ったようなこと口にするんだね。

 けど、確かにそうかも。検索すれば応えに辿り着けるということは、毒であると同時に薬でもある。つまるところ、火や凶器と同じで使い方次第ってわけだ。納得。


「……ねえ高嶺たかねさん。良ければ聞いてくれない? ちょっと長くなっちゃうかもだけど」

「どうぞ。貴方の気が済むまで、好きなだけ付き合いますよ」

「ありがとう。じゃあ……はいこれお茶。まだ開けてないしキンッキンに冷えてるから」


 影からペットボトルを取り出し、高嶺たかねさんに手渡してから視線を海に移す。

 目を逸らしたのは格好がえっちだからとか、見ていると集中できないとかそういう理由ではない。ただ単に話している自分の顔を見られたくなかった、それだけだ。


「……姫宮ひめみやと約束した日。あの場所に行けなかったのは、母さんが事故に遭ったからなんだ」


 ぽつりぽつりと話し始めるあの日のこと。そもそも高嶺たかねさんには脈絡もない話だろうし、姫宮ひめみやはどうでも良いと聞かなかった、あの夜の真実だ。

 

 姫宮ひめみやの誘いを受けて家に帰っては俺は、それはもううっきうきで水着の準備をしていた。

 あのときはあいつが告白しようといるなんて微塵にも想像せず。大方プール開き前に二人で独占してやろうみたいな戯れだと、実に見当違いな考えのまま、その夜を楽しみにしていた。

 だが次に俺へと電話を掛けてきたのは、姫宮ひめみやではなく両親でもなく。登録なんてしていない見知らぬ番号──病院の者だと名乗った男だったのだ。

 

「いやーあのときは焦ったよ。まさかあんなに元気な母親が病院で治療を受けています、なんて連絡されちゃったらね? いくら俺でもてんてこ舞いってわけですよ」


 適度に茶化して口にするが、あのころの狼狽っぷりといったら他人が見たら良い見世物に思うくらいの慌て様だった。何せ準備していた水着をほっぽり出し、財布すら持たず家を飛び出してしまったのだから。


「ま、轢かれたと言っても速度のないバック中の事故で、特に入院なんてせずにその日は終わったんだけどさ。ほんっとに人騒がせな親だよ、まったく」


 嫌な妄想に心がざわつきながら病院に着いて、元気そうな母の顔に心の底から安堵した。

 だから抜け落ちてしまったのだ。その後の予定が。──あいつとの、待ち合わせの約束が。


「行けないって連絡もしなかったんだ。月曜に会ったら謝ればいいやって、そんな風に思ってたんだ。楽しい日々はいつまでも続くものだって、そんなことなんてないのは、分かりきってたはずなのに」


 掌で目元を覆いながら、あいつがいなくなった日に抱いた後悔をただ吐き出していく。

 俺のせいではないのはわかっていた。姫宮ひめみやの転校に、俺やあいつみたいな子供の意志なんてものが介在していないのは重々理解している。

 それでも考えてしまったのだ。あの日、もしもあいつの約束を忘れなかったら、俺はたまの連絡でさえ躊躇してしまうことはなかったんじゃなかったなと。……あいつが死なない運命も、あったんじゃないかって。


「あいつは気にしてないって言ったけど、こんなの気にしないわけがないじゃねえか。だって結局、俺がもう少しあいつの気持ちを知ろうとしていれば、今でもあいつと軽口で叩き合えたかもしれないんだからさ……」


 結局のところ、俺はただ後悔しているだけなのだ。

 どう足掻こうと変えられない選択を。友達から目を背けたことを。そんな情けない俺を、死んで尚あいつが励ましてくれたことへ報えない現実を。

 いくら友達とはいえ、殺したい相手に愚痴ることになるとは。これじゃキャラ崩壊もいいところ、高校生活一年目のくせに俺も焼きが回ったのかな。


「女々しいですね。貴方にも、そんな人並みの情緒があったのですね」

「……幻滅したかよ。君がどれだけ買い被ろうと、皮一枚剥けば俺なんてこんなものだよ」

「しませんよ。そんな程度で嫌になるなら、私は隣に座ったりしませんから」


 高嶺たかねさんは淡々と、けれども少し優しげに言葉を返してくる。

 

「……信じられないことかもしれませんが、私は二回世界を救ったことがあります。ここではない遠くの世界で、多くの戦いを経験しました」


 珍しく大きく息を吸った高嶺たかねさんは、おもむろに突拍子もないことを話し始めた。

 

「多くの死を見ました。多くの死を乗り越えました。多くの死を踏みにじりました。尊厳を、人道を、十五年で築いた倫理の悉くを足蹴にし、師や友すら殺して世界を救いました」

「その中で死と向き合えた人間など、そう多くはありません。歴戦の戦士であっても、人外種であっても、世界を救った勇者などという存在であっても。大事な人の喪失と向き合うのは、それほどまでに至難なのです」


 ふと、高嶺たかねさんの方を見てしまった俺は、彼女の顔に言葉を失ってしまう。

 虚無。いつもの鉄仮面とは根底から異なる、何にも焦点を当てていない乾いた亡者の瞳。宝石のようだと褒め称えるには、あまりに光を失った虚しいだけの闇の籠もった瞳だった。


 わかっていた。高嶺たかねさんが異世界召喚にて世界を救った勇者だということは、あの胡散臭さの塊である備考欄担当の存在が最初に示してくれていた。

 けれど俺は理解していなかった。……いや、欠片も想像しようとしていなかったのだ。

 如何に高嶺たかねアリスであろうと。昔から周りの有象無象とは違う、天に二物を与えられた才女であろうと。世界を救うという偉業が、そう易々と行えるものではないことを。


 どれほどの困難が立ち塞がったのだろう。何度挫折を味わい、どこまでの絶望を知ったのだろう。何度別れを経験し、何度力不足を嘆いたのだろう。

 きっと俺なんぞが抱える何倍も……いや、俺程度の想像力が働く苦しみなんて、それこそ広がる海の魚一匹分程度でしかないほど広く大きな苦労だったはずだ。

 けれどもこの人は、そんな苦労をひけらかさずに俺を励まそうとしてくれている。よりにもよって、彼女にとって一番恩を仇で返すであろう、この俺に対して。


「だから、貴方は幸運だと喜ぶべきなのです。変えられない後悔など抱かず、姫宮雫ひめみやしずくとの友情の奇跡を尊ぶべきなのです。死は生物にとって平等であれど、失った後に想いを知れる機会など、ほとんどの人間が持たずに嘆くものなのですから」


 高嶺たかねさんはすぐにいつもの輝きある翡翠の瞳に戻し、首を傾げて俺を見てくる。

 

「そもそも割り切れるものではないのです。人が、思いある生き物がその葛藤を捨てる日が来るのなら、それは最早魔性に堕ちたときのみ。たまの夢に出てくるくらい悩むのがちょうど良い、我が師もそんな風に語っていましたから」

「……良いのかな、そんなんで。あいつ、怒らないかな」

「さあ? 気になるなら死んだ後にでも聞いてみてください。大丈夫。貴方が親友を忘れるくらいの人でなしに成り下がったら、その時は私が手ずから斬ってあげますから」


 高嶺たかねさんは俺の手を自分の手で優しく包み、頬を緩めて微笑んでくる。

 それがあまりにも美しくて。ひんやりとした柔らかい手に、この上なく緊張をしてしまって。けれど目を背けたくもなくて。

 だから夏の暑さなんかに負けない顔が熱くなって、心臓が爆発しそうなくらいに激しい鼓動を刻んでしまう。まるで少女漫画の主人公みたいに。もう自分が女ではないはずなのに。


「……そっか。じゃあ安心だ。君に殺されるのなら、それも理想の死に方だからね」

「そうならないよう努力はしてください。私は最早、勇者などではないのですから」


 彼女の微笑みに釣られるように、俺も小さく笑みを作って彼女へ返す。

 リア充嫌いのあいつが見たら憤慨しそうな光景だけど。鼠花火を投げたいな、なんてしょうもないこと言い出しそうだけど。……あいつとだったら、全然違う感じだったろうけど。

 それでも、俺と高嶺たかねさんはこれで良いのだ。友情と一方通行の殺意で繋がれた俺達の関係なんて、こんな普通な絵面で充分なのだ。


「しかし高嶺たかねさんや。いきなり異世界帰りの勇者です宣告は、俺じゃなければ痛い子扱いだぜ?」

「……まあそうでしょうね。さっきは流れですらすら言えましたが、振り返ってしまうと少し恥ずかしさがありますし」


 なるほど。だから今は少し頬が赤くしちゃってるのか。うーん可愛いね。


「じゃあ俺も秘密を明かすよ。……俺、実は人を殺したことあるんだ」

「そうですか」

「何その反応。人でなし宣言だよ? 殺さなくてもいいの?」


 つい緩んで出てしまった犯罪歴の開示にもかかわらず、高嶺たかねさんは呆れたように首を横に振ってくる。

 なにさなにさ。もしかして本気にしてないな? 誠意のつもりのカミングアウトだったのに、この場限りの冗談だと思っちゃってるな?


「私も大概ネジが外れてますからね。あの小娘なんかと共にしている以上、そういうこともあるのでしょうで片付いてしまいますよ」

かなでちゃんぇ。……っていうか、嘘だとは思ってないんだ?」

「ええ。貴方が言うのであればそうなのでしょう。ですが同時に、貴方が殺傷を愉しむさがでないことも知っています。大方正当防衛とかそんな感じでしょう?」


 ……し、信頼が重い。これでも俺、君のこと殺そうと思ってるんだけどなぁ?


「だから二人の秘密、それで終わりです。……ふふっ」


 高嶺たかねさんは自らの人差し指で唇を触り、楽しげに小さく微笑むのみ。

 その仕草が、その答えが、どうにも俺をドキリとさせてくる。……美少女との秘密の共有ってさ、とっても官能的な響きだよね。


「さて、それでは少し海にでも入りましょうか。せっかくの夏休みなのに、誰かと遊ぶのは初めてなので少しはしゃいでしまいたい気分です」


 飲みかけのペットボトルをシートに置いた高嶺たかねさんは、立ち上がってこちらに手を差し伸べてくる。

 うなじとお胸と足の強調がえっちすぎる。何ならこの手もえっちがすぎる。そこにいるだけで思春期には劇毒だぜ。


「ほらっ、早く行きますよ。善は急げ、青春は有限です」

「……仕方ないにゃあ。泳ぐのは苦手だけど、水のかけっこは得意なんだぜ?」


 彼女の手に引っ張り上げられ、俺の体はパラソルの日陰から夏の日向へと引きずり出される。

 肌に悪く、体と心に好い。……うん、今は落ち込むよりも遊びまくりたい気分だな。


「あ、そうだ高嶺たかねさん。今度遊びに行こうね。夏祭りと花火大会、結構残ってたりするからさ」

「……えっ、えっ!?」

「はいよーいどんッ! 先に海へ着いた方に昼飯奢りねーっ!!」


 フライング気味で飛び出して、煌びやかに光る砂浜を全力ダッシュで駆けていく。

 嗚呼、そうだな姫宮ひめみや。お前が退屈するほど長生きしてやるさ。満足して死んだ後、お前にたくさんの土産話を持っていくために。

 

 けれど忘れてなんかやるものか。あんな自分勝手な約束なんて、絶対に守ったりするもんかよ。

 例え俺がやりたいことをやりきっても。お前よりも大事な人が、俺の側にいてくれたとしても。お前は俺にとって、一生消えぬほど輝かしい青春をくれた、かけがえのない親友なのだから。


 ──あ、でも墓に供えるものくらいは聞いておけば良かったな。……ま、とりあえず今はいっか!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る