勇気を出して言ってみよう

 季節は巡り梅雨と夏の境目。じめじめが肌に纏わりつきはするが、空に明るさが戻った頃。

 残念ながらクラスは変わってしまったが、それでもあいつの付き合いが消えることはなく、私は依然だらだらと、ぬるま湯みたいに心地好い青春の日々を送っていた。


 ──そう、続いていた、だ。いつまでも幸せに暮らしましたと、そんな幸福はあるわけもなかった。


 両親が離婚した。元々酒で荒れる父ではあったが、それでもついに一線を越えてしまったのだ。

 和解のない、ただただ胸くそ悪いだけの司法処理。母の申し出によって幸い刑事事件にはならなかったけれど、それでも二度と元には戻れない家庭の崩壊。

 

 家族が嫌いわけだったわけではない。けれど別に、好きとか大事とかを抱いていたわけでもない。

 小学生以降、ピアノを止めた辺りで両親は私に期待を向けなくなって久しく。

 私に水泳の才があってもなお見向きもしなかった彼らとの絆など、それこそ吹けば飛ぶ藁の家程度。暖かくもなく冷たくもなく、ただただ軽いだけの家族だったのだから仕方ないのだけれど。


 それでもその崩壊の余波は、きちんと私にまで届いてしまう。

 未成年であった私に抗う術など何もなく、私の意志も自由もないまま彼との別れが迫っていたのだ。


「来週からプール開きだねぇ。あー嫌だ嫌だ。俺、衆人観衆の前でチャプチャプ水掻きたくないもん」

「……そうね。貴方、結局ほとんど上達しなかったものね。私の教えがあっても」

「面目ねー。それを言われちゃおしまいだぜー」


 暑さで溶け出したアイスみたいに項垂れながら、私の歩幅に合わせて隣を歩く私の親友。

 伸ばせば届く短い間隔。ふと手を伸ばしてしまいそうになるが、私の理性がその奇行を押しとどめる。

 

 自分が同性愛者レズではなく男にも恋が出来るのだと自覚したのは、果たしていつ頃だったか。

 初めてプレゼントを貰ったあの日の教室か。それともクリスマスに二人で花火で遊んで暴れたあの日だったか。──それともあの始まりの夜に手を差し伸べられた、あの瞬間だったのか。

 今となっては分かりっこない。そんな瑣末なことは問題じゃない。

 大事なのはいつなのではなく。私という心の醜い外面だけの女が、特に語ることもない凡なる変人に恋をしていたという事実だけなのだから。


「あ、あれ高嶺たかねさんじゃない? 相変わらず綺麗だねー」


 だというのに、私にとって、この時間は残り少ない大切な一時だというのに。

 こいつはいつも通り何も知らず、私との時間だということを自覚せず、先で佇むあのいけすかない女を見つけてしまう。

 

 道路を挟んだ向い側の先。信号機の色を待っている、特別が故に浮ききった少女。

 高嶺たかねアリス。私と同じ教室の置物でありながら、私のような孤独と違い孤高であれる才色兼備で本物の高嶺の花。天が贔屓して二物以上与えたであろう、思春期における理想の体現者。

 この制服で身を包む者は、きっと馬鹿の一つ覚えみたいに口を揃えて言うことだろう。うちの学校でもっとも美しいのは彼女だと。そして同時に、最も優れている存在でさえも彼女であると。


 私のような他人の視線で潰れかける小市民とは違い、有象無象の悉くを踏みつぶす絶対的な女。

 そしてそれは、私の友人である上野進うえのすすむもまた例外ではなく。彼もまた、高嶺たかねアリスという一輪の花に目を輝かせる一人だった。


「この前の中間テストも一位だったらしいじゃん? いやすげーよね? クラスだとどんな感じなん?」

「……別に、普通よ。いつも通りお高くとまりながら机にいて、周りなんかには我関せずで授業を受ける。高慢ちきな女帝らしく鎮座する。それだけよ」

 

 口を滑らすように、或いは興味をなくしてほしいと訴えるように、こいつが興味を持った女の悪口を吐いていく。

 あの頃の私でさえも、自分の醜さに辟易した。いくら嫌いな女だからとはいえ、あいつの話をしているこいつを見ていたくなかっただけで、ここまですらすらと暴言を飛ばせてしまったのだから。


「きひひっ、変わらんねぇ。あれでも小学校の頃よりはましになったんだぜ?」

 

 だがこいつは変わらない。それどころか、私の誹りを聞いてなお、面白そうに笑うのみ。

 

「……そういえば、一緒だったんだっけ? 今より酷いとかとんだマセガキね。早期厨二病患者じゃない」

「大人びていたって意味なら厨二病患者ってのも概ね合ってるんじゃない? 俺がこっちに越してきたのは四年か五年の時だったけど、そん時は良い噂とか皆無だったからね」


 多分いじめられてたんじゃないかなー、こいつはと軽々しく楽しげに話してくる。

 そこまで親しくないくせに、まるで旧知の友であるかのように。……私のことなど、そんな風な理解者面をしてくれたこと、一度だってないのに。


 果たしてこいつは気づいているのだろうか。

 いや、きっと無意識なんだろう。彼女について話す時の声色は、いつもと少しだけ異なることを。

 

 それがどうにも悔しくて、ついこいつの片足を踏んづけてしまう。

 不意の痛みで話を打ち切り、その場をぴょんぴょんと飛び跳ねるこいつ。……うん、ざまあみろ。


「いっつぇ……痛いぜ姫宮ひめみやぁ。足の指が折れちまったらどうすんだよー?」

「隣にこんな美少女がいるってのに、他の女に目なんて向けるからよ。猛省しなさい」

「横暴がすぎる……。どっちが女帝だよ、最早お前が暴君だろうがよ……」

「私がここまでしてあげるのは貴方くらいよ。この特別扱いを、むしろ光栄だと思いなさいな」


 心底嫌そうにしながらも、こいつは高嶺たかねアリスから視線を私に戻してくれる。 

 あの女よりも私を優先してくれた、その事実ががたまらなく嬉しくて。つい声を跳ねさせてしまうほど喜んでしまって。やはり私は、どうしようもなく駄目になっているのだと自覚してしまう。

 

 ……失いたくない。私のただ一人の親友を、それ以上に結びつきたいこいつを。

 全てを曝け出し合いたい。あんな女ではなく、私にだけその興味と特別の目を向けてほしい。

 

 わかっている。わかっているのだ。一番近くで友人をやってきたのだから、重々理解しているのだ。

 こいつが、上野うえの高嶺たかねアリスに向ける瞳は、私や他の人間へのそれとは少し異なることなど。彼女について話すこいつの声は、ほんの少しだけ色を持つことなど。


 端から勝負の土台に立てていない。こいつにとっての私は、いつまで経っても仲の良い友人のまま。

 こいつが主人公のラブコメがあるのなら、きっとメインはあの女で私は踏み台のサブヒロイン。そんなのは、嫌と言うほど自覚しているのだ。

 別れはもうそこまで迫ってきている。友情など家族の絆よりも脆いものなのだから、ここで道を違えれば二度と私にチャンスは訪れない。それどころか、たった一人の友達すら失ってしまうだろう。


「ん? どしたんひめみー? こんなところで突っ立ってても、赤信号なんかねーんだぜ?」


 いつの間にか足を止めてしまっていた私に、彼は振り向いて首を傾げてくる。

 嗚呼、なんて憎たらしい顔。こんなにも私は悩んでいるというのに、お前はいつも通りの気ままさで、屈託のない笑顔を私に振り撒いてくるのだから。

 

「……ねえ上野うえの。私たち、友達よね?」

「なんだい急に。今日は金なんて貸さないぜ? この後ジャンク買うんだからさ」

「答えなさい。いいから。……お願い」


 いつもと違う私の様子に、彼は戸惑いながらも立ち止まり、私を真っ直ぐに見つめてくれた。


「そりゃまあ友達だぜ。こちとら好きでもないやつと一緒にいれるほど、利口な我慢なんて出来ない性質たちだし。……なんか小っ恥ずかしいな、こういうの」

「……そうよね。お前はそういうやつよね。あの頃から、ずっと変わらずに」


 彼は気恥ずかしさを誤魔化すように、利き手である左で首を触りながら顔を逸らす。

 そのあざとい仕草がどうにも愛らしくて。良くも悪くもない顔のはずなのに、たまらなく胸の内を掻き毟って。

 

 ──嗚呼、やっぱり私は彼といたい。こいつがいなくちゃ、私は一生満たされない。


「……ねえ上野うえの。今日の夜、時間ある?」


 だから私は賭けに出たのだ。

 私とこいつの未来を繋ぐために。転校などでは切れない特別を作るための、最初で最後の大博打を。






「ねえ高嶺たかねさん。一つ聞いても良い?」

「どうぞ。一つと言わずに遠慮なく」


 静寂の中で階段を降りていた最中、俺はようやく高嶺たかねさんへと質問する。


「あいつは……姫宮ひめみやはさ、何処に転校したんです?」

朱根あかね市……つまりこの辺りですね。どの学校など、それ以上のことは知りませんがね」


 俺の質問に高嶺たかねさんは淡々と、辞書を読み上げるみたいに簡潔に答えてくれる。

 うーん正確無比。これから質問するときはたかペディアって呼ぼうかな?


「……仲が良かったのですか? 姫宮ひめみやさんとは」

「終わり良ければってのを考慮しなければね。……少なくとも俺は、そう思ってたさ」


 実際のところ、彼女が俺をどう思っていたなんて知りようがない。

 俺はあいつを友達と思っていたけれど、彼女にとっては都合の良い話し相手でしかなかったかもしれない。あいつは結局、俺に自分の奥底を曝け出すことがなかったからだ。

 だから残ったのは、最後の裏切りという離別だけ。あの日出会わずに別れ、それ以降連絡する勇気もなかった俺が彼女の──姫宮ひめみやの気持ちなんて察せられるはずもないのだ。


「羨ましいですね。少しだけ……いえ、結構嫉妬してしまいます」

「……おかしいなぁ。今の話で嫉妬するところあったかい?」

「ええ、ありましたとも。少なくとも、私にとってはですが」


 ……なんだろう、実は姫宮ひめみやと仲良くなりたかったのかな。ユリユリプリンセス的な?


「ねえ高嶺たかねさん。あいつはどうして俺を閉じ込めたと思う?」

「さあ? 確かに私は核の表層を覗きましたが、殻の世界シェルズの基盤である奥底……姫宮ひめみやさんが抱えた根底の願いについてはノータッチです。それは当事者である貴方だけが知るべき想いものですから」


 高嶺たかねさんはそう言い切るも、少し後に「ただ……」と小さく口にする。


「手前勝手な推測ですが、あの人は貴方のことを嫌ってなどいないんじゃないですかね。この迷宮ダンジョンは悪意はともかく、貴方への殺害の意志がなさそうですし」

「……高嶺たかねさんは見てなかった知らないけどさ。俺、最初の階層でプールに引きずり込まれかけたんだぜ? これで殺す意志がないは嘘でしょ?」

「ですから推測だと言ったじゃないですか。そこまで親しくもない女の機微なぞ把握出来たら苦労はしてませんよ」


 なんだそりゃ。適当がすぎるだろう。……ま、今の君らしくはないけど君らしい雑さだね。


「だからこそ、精一杯悩んで自分で考えなさい。私と違って、貴方は対話の機会を与えられたのだから」

「……まるでそんな別れを経験したみたいな言い方だね。どっかで小説一本分くらいの大作ファンタジーでも体験してきたのかい?」

「どうでしょうね。ほら、次の階に着きました……よ?」


 誰もがわかるほど雑に話を切り上げながら、最後の一段を降りた高嶺たかねさんは、そこで待ち受けていたものに対して怪訝そうな顔を見せてくる。

 まあわかる。俺もそんな顔しちゃってるもん。だって今回は部屋の扉ですらなく、個室みたいに壁へ埋められた、皆お馴染みの電話ボックスなんだもん。


「階段まで野晒しとは。予算切れでしょうか?」

「……一緒に初見感満載で驚いてるけど、一階下に降りた時に見たんじゃないの?」

「最下層まで一直線にぶちぬきましたからね。階層ごとの情報なんてほとんどないです」


 お、早速たかペディアも知識不足かぁ? ……まあ知ってる方が怖いってのはそうだけど。

 しかし公衆電話かぁ。……なるほど、そういうことね。把握した。


「じゃあちょい待ってて。多分速攻で終わるから」

「……掛けるんですか?」

「もち。こんな番号渡してきたけど、案外素直になれないやつだからさ」


 軽く後ろに手を振りながら扉を開け、個室へと入ってからゆっくりと閉める。

 透明壁スケルトンな完全密室。実は一度も使ったことのない、街中に置かれた公衆電話さん。

 まあちょっぴりぼろっちいけれど、置いてあるってことは使えるんだろう。あいつ、使えなくなった物はすぐに捨てちゃうようなやつだからさ。


「えーっとお金を入れて……お金?」


 受話器を取ろうとして見つけてしまった投入口なる存在を見て、思わず固まってしまう。

 やばい、そういや無料ただじゃないんだっけ。ばっちゃまの家に財布置いてきちまったし、小銭なんてびた一文も持っていないぞ……お?


「お、なんだあるじゃーん。ひーふーみー、……六十円ね。半端」


 適当に探したら、お釣りが出てきそうな下の口から見つけた六枚の硬貨。

 確か十円だけで電話できるんだっけ。うーん便利。一回出て高嶺たかねさんに金借りずとも済みそうだぜ。


 えーっと確か、受話器を取ってからお金を入れて、それから番号を連打するっと。

 ぴっ、ぽっ、ぱっ、と。紙とにらめっこしながら順番に数字を押していく。別に見なくとも覚えてはいるが、それでもお金は有限なので念のためだ。


 ミスなく一通り打ち終われば、受話器から聞こえてくるのは聞き馴染みのある呼び出しコール音。

 さあて出るかぁ? 出るのかぁ? ……この時間が長いと緊張で胸が爆発しちゃいそうだから、お慈悲の心でとっとと出てくださいよぉ。


『………………』


 今か今かと心が揺れる中、ついに呼び出しコール音が途切れて無音へと切り替わる。

 どうやら応えてくれたらしい。……良かった。


「おっす久しぶり。二年ぶりかな? 元気してた?」

『………………』

「無言かよ。そりゃ女声だからパチモン感出てるけどさ。流石にスルーは傷つくから勘弁してほしいぜ」


 自分でわかるくらい上擦った声ながらも、なるべく昔と変わらない調子で話しかけてみるが返事はない。

 やっぱ怒ってるのかなぁ。久しぶりとはいえ、流石に切り出し方まずったかなぁ。


『……Who am I?』 

「え、なに? 雑音ノイズ混じりで聞こえにくいぜ。ふー、あむ?」

『……Who am I?』 


 返ってくるのは怒っているのとは違う、ただただ無機質で濁りまくった問いだけ。

 まるで彼女ではなく、あいつの声をした機械のよう。録音された声をひたすらに唱え続ける、置物と話しているような気分になってしまう。

 けれども、どんなに平坦で気持ちなどこもっていないとしても。あの頃毎日聞いていた、あの気が強くて冷めた尖り声の名残を、俺が忘れるわけもない。


 ──嗚呼、やっぱりお前なんだな。俺を呼んだのは、お前なんだな姫宮しんゆう


「埒があかないな。やっぱりこんな電話越しじゃ駄目だね。俺達の再会は、もっと劇的で感動的でなくちゃね」

『………………』

「だから一つだけ言わせてくれ。──待っててくれ。すぐそこまで行って、お前の問いに答えてやるから。今度は約束破らないからさ」


 言いたいことだけ一方的に口にしてから受話器を戻し、大きく息を吐いた後に部屋を出る。


「もう良いのですか?」

「ああ。待ち合わせの連絡だけしてきたぜ」


 高嶺たかねさんに一声掛け、再び階段を降り始める。

 ……連絡ってこんな簡単なことだったんだな。一度くらい、勇気を出してしてみれば良かったぜ。


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