約束だからさ

 痛みはない。苦しみもない。けれども実感はなく、ふわふわと浮き続ける泡になったかのよう。

 何となく分かる。ここは微睡みの中。深い夢の奥底なのだと、直感でそう納得した。


『目が覚めたかい? とはいっても、ここはまだ泡沫うたかた。所詮は現実と意識の狭間に過ぎないんだけどね』


 何かが聞こえる。声のような、雑音ノイズのような、ただ通り抜けていくだけのが。

 返事は出来ない。口は決して開かず、そもそも口なんて付いてないみたいだ。


『ああ、別に気にしなくて良いよ。一方通行でしかない自己紹介なんて不毛だし、どうせ今知り合ったところで次起きたら忘れてしまうんだからね』

『そも、僕の言葉に意味なんて一つたりともないんだ。所詮僕は隙間で囁くだけの目覚まし時計。こんな君好みの意味深な登場をしても、これから挑むべき骸の鬼との繋がりなんて微塵もないんだからさ』


 男のような、女のような。若者みたいで、老人みたいな。人の気もするし、機械な気だってしてしまう音。

 そんな既知のようで未知でしかない何かは一方的に、それこそ授業で話す教師のように言葉を浮かべてくる。

 

 ああそう。ならそうするよ。どうでもいいことならさ。

 そんなことよりまだ眠いんだ、どうしようもなく。人生で最も学校行きたくなかった日みたいにさ。


『順応性、或いは適応力が高いね。……うん、やっぱりあのが気に入るわけだよ』


 あの娘……? 誰だろう……? ま、いいや。考えるの、面倒臭いし……。


『さて。残念だけど目覚めの時間さ。これ以上の幕間は、言うなれば物語シナリオの無駄なんだ。君が関わる前に外の一件が片付いても良いと言うのであれば、この場を借りて雑談に満開の花を咲かせるところだけどさ。けど、君はそうじゃないだろう? だからただでさえ不足している猶予の浪費にしかならないのさ』


 どういうことかと、あるはずなのにない口で尋ねようとした矢先、ものすごい勢いで意識が空に吸われていく。

 抗うことは不可能。感覚と雰囲気に従ってここを水の中と例えるなら、真上に穴でも空いて一気に放出されているかのようだ。


『うん、安心して。次はちゃんと招待するとも。君と僕が満足いくまで会話できるようになったその時に。誰にもご馳走したことのない、とっておきのお茶請けを用意してさ』

『じゃあ任せたよ、僕の後継者。どうかあの人の、あの意固地で寂しがりでバカまみれな勇者様の側にいてあげてね』


 消える。この場が、この小さな世界の全てが、割れた泡のように水に溶けて無くなっていく。

 まるで最初からなかったかのように。ないこと自体が正しいのだと、認めるように。






 変な夢を見た気がする。別に覚えていなくても良いけど、覚えていたかった一幕の語り、そんな夢。

 思い出そうにも記憶に靄でも掛かってしまう。ま、大事なことではないってことだけは覚えてるし、今はそれで良いのかもね。


「さて。ここは、どこだ……?」


 筋肉痛みたいな地味な痛みを味わいながら、ゆっくり体を起こして周辺を見回してみる。

 壁から天井まで清潔感のある部屋、そして良いベッド。窓から見える空は遮る雲一つない快晴だ。

 自分の部屋でも奏ちゃんのアパートでもないし、イメージ的には病院か? けど一体なんでこんなところに──。


「そうだ。俺は、俺達は確か……!!」


 寝ぼけた脳みそに、ようやく記憶が駆け巡る。あの出来事を濃縮した一瞬が、頭と思考を突き刺してくる。

 そうだ。屍鬼かばねおに。あの化け物の張ったっていう結界をどうにかぶち壊して、それからかくも無惨に負けたんだっけか。

 

 けれどおかしい。それでは理屈が通っていない。これっぽちも噛み合わない。

 敗北。それ自体は仕方のないこと。戦いなんて策を講じていない限り強い方が勝つんだから、力で劣っていた俺達が死ぬのは当然のことだ。

 じゃあ何故俺は生きている? どうしてこんなベッドで寝起き出来ている? いくら一矢報いたとはいえ、あの場で助かる手段なぞ俺達にはなかったはずだ。


 まさか幻覚? それとも天国? 

 ……いや、それはないか。仮に幻覚なら負傷なんてしてないだろうし、そもそも人殺しである俺が送られるのは天国じゃなくて地獄のはず。こんな安らかで快適な空間に招かれることなどあるわけがないんだ。


 けどそれなら、やはりここは何処なのだと、結局戻ってくるのはこの一問。

 そもそも俺は今どういう状態なんだ。正直whereどこかよりも先に、己を知る方が先かもしれないな。


「ステータス、オープン」


 名称 上野進うえのすすむ

 レベル 35

 生命力 150/300

 魔力  280/300

 肉体力 大体150

 固有 閲覧 表裏一体の片思い 影収納 影生成 影操作

 称号 不可能に挑む愚者 死から帰った者

 備考 祝! 一回死亡! ちなみに残機はもうないから気をつけろよ!


 悲報。どうやら俺、一回死んでたらしい。流石に笑えねえけどそれでもつい笑っちまうぜ。

 

「っていうか、レベルも倍くらい上がってやがる。まじで奇跡じゃんか……」


 35なんて馬鹿げた数字の意味を理解した俺は、辿り着いた事実につい愕然としてしまう。

 つまりそれだけ次元違いだってことだろ? 一回死んだくらいで危機を脱した自分が幸運だったと思えちまうくらい、覆しようのない負けイベだったってわけだ。ははっ、阿呆かよ。


 とりあえず、今は助かったことを喜ぶべき、あの化け物から離れられたことを安堵すべきか。

 ……いや、そうじゃない。そうじゃないだろ俺。

 何へたれたこと考えてやがる。あのときあの瞬間は無様に目を瞑って死を受け入れたのってのに、こんな醜態晒しながらのうのうと生を謳歌してやがる。

 確認すべき事があるはずだ。こんな自分の身なんぞよりも、ずっと大事なものがあるはずだろうが。


 柔らかな白い毛布を捨てるようにはぎ取ながら、影からスマホを取り出し操作していく。

 病室でスマホマナーだとか知ったことじゃない。そんなことよりも、確認すべきことが──。


「すーくん来ましたよー。具合はどうです……って、すーくん起きてるっ!?」


 奏ちゃんへ電話を掛けようとしたその瞬間に部屋の扉が開き、馴染みのある声が驚愕を露わにする。

 赤い林檎を片手に持ち、可愛らしくも少しばかり疲労を乗せた大人の顔をしたロリ体系。

 由奈姉ゆなねえだ、由奈姉じゃないか。そうか、助けてくれたのってもしかしてゆな……。


「うわーん良かったよーっ!! い゛ぎででありがどぅー!!」

「近い近い近い。汚れるからちょっと離れてよー」

「や゛だー!!」


 哀れな林檎さんがほっぽり投げられて空を舞い、実にうざったるく纏わりついてくる由奈姉ゆなねえ

 何とか剝がそうにも今の俺ですら倍近く離れた彼女の力は凄まじく、明らかに俺より近い力で振り解けそうにない。いくら思春期で相手が美少女とはいえ、そんなずびずびな液体の垂れ流しを思えるほど倒錯した趣向は持ち合わせていないんだけどなぁ。


 ……ま、今回はいいか。心配かけたのは事実だし、ここは甘んじて受け入れてあげないとね。


「ほーら大丈夫大丈夫。貴方のすーくんは元気ですよー」

「う゛え゛ーん゛!!」


 駄々っ子みたいに泣く由奈姉ゆなねえをしばらくあやすこと数分。

 ようやく吐き出しきって落ち着いたらしい由奈姉ゆなねえは、取り出した花柄のハンカチで顔を拭いていく。

 

「取り乱してすみません。お姉ちゃん恥ずかしい……」

「……それ、まだ使ってくれてるんだね」

「それはもちろんですよ。すーくんと私の心がかよってから、初めて貰った贈り物プレゼントですから」


 当たり前のように嬉しいことを言ってくれる。あげた物を使ってもらえているのを知った時ほど嬉しいことは早々ない。すすむくんポイント百点追加だぜ。


「さて。聞きたいことはいくらでもあるけどさ。とりあえず一つ、俺何日寝てたの?」

「半日です。不幸中の幸いというべきか、すーくんの体自体は治療を受けたみたいに傷はなく、霊力のみの枯渇だったので」


 安心と疑問の混じったみたいな声色で由奈姉ゆなねえは教えてくれる。

 霊力なんて専門単語はピンと来ないが、恐らく魔力のことだろう。赤い果実が林檎であったりアッポーでもあるような感じだと思っておこう。

 ……しかしそうか。なるほどね。負傷がないのは多分だけど死んだせいだな。随分と気前良いじゃん、中の人さんも。


「そっか、半日か。おっけぃ。……じゃ、そろそろ本題に──」

「その前に、お姉ちゃんから謝らなければならないことがあります。これを聞いた後のすーくんに嫌われても仕方の無いことですが、それでも誠意として話さなければなりません」


 学生には真似できないくらいに姿勢を正し、社会人としての顔を覗かせる由奈姉ゆなねえ

 改まって何だろうか。もしや俺の隠しているわけでもないむふふなあれでも発見してしまったとか?


「私は貴方を付けていました。シャドウという人物が何者なのか、それを把握するために」


 ……ほえ? 付けてた? 誰を? ……俺を?


「実を言えば、獅子原ししはら家本邸で出会った際に九割方すーくんだと推測はしていました。けれど彼らと共にある理由に見当が付かず、そもそも一般人であったはずのすーくん本人なのか確証が持てませんでした。だから数日ほど屍鬼かばねおに捜索と並行し、その動向を窺っていたのです」


 まじかよ。全く気付かなかったわ。そんなことしてたんだこの人。


「へー。ちなみにだけどさ、何でわかったの?」

「利き手、筆跡、背丈、体つき、視線、匂い、その他諸々。あんなダサい恰好で誤魔化されても、お姉ちゃんが弟を完全スルー出来るわけがないじゃないですか」

「ださっ……そっか……」


 至極真っ当。まるでこの世の摂理を唱えるノリでとんでもないことを口に出してくる由奈姉ゆなねえ

……ま、多分ここ重要な部分じゃないし気にしないでいっか! この人昔はともかく、仲良くなってからはこんな感じだし!

 それにしても、あれダサかったのか。……ちぇっ、ちょっと気に入ってたんだけどなぁ。


「なるほどね。それで俺が倒れた時真っ先に来れたってわけだ。ストーキングの賜物だね」

「……ごめんなさい。やっぱり怒ってます? 怒ってますよね?」

「いんやぁ? 確かに目が飛び出しそうなほどにはびっくり仰天ではあったけど、まあ結果的には助かったわけだしね」


 ちょっと頬を膨らませて拗ねた感じを醸し出し、かわいい由奈姉ゆなねえを困らせてみたりはするけども、実際は本当に怒ってなどいなかったりする。

 まあもし衝動任せで幼気いたいけな欲望の発露を見られてたら、中身がGグロが付こうが普通のHエロだろうがまずかったけど、幸いこの数日はそういうことはやれてないからノープロノープロ。

 むしろこれは気付かなかった俺の失態でしかない。例えレベルが倍近く離れていようが、俺自身の警戒が足りなかったのは事実だからさ。


「ま、本当に気にしなくていいよ。むしろありがとね由奈姉ゆなねえ。やっぱり頼りになるお姉ちゃんだよ、あんたは」

「──はうっ! お姉ちゃんもういろいろ溢れちゃいそう……!!」

「まあ別に姉じゃないんだけどね。血は繋がってないわけし」

「何を言いますか。血が通わずとも無問題。私は魂でお姉ちゃんやってるからお姉ちゃんなのですよ」


 調子を取り戻したのか、いつものように微笑んでくれる由奈姉ゆなねえ

 うん、やっぱり由奈姉ゆなねえはそっちが良いよ。社会人らしいしかめっ面よりさ。


「それじゃ、だいぶ横道に逸れちゃったけど本題に入ろうか。日本を揺るがすっていう屍鬼かばねおにについてさ」

「そうだね。……入っていいよ」


 由奈姉ゆなねえが大きく一度手を叩く。

 するとその一拍後くらいに部屋の扉が開き、またもや顔見知りが入ってきた。


「やあかなでちゃん。元気そうで何よりだよ」

「……ええ。そちらこそ、大事なくて何よりですわ」


 たった半日程度の再会だというのに、少し窶れた様に見えるかなでちゃん。

 大変そうだね。とても小学生が見せる苦労の表情とは思えないよ。

 けどちょうど良い。そんな君に追い打ちをかけるようで悪いんだけどさ。俺からも聞きたいことが、いや聞かなくちゃいけないことがあるからさ。


「聞いても良いかな。あの場にいた二人のこと」

兄様あにさまは軽傷で済んだので既に復帰しています。……ですがつくは今、危篤の状態です。幸か不幸か、素の耐久力で言えばわたくし達の中でも特別なだったからこそ、瀬戸際ながらに死に抗っておりますの」

「……そっか」


 ふむ、どうやら二人とも死んでないっぽい。どっちも俺より酷かったってのに、よくもまあ生きてたものだよ。……良かった、本当に。


「この期に及んでなお、わたくし達は軽く見ていたのかもしれません。屍鬼かばねおにという化生の力を、かつてこの国を震撼させた厄災の伝説を」

「……そうだね。まったくその通りだよ」


 部下一人の敗北を受け、それでも淡々と言葉を出していくかなでちゃん。

 あくまで冷静に、冷酷に。それはまさに上に立つ者の務めだけどさ。どうにも隠しきれていないよ、その目の腫れ。


「この国は今、未曾有の危機に陥っています。最早善悪を問わず、人々の力を結集させなければ太刀打ち出来ないと断言してしまえるほどに」

「……そうなんだ」

「改めてお願いします。どうかわたくし達に協力してください。一度あの大妖を前にして、それでもなお立ち向かえる力が残っているのなら、どうか──」

「うん、いいよ。もちろん」

「……え?」


 おいおい。そんなひよこみたいに口を開けないでくれよ。愛くるしさで殺す気か?


「まさかベッドの上に置き去りで決戦からハブる気だったのかよ? つれねえなぁ。数日とは言え一緒に飯食った仲じゃんかよ。地獄への道のりはなんとやら、だぜ」


 冗談じゃない。ここまで虚仮にされて大敗を喫してさ、それでも反撃なしで終われるわけがない。

 業腹ながら、せっかくレベルも上がったんだ。この胸くそ悪い雪辱を晴らさずして、一体どうやって自分を慰めてやればいいんだよ。負けたまま指をくわえて見てろってのは勘弁だぜ?

 ……それに頼まれちゃったからな。俺なんぞを助けたバカでお人好しなあの女に、お嬢さまを頼むってさ。なら怖いとか逃げ出したいなんて俺らしい弱音とか、いちいち吐くわけにはいかないだろ?


「ありがとう。ありがとう、ございます……!」

「おいおい、お礼を言うのは全部終わってからにしてくれよ。報酬はこれから貰うんだからさ」

「はい、はい……!」


 体をずらし、今にも溶けて無くなってしまいそうに震える少女の手を取る。

 ほら、泣かないで。あのゲーム大会で見せたような、子供らしい勝ち誇った笑顔でいてくれよ。かなでちゃんだって笑顔の方が似合うんだからさ。


「あのすーくんが、女の手懐け方を心得てる……! お姉ちゃん微妙な心境……」


 おい姉(仮)。今良いところなんだから、シリアス壊すようなこと言わないの。


「さて。その呪骸じゅがいについてだけどさ。ちょっと良いこと思いついたんだよね」

「提案……?」

「そう。あくまでちょっとだけだけど、俺達が有利になるかもな提案」


 二人はきょとんと首を傾げてくる。まるで二種類の整った人形が動いたみたいだぜ。


「ねえかなでちゃん。屍鬼あいつ、復活したとは言え完全じゃないんでしょ?」

「え、ええ。推測ですので断言は出来ませんが、やはり呪骸じゅがいが欠けた状態で完全な再誕とは呼べないでしょう。やはり最後の一欠片を回収しない限りは──」

「そう、その一欠片。この前見せてもらった展示品じゅがいのことなんだけどさ」


 これから挙げる案は、正直拒否されたって文句は言えない、むしろそれが当然のものだ。

 けれど挙げる、挙げさせてもらう。例えどんな世迷い言であろうと、提案しなければ何も始まらないのだから。


「どうせ復活しちゃったんだしさー。あれ、もう封印解いちゃおうぜ?」


 さあ反撃の幕開けだ。みんなでやろうぜ怪物狩り。バケモンハンターの始まりだぜ!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る