こんなにも月は綺麗なんだし

そうして食事会は進み、お皿や鍋の上から食材がほとんど尽いた頃。

 香雲かくもさんとなぎさんが片付けを始め、俺とつくさんとかなでちゃんは用意されたアイスでこのディナーの口直しをしていた。


「改めてごちそうさまこんな美味は生まれて初めてだったぜ」

「そう言ってもらえるのならこちらも嬉しい限りですわ。つくも頑張ってくれましたし」

「あらそうなの? つくちゃんサンキュー!」

「……ふん」


 ここぞとばかりに太鼓を持ってみれば、今回は罵倒がないそっぽを向くという動作だけ。

 お、デレか? さてはこのお食事会でちょっと好感度上がっちゃったかにゃ?


「さて。お楽しみの中で名残惜しいですが、わたくしはそろそろ仕事に戻りますわ。後のことは三人に任せますので、寝室とお風呂の案内あないしてもらってくださいまし」

「ほーい。じゃあお休みかなでちゃんー」

「ええ。お休みなさいませ。また明日、ですわ」


 アイスを食べ終わったかなでちゃんは、お皿を洗い場にいる香雲かくもさんに渡して部屋から出ていく。

 座っているのは俺とつくさんの二人だけ。他の二人の仕事を邪魔するわけにもいかず、テレビもないから碌な音がない。うーん気まずいぜ。


「仕事なんて大変だねぇ。かなでちゃんも学生でしょうに」

「……何か勘違いしているようだが、お嬢さまは今年十一才になられる小学生だ。貴様が軽はずみに口にしている言葉の何倍も苦労していらっしゃる。少しは口を慎め」

「へー小学生……小学生っ!? デジマっ!?」


 いきなり告げられた意外すぎる事実に、思わず心の底から飛び上がってしまう。

 確かに大人びているとはいえ、中高生というには幼さを残した可愛らしさをしているとは思っていたし、何より制服姿を一度たりとも見たことはなかった。

 だけどさ、まさか本当に小学生だとは思わないじゃん。正直同じクラスにいてもまあ通じる、いやそれどころか俺含めた一般的な高校生より精神年齢が高そうな佇まいしてるわけだしさ。


「いやーおどっろれぇたぜ。そうかぁ、小学生かぁ」

「だが気にするな、聞かなかったことにしろ。お嬢さまは貴様との対等な関係を望んでいる。我らとしては業腹だがな」

「……昨日から思ってたんだけどさ。なんできみ、そんなに俺のこと邪険にするん?」


 ふ、ふん! きみのことなんて大嫌いなんだからね! 

 そんなデレもへちまもない嫌悪一色な言葉をぶつけられ、つい俺の方から質問してしまう。

 いくら殺し合った仲とはいえさ? 一緒にご飯食べたんだしそろそろ歩み寄ってくれてもいいんだよ?


「…………」

「あれ、無視? 悲しいなぁ。……ま、いいや。どっちにしろ、俺がやることは変わりないわけだしさ」

「……??」


 俺の言葉につくさんは無視を止め、怪訝そうな瞳をこちらに向けてくる。

 そう、変わらない。あくまでやることは同じ。こんな茶番めいたお遊戯会一つで友好を結ぶなどまず不可能。

 所詮は俺と彼女、そして獅子原ししはらとの関係なんてそんなもの。それでも手を取り合って仲良しこよしするためには、もう一度ぶつかり合うしか道はないのだ。


「表に出ようか仏頂面。交流会レクリエーションの時間だぜ。互いにすっきりし合おうぜ?」


 お皿を持って立ち上がり、もう片方の手で今宵の相手を誘いの手を差し伸べる。

 さあて夜はこれからだ。あの変なお人好しお嬢さまなんて抜きにして、楽しい舞踏会ダンスと洒落込もうぜ?






 月の光と照明が暗闇を許さない、古くおもむきのある安寧荘あんねいそうの敷地内。

 腐っても金持ちの私有地らしく、そこそこの広さを持った庭にて俺と彼女は立っていた。


「好い空、まるであの日の再現だね。ま、今度は多勢に無勢だし、互いに素顔を曝け出してるけどさ」

「多勢に無勢とは一体。我々は観客ですよ?」

「そーだそーだ。我慢できないのはつくちゃんだけだーい!」

 

 向かい合う彼女へと掛けた言葉のはずなのに、返事は階段から投げられる二人の野次のみ。

 当の彼女は未だこちらを睨んだまま。まるで奇妙な物を観察する、美術館に来た客のようだ。


「……熟々理解出来ん。こんな無駄なこと、意味などあるものか」

「そうだね。これもまた無駄極まりない茶番でしかない。……けど、きみは乗った。ならば無意味であれど、決して無価値とは限らないんじゃないかな」


 食後でごろごろしたいと訴える体を解し、貯まっている魔力を体内へ循環させていく。

 

「ルールは無制限。なに、三本先取なんてちゃちなことは言わないさ。互いが折れるまで、動かずとも心がざわつかなくなるまで。これはそういう喧嘩だぜ?」


 影の調子は依然問題なく。思考はすっかり切り替わり、久しぶりな気がする戦闘モードへ。

 俺がそうであるならば、きっと彼女はもっと整っているはず。何せ俺のような戦闘初心者とは違い、彼女は俺が退屈な現実を生きていた間もこの世界でかなでちゃんの側にいたのだろうから。


 相手は格上。俺はいつだって挑む者。

 だから油断はない。雑念もない。殺意すらどこにもない。あるのはただ一つの単純シンプルな思考のみ。今への歓喜。向かい合う強者てきに対しての、飽くなき興奮だけだ。


「さあやろうぜ。いつでもどうぞ、婦人第一レディーファーストってな?」

「……金槌はどうした。舐めているのか?」

「履き違えるなよ。今からやるのは殺し合いじゃなくて喧嘩だぜ? 武器なんていらねえんだよ」


 シンプルな姿勢で構えながら、いらない質問へ指を曲げて誘うことで返答する。

 それを皮切りに、つくの纏う気配ががらりと空気が変化する。ほんの少しの怒りを垣間見せながら、それでも鉄のように冷たく冷静に構えを取る。



 ──生じる数秒の間。先に静観を破ったのは、やはり女の方であった。



 まるで綿のような軽さで、それでなお瞬き程度の数瞬で距離を詰めるつく

 こんな至近距離で見失ってしまいそうになる動作。

 それははやいのではなく自然。人が空気を吸い、街中を歩くかのように当たり前で洗練された初動。


「っ!?」


 振るわれる拳を咄嗟に避け、だがしかし続く大振りの蹴りに間に合わず腕で強引に受ける。

 最速最短で意識を刈り取るため、或いは命すら奪うため。

 一般人パンピーにイキリ散らすその辺のチンピラとは、かつて戦った殺人鬼が刃物を振るうのとは比較にならない。卓越した技量にて放たれる、本物の攻撃がそこにはあった。


「どうした。饒舌なのは言葉だけか」


 真横に吹っ飛ばされ、どうにか受け身を取りながらも、未だ痛みで痺れる腕。

 ふらりと立ち上がる俺を変わらぬ目で射貫きながら、つくは俺へと問うてくる。

 もう終わりかと。こんな程度でこれから共にいるのかと。ありったけの失望を込めながら。

 

「んなわけェ! こっからだぜ本番はァ!!」


 腕へと魔力を重点に流し込み、強引に痛みごと掌握しながらこれからだと吠えてやる。

 こんなところで終わる? これっぽちで仕舞いにする? こんな楽しい夜の演目を?

 馬鹿なこと言ってんじゃねえよ。勝負はこっからだろうが。たった一回ダウン取ったからっていい気になってんじゃねえぞ小娘がよォ!!


 今度はこちらの番だと、地面を踏み抜き一気に加速して拳を振り抜く。

 しかし拳の連打はそれぞれ紙一重で空振りに終わってしまい、返しの蹴りが俺の腹へと突き刺さる。

 速度は負けてないはずなのに、それでもまるで当たる気がしない。

 レベルがそこまで離れていないはずなのに、それでも欠片すら捉えられていない。


 胃からむせ上がった変な液体を吐きながら地面へ跪く俺。

 だが相手はほんの僅かな容赦すらなく、駄目押しとばかりにつくの足が俺の体を蹴り飛ばす。


「……へ、へっ。いってェ、いてェな……」


 食った物全部吐きたくなる不快感と、今まで味わったことのない痛み。

 その激流に呑まれながら、それでもなお俺の口から漏れるのは薄っぺらい笑いだった。

 そうだ。俺に足りないものはまさにこれ。戦闘の感覚と、無限に広がる技術だ。

 だからこそ、嬲られる価値がある。この全身を貫く苦痛と敗北だけが、俺を穴を埋めてくれるのだ。


「何故だ。何故術を使わん。半端な強化だけで挑むなど愚の骨頂。貴様、このままでは本当に死ぬぞ?」

「……けほっ、わか、んねのかよ。さっきも、言っただろ? 喧嘩だってよォ?」


 ふらふらながらに立ち上がる。まるで生きた屍のようだと、心の中で自虐しながら。


「お前らが俺を嫌うように、俺だってお前らが大嫌いだぜ。けどなァ? それで今、必死こいて殺し合う理由にはならねェだろ?」

「な、に……?」


 ああ、そうだ。確かに俺はお前らが嫌いだ。襲撃から始まり、脅迫から生まれた関係で好意が生まれることなどあるわけがない。そんな当たり前のこと、どれだけ異常者もどきやっている俺でさえ変わりはない。

 だからわかり合うことはない。友情を交わすことはあり得ない。どれだけあの変人お嬢さまが手を尽くそうと、俺達の間には決定的に信頼が不足しているのだから、そこから進展することは決して無いだろう。


 だが、それは決して手を取り合わない理由にはならない。協力できない言い訳になどしていいわけがない。

 確かに始まりは最悪。けれど終わりは最高。そんなラブコメ染みた結末など、決してありはしないだろうけど。

 それでも、俺達が同じ道を歩くことだけは出来る。共通の目的がある限り、信用し合うことは不可能なんかじゃないはず。吹き荒れる嵐の中でなら、同じ舟にだって乗れるはずなのだから。


 ……それに、俺はなんだかんだ気に入っちまったんだよ。

 あの幼く賢い、けれど仲良くなるためだけに食事会なんてくだらないものを開いたバカなお嬢さまを。そしてそれを守るべく、そんな主の懐に潜り込んだ不審者を必死に警戒する忠義ある飼い犬共を。

 なら協力したくなるのが人情だろってもんだろ? 後に控えるくだらないごたごたは抜きにしても。

 まったく情けないぜ。たった一食囲んだ程度で、たった一日一緒に行動したくらいで絆されちまってる自分がさ?


「さあ続行だぜつくちゃんよォ。こんなにも月が綺麗なんだし、今宵は果てるまで曝け合おうぜ?」


 出来る限りの虚勢を張りながら、これ以上なくキザったらしい言葉で彼女を誘う。

 返答などありはせず。つく開きかけた口を結び直し、無言でこちらへ向かってくる。

 果たして彼女に応える気があったのか。それとも鬱陶しいごみを払いたかっただけなのかは俺にはわからない。ステータスなんて力は結局、相手の心の内を暴くものではないのだから。


 一拍にて間近へ接近した女。向かい合ったその一瞬、初めて視線がぶつかり合う。


 ──嗚呼ァ、綺麗じゃないか。悪くないぜ、その瞳。


 足が振るわれる。鞭のように撓り、鎌のように切れ味を有した殺意が俺へと迫る。

 回避不能。先と同じ、或いはそれ以上の速度を以て放たれる絶対無比。

 だが凄まじいほどに直線的。情熱的で結構だが、二度目のラブコールにはちと弱いぜお嬢さまレディ


「──なっ」


 勢いは殺さず。疾風の如く迫り来るのであれば、その流れを利用すべき。

 掴むのではなく。獲るのではなく流す。

 相手が素人だと思ってくれているこの一瞬のみ成立する、まさしく猫が思いつくような浅知恵の騙し。

 今はこれくらいが精一杯。器用であると自負はしているけれど、人の心に寄り添えるほど上出来な性能はしていない。けれどそれでいい。今はそんな程度で構わないはず。

 だってそうだろ? お見合いなんてのは最初は辿々しく趣味から聞くもんだ。こっから始まる関係があってもいいじゃねえか。


「……どうだ。はあーっ、取ってやったぜ一本目」


 ついさっきとは真逆。地面へ落とされ、呆然と空を眺める女に勝利を口にしてみる。

 荒れに荒れた息の乱れが止まらない。たった一撃の攻防。ただそれだけで殺し合い一回分の疲労感が身に染みてくる。

 ったく、つくづく体力不足を実感するね。……いや、この場合は心の体力ってやつかな。

 

「……何なのだ、お前は。何故あの方に気に入られ、あんな笑顔をさせられる」

「さあ? ちゃんと聞いてみなよ、自分のあるじに」


 さあね。そんなことは知らない。自分で聞いて解決しろ。


「何者なのだ。何が目的でここまでする?」

「成り行きだぜ? 全部きみと出会って始まったんだぜ?」


 そらそうだ。あの夜きみが殺しに来なければ、今なお俺とお前らが交わることなど無かった。


「……敵じゃないのか。本当に、味方なのか?」

「今回はね。まあ、その辺の答えは自分で見つけて判断してくれよ」


 片方の手で顔を押さえ、ようやく漏らしてくれた包み隠さずな本音の質問。

 ああ、初めてきみと会話した気がするよ。やっぱり会話ってのは好いもんだぜ、野蛮で棘しかない拳なんかよりもずっとな。


「どうだい? 少しは疑念が晴れたかい?」

「……まさか。逆に深まったよ、軽佻軽薄な異常者が」


 俺の差し出した手なぞ掴むことはなく、つくは自力で再び立ち上がる。

 ……きひひっ、好い顔だ。少しはましになったな、その仏頂面もさ。


「さて、もう一戦だ。一勝一敗、負けたままでは私の気が収まらない」

「えぇ……。はあっ、お転婆だなぁ。犬ってよりも馬だね、じゃじゃ馬」


 一応地面に投げてやったにもかかわらず、まったく問題なさそうに構えてくるつく

 タフがすぎるぜつくちゃんよぉ。……あ、そうだ。


「そこの二人ぃ。あんたらも来いよ。してるんだろ? 我慢ってやつをさ」


 大きく吸って息を整えた後、観客気取ったお二人さんへ誘いを掛ける。

 さっき口から漏らしたよな? こいつと同じくらい疑ってるってのに、自分は平気だと無理矢理にでも取り繕ったよな?

 なしだぜ、そういうの。せっかくの交流会レクリエーションなんだ。踊るなら全員で、さ。


「……そんな熱烈に誘われちゃあ仕方ないっすね。大人をからかうとどうなるか、その身体に教えてやるっすよ!」

「藪を突いたこと、後悔しないといいね。蛇なんかじゃ済まないよ」


 一瞬は俺のご指名に面食らいながらも、すぐに牙が見えるほどの笑みで飛び降りてくる。

 三人共が俺を見ている。餌を前にした獣のように、ぎらぎらと。

 好いねえ。退屈どころか昂ぶってきちゃったよ。正直今の一戦だけでぼろぼろだけど、今夜はまだまだ愉しめそうだなァおい。


「来いよ犬共。月が陰るまで踊り明かそうぜ?」


 溢れる歓喜に身を委ね、更に魔力の流れを加速させていく。

 この一夜がどれほど俺の糧になってくれるだろう。ああ、今から成果が楽しみで仕方ないなァ。

 

 こうして始まった腹に一物抱えた同士の交流会。

 その後を表すのは実に簡潔。

 様子を見に来たお嬢さまにお叱りを受けるまで、このあと滅茶苦茶バトりまくった……ってね?

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