第5話 推しが会いに来た

「ではこの書類に目を通して見てもらえますか?」



 弁護士さんが出してきたのは素案の示談書だった。

 今回は持ち帰って再度詰めた内容で作られるみたいだけど。



「今回のことを口外しないというのは飲めません」


「「「「「――――――」」」」」



 弁護士さんと事務所の人はえ? っていう顔を向けてきた。プロバイダの人は、さっきの僕みたいに顔が凍りついている。

 レイラは……顔を見るなんてことできないよ!



「示談はできないということでしょうか?」



 弁護士さんが訊ねてきたけど、僕は示談はするつもりだ。



「ご存知だと思いますが、今回のことで僕のことは騒がれています。潔白を訴えることすらできなくなるのでは、今後の進路にも影響が出る可能性があります。

 べつに口外しようとか、あとになって裁判に持ち込むというつもりはありません。

 あくまでこのことを追求されたことがあったときに、ちゃんと説明できるようにはしておきたいというだけです。

 もちろん具体的に社名をそこで出すとか、そういうことはしないとお約束します」



 なんとも言えない顔をみんなしている。もしかすると思っている以上に僕は厄介な爆弾を持とうとしているのかもしれない。

 情報開示の不手際なんて今まで聞いたことがないし。

 僕がこれを公表したり裁判なんてことになったら、僕が想像するより大事になる可能性もあるのだろうか?

 なんとなくネット記事とかにはあってもおかしくない感じはするけど。



「お約束と言われましても……」



 まぁそういう反応になるよねって僕も思う。向こうからすれば、ここの部分はキッチリしておきたいところなんだろう。



「僕は示談はしないと言われましたが、それでも和解して示談という選択を僕はしています。

 お約束はしますので、説明が必要なときはできるように文言を変えてください。

 僕がやっていないと訴えても信じていただけませんでしたが、今回も信じていただくことはできないんでしょうか?」



 ほんの少し意地悪な言い方になったけど、これくらいは許してほしい。

 大学で仲のいい友だち以外、みんな信じてくれなかったんだ。

 それを僕は当然だとわかっているけど、だからってしんどかったのはかわらないんだから。



「一度持ち帰って会社として検討しなければいけないので、内容については後日こちらからご連絡させてください。

 先程も申しましたが、本当に今回のことは申し訳ありませんでした」



 最後にもう一度謝罪を口にして帰っていった。

 玄関が閉まって部屋が静かになると、どっと疲れたのと開放感のようなものを感じる。

 きっと思っていた以上に精神的に負担だったんだろう。

 そう思うとレイラの配信を見ていたときは違った気がした……。


 ……そこに本物のレイラがいたんだよな。――もっとしっかり見ておくんだったっ!!

 見れなかったからどんな顔をしていたのかすらハッキリとは思い出せないじゃんか。

 なんとなく覚えているのは、少し顔立ちが外人さんぽくって可愛らしい感じだった。

 あと、スーツの上からでも大きそうだったよ。

 なんていうか雰囲気? が配信で見るレイラとすごく似てたような気がする。

 もしかしたら本人を参考に作られているのかと思ってしまった。

 途中だったお好み焼きを食べているときも、頭に浮かんでくるのはレイラのことばかり。

 それで気づいたんだ。



「リアルイベント……」



 もう少ししたらレイラと一分話せるっていうリアルイベントがあり、僕は初めてそれに行こうと思っていた。

 だけどこんな状態で行ける? 今日のことで僕の容姿はレイラにバレちゃっている。

 そんな僕がイベントに行ったら、きっとレイラは困ってしまうだろう。

 そう思うとなんでもっと話さなかったんだっ! なんて思うけど、あの場面で話せることなんかないよ。

 そんなことわかっている。でもファンなら話しておけばよかったって思っちゃうでしょ。

 部屋にある唯一のグッズ、アクリルスタンドを見てついため息を吐いてしまった。


 さっきまで見ていたレイラのアーカイブをつい最後まで見てしまい、思っていたより時間が遅くなった。

 もう日が落ちているなか、僕は洗剤を混ぜた水をバケツに入れて外に出た。

 スポンジにしっかり吸わせてドアを擦る。

 そうすると少し気持ちが沈んだ。だって客観的な視点で今の自分を想像すると、なんか情けないような気持ちになってしまう。


 落書きは水性のものだったみたいで、これでも流れ落ちていく。

 もう季節は梅雨に入っていて、少しだけジメッとした空気。

 少しだけ身体が汗ばんできていた。



「あの」



 バツが悪い。振り返ると玄関の落書きを落としている僕を見つめるレイラがいた。



「あ、えっと……」



 なんの言葉を言えばいいのかわからなくて、意味のないことが口から出ていた。



「あなたに会いに来たの。私にも手伝わせて」

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