怪談よもやま話
烏森二湖
第1話 湖畔の女
大学生時代の話である。
3月、桜もまだまだ咲く様子がない季節に、友人たちと日帰り温泉に行こうという話になった。
前日の夜に車を出して、ドライブを楽しんだ後は山の上にある湖の駐車場に車を停め、温泉施設が開く時間まで車中で待つ。
そんな若者らしいざっくりとしたプランを立て、その日私たちは県境にある夜の山へと向かった。
メンバーはいつも一緒に遊んでいる固定メンバーだった。
女性は私と高校からの同級生でもあるBとHの3人。
男性は車を出してくれたHの彼氏でもあるTと、高校の先輩Kの2人だ。
K先輩は、所謂霊感のある人だった。
高校生時代には先輩の家にみんなで良く泊まりに行っていたのだが、深夜にもなると先輩の怪談話が始まるのが恒例だった。
怖がりな癖に怪談好きの私は、毎回先輩に話を強請っては怖いと騒ぎながら先輩の不思議な体験話を楽しんでいた。
そしてもう一人、Bもまた霊感の持ち主だった。
たまに校舎の廊下や屋上に続く階段で幽霊らしきものをよく視ていた。
身近に霊感持ちの人間が2人も居れば、幽霊や不可思議な話題は私たちにとっては最早日常会話の一部だった。
視えない私には、話を聞いて想像するしか出来なかったが。
そんな2人が居る夜の山に、全く恐怖心が無かったと言えば嘘になる。
しかし遊びたい盛りの私たちには、恐怖もまた娯楽の一部だった。
車の席順はTが運転し、助手席にK先輩、後部座席には真ん中にB、左側にH、そして右側に私が座る形だった。
数時間ほどドライブを楽しみ、湖畔の駐車場に着いたのは夜中の1時を回った頃だったろうか。
温泉施設が開くまで大分時間はあるが、仮眠するなり近くを散歩するなりして時間を潰そうとなった。
そんな風に最初の内はくだらないお喋りで車内は盛り上がっていたが、やはり睡眠には勝てず段々とみんなの口数も少なくなっていった。
気付けば助手席のK先輩はすっかり静かで、どうやら眠ってしまったらしい。
HもBもうつらうつらとしていて、目が覚めているのは私と運転席のTだけだった。
ぽつり、ぽつりと交わされる会話の間に窓の外を眺めても見えるのは街頭の灯りだけで、すぐ側にあるはずの湖も、その湖を囲むように聳えているはずの山々も、真っ黒な闇に覆われている。
私には霊感など全く無いが、じっとその暗闇を見つめていると不意に其処からナニかが見えてしまいそうで、私はなるべくそちらを見ないようにしていた。
時間が経つにつれ沈黙の方が多くなり、私は何か話してくれと隣のBに強請った。
眠そうなBには申し訳なかったが、私は環境が変わると寝れない体質だった。
寝ようにも寝れず、ならばと同じように起きているTに話を振っても、どちらかと言えば口数が少ないTとはあまり会話が弾まず、白けた空気が流れるだけでやはり沈黙が落ちる。
まだスマホなんて無い時代だ。
話すか寝る以外に暗い車中でやれる事はないし、かと言って一人で車の外に出て周囲を探索する勇気もない。
すっかり退屈しだした私は、Bに我儘を言い出したのだ。
そんな私に、Bが目を閉じたまま話し出した。
眠いからだろうか、その口調は普段に比べて緩慢だ。
「湖の水面に、こう、円を描いたように波紋が広がっててさ。その二重三重に広がった波紋の真ん中にね、女の人が立ってるんだよね」
Bが話し出した内容に、私は首を傾げる。
Bが突拍子もない事を言うのは何時ものことだが、今回も大分意味不明だ。
だが、せっかく話題を提供してくれたのだからと、私は大人しく続きに耳を傾けた。
「下半身と手足が異様に大きくて、身体の上に行くほど細くて小さくてさ。シルエット的には逆三角みたいな?あと顔は小さいんだけど目が大きくてギラギラしてるんだよね」
……それは本当に女の人なのだろうか。
Bが言う女の人を、自身のなけなしの想像力で描いた姿は明らかに人外のそれで、少し恐怖心が湧いてくる。
そんな私に気付かず、Bは一拍間を置くとゆっくりと言った。
「……という夢を見た」
夢、と言われて私は一気に脱力する。
まさかの夢オチとは予想外だ。
同じように聞いていたTも「何じゃそりゃ」と苦笑している。
「あ、ごめん。多分一瞬寝てたわ」
あはは、と笑うBに私は呆れとも安堵とも言えない顔をする。
普段から色々なモノを視てるBの言う事だ。
実際に目の前の湖にその女が居るのかと思ってすっかり身構えてしまった。
怪談好きではあるが、こんな真夜中の山中という如何にもなロケーションで怖い話を聞きたいと思うほど、私の心臓は剛胆ではない。
その時、「寒い」という小さな声が聞こえた。
それは、Bの向こう側に座っていたHだった。
ずっと静かだったので、K先輩と同じく寝ているのかと思っていたが、どうやら違ったらしい。
寒いと言うHに、確かにと同意する。
何せ季節はまだ春には遠く、今居る場所も場所だ。
ある程度の寒さを想定して厚着をしてきたが、やはりそれなりに冷え込んでいる。
しかし、先程まで何ともなかったのに急にどうしたのだろうか?と私は首を傾げた。
「寒い、寒い…」
大丈夫かと問いかけるが、Hは寒い寒いと繰り返すばかりだ。
もしや体調でも悪くなったのだろうか。
それにしてもHの寒がり方は異様だった。
両腕で自分の身体を抱きしめて、前屈みに蹲りながら傍目にも分かるほどガタガタと震えている。
人がこんなに震えるのを今まで見たことがない。
本当にただの体調不良なのかと疑問が湧くが、何にしても彼女がこんな状態ならば、温泉は諦めて早々に帰宅するべきだ。
取り敢えずこの騒ぎの中でも未だ寝ている助手席のK先輩を慌てて起こす。
しかし、ここでまた予想外の事が起きた。
何度呼んでもK先輩は目を覚まさないのだ。
隣に居るT君が勢い良く先輩の身体を揺らしても、私とBがかなり強い力で叩いても、それでも起きない先輩に、一瞬ヒヤリとした汗が流れる。
まさか死んだ?と嫌な考えが浮かび、私たちが更に乱暴に彼の身体を叩くと、ようやくK先輩はムクリと起き上がった。
生きていた事にホッとしたのも束の間、先輩は後ろを振り返るとポツリと呟いた。
「あ、やば」
その言葉に、私の背中にぞわりと冷たいものが走る。
先輩がやばいと言うならそれはただの体調不良ではなく、あちら側関連なのだろう。
パニックになりかける私やBに反して、先輩は「さっさと此処を離れよう」とT君に車を出すよう指示した。
普段から淡々とした性格のT君は、特に焦ることなく言われた通りに車を走らせる。
しかし、駐車場を出てすぐの信号がタイミング悪く赤だった。
停車する車に、一刻も早くこの場を離れたかった私は「早く青になれ」と必死に祈った。
長く感じられた時間が過ぎ、ようやく信号が青になり車が進もうとした、その瞬間。
「何で逃げるのよ、せっかく見つけたのに」
Hの、低い声が車内に響いた。
その後、私たちは這々の体で何とか下山した。
辺りはすっかり明るくなっており、幸いにもその頃にはHも正気に戻っていた。
どうやら湖を離れてまで憑いてくるタイプではなかったらしい。
ようやく落着いた車内で、あの時一体何が起きていたのかとHに聞けば、彼女はこう答えた。
「指輪を探してたんだよね。恋人から貰った指輪。せっかく探してくれる人たちを見つけたのに、逃げようとするんだもん」
あれから何十年も経つが、未だに私たちは夜の湖には近付けない。
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