突然日本凋落が加速したらお金持ってるだけじゃどうしようもないかもね

にひろ

第1話

後藤健太は自宅のディーリングルームで瞬きもせずモニターを凝視していた。

部屋の中では3台のPCのファンがお互いに呼応するように強くなったり弱くなったりと唸り声を上げている。それ以外の存在は物音一つ立てず、ある種の静寂に包まれていた。


それぞれのPCに繋がれた32インチの6つのモニターは縦2横3に角をキッチリと揃えて並べられている。そのノングレアな画面にはいつも監視している80あまりの相場板が表示されており、絶え間なく数字を切り替えていた。


彼の目線はそのモニターの端に並べられた二年物から三十年物までの日本国債の数字に固定されていた。そのうちの十年物がチラチラと数字を上下させていたが、その値は徐々に、本当に僅かずつ数字を押し上げているのだ。


健太が相場を始めるより以前にもこんな事があったという事は知っていた。それは13年前の2022年で、その時も大きく日本国債の相場は動いた。


その当時、世界はコロナ禍といわれる新型のコロナが蔓延し、サプライチェーンの停滞から徐々にインフレが始まり、更にロシアがウクライナに攻め込んだ事が致命傷となって供給ラインを一気にタイト化し、インフレを決定的なものにした。


それからの中央銀行の動きは過激なもので、アメリカは2022年の年明けから急激に金利を引き上げ続け、0.25%だった金利は夏には5.5%になっていた。その甲斐あってか、あるいは世界がコロナ禍から正常化しつつあったからかその後の世界景気はどうにか持ちこたえ、インフレを鎮静化しながらリセッションを免れた。


アメリカに加えヨーロッパがその様に大きな動きを見せる中でただ一国、日本だけが無風状態を貫こうとした。当時の日本の国債金利は0%で±0.25%だけを許容範囲として、それ以上は日銀が相場に介入するという方針を取っていたのだ。


そしてアメリカがガンガンに金利を上げる中、日本国債はこれ以上の低金利政策を続けられないと考えられ、海外のファンドから次々と売りを浴びせられた。一瞬のうちに金利は日銀の許容範囲である.025%をうわっぱなれ0.5%をも超えた。


日本国債が海外から売られるという事は国債が現金化されドルに変換されて持ち出されるという事に他ならない。その結果110円前後だった為替は一気に150円を超え、どのメディアもこのまま円安が進行し続けるのではないか、という話題で持ち切りであった。


しまいには日本国債発行量や産業の虚弱さにまで話が及び、果ては日本政府破産論にまで言及する始末である。


結局の所、それらの思惑は見込み違いであった。国への売り浴びせとして有名なものにイギリスポンドを売り崩し、結果的に国を負かした話があるが、外貨準備と異なり理論上日銀は無限に国債を買い集める事ができたのだ。日銀は海外ファンドを締め付ける様に国債を買い進め、政府は為替に介入し、その進行を押しとどめた。


結果的に国債はまた元の値に戻され、為替は一気に円高方向に動いて130円前後まで戻った。更に、日銀は撤退した海外ファンドにざまあとでも言う様に、事の終わりに金利の許容範囲を0.5%にまで引き上げ、その不意打ち的政策変更に金融業界から批判を浴びた。


それと同時にこの事件は国債売買に関して日銀には勝てないという事を投資家にわからせた出来事になったのだった。


当時、健太は中学1年でそれらの出来事は相場下手な父親のボヤキとして聞いていたが、それが何を意味するのかは全く解っていなかった。だが、多分この時損をしたであろう相場好きの父親の影響で健太も大学の頃に相場を張る様になっていく。


健太は相場下手な父親とは違い、あらゆる情報と勘を頼りに博打を打って大きく勝っていた。そしてアパートの一人暮らしから大学近くの高層マンションに引っ越し、悠々自適な生活をするに至る。しかし、折角大学近くに越したのにモニターに張り付きの生活だったため、大学は中退である。


そんな相場上手とも言える健太の唯一の心配が何故かこの国債であった。高校に上がって政治経済の時間に膨大な国債によっていつか日本が崩壊する、という話を先生がしていたことが強く心に残っていたのである。


それは、国債金利が上がれば日本はひどいインフレに陥り、しかも食料の殆どを輸入に頼っているので食べ物すら手に入らなくなるかもしれない、という感じの話だった。その時、健太の頭には中学時代の国債の騒動が思い出され自分が大人になるまでにそれが起こるのではないかと震えたのだった。


そんなわけで健太は常に国債金利を監視していた。もちろん金利が動けば他の市場も動くので金利をチェックすると言うのはある種普通の話だが、健太のそれは少し違った。国債も国債先物も取引していないのに常にモニターの端に映し続けているのである。


確かに国債の発行残高は順調に積み上げられていた。中学の頃から日本の国債発行額は世界一であり、度々日本危機論として話題に上がっていたが、日本政府は順調に国債を発行し続け、今やその総額は1800兆円に及んでいた。


そんなに心配であれば海外にでも移住すればいい話ではあるが、健太は外国語を勉強する気は全くないし、便利な日本から離れ、誰も知り合いの居ない海外に住みたいとは全く思っていなかった。


ただ、その不安に抗うためか健太は金の現物をコインにして持っており、それを机の引き出しの奥底に忍ばせている。そして、そんな健太の心配とは裏腹に国債の金利は13年間1%を超えた事がなかった。


だが、今日は少し事情が違った。いや事情は解らない。解らないが今までと違う変化が訪れていた。


六つのモニターはいつもと変わらずせわし気に数字を切り替え、PCのファンも変わらず唸り続ける。しかし国債金利の値だけはいつもと異なる数字、0.75%に届きそうなところまで値を上げていたのだ。


「なんだ、これ。」

健太が静寂を破る様に呟いた。

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