講師もChatGPTを使ったら
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あなたは大学の日本史の教授です。学生が織田信長について書いたレポートを評価してください。
序論
日本の戦国時代に活躍した武将・織田信長は、その短い生涯で多くの功績を残しました。彼は、自己の野心を実現するために、豊富な政治的才能、軍事戦略、そして信仰心を持ち合わせていました。本レポートでは、信長の人物像や思想、天下人を目指した彼の過程について、その背景と共に考察していきます。
本論
信長の人物像
織田信長は、自己の野心を実現するために、非常に冷静かつ合理的な思考力を持ち合わせていました。また、彼は自身が持っていた才能を最大限に生かし、周囲の人々を指揮する力も持ち合わせていました。例えば、信長は自らの出生地である美濃国を支配することを目指し、自らの信仰する神・薬師如来に祈りを捧げながら、多くの地元の支配者や敵対勢力を従わせることに成功しました。
信長の思想
信長は、当時の武士社会において非常に進歩的な思想を持っていました。彼は、神仏による天命を否定し、人間の力で自らの野心を実現することを目指していました。また、彼は商業や文化の発展を促進することで国を豊かにすることを目指していました。これらの思想は、戦国時代の武士たちには非常に異例であり、信長が非常に珍しい存在であったことを示しています。
天下人を目指す信長
信長は、自らの野心を実現するために、天下人を目指すことを決意しました。彼は、多くの戦いに勝利し、次々と領土を拡大していきました。彼は、その過程で多くの人々を殺害したことでも知られています。例えば、1560年には、信長の指揮下にあった織田軍が甲州征伐に乗り出し、甲斐国の武田信玄と戦いました。この戦いにおいて、織田軍は総勢3万の武田軍を破る。
また、信長は官僚制度の整備や法律制定にも注力し、天下統一後には天下人としての地位を確立しました。信長は官僚制度を整え、大名の身分に応じた地位や役職を定め、各地の大名に対して直接支配するための機構を構築しました。また、天下人としての権威を確立するために、法律制定にも取り組み、『信長公記』や『信長公記』にも記録されている「検地の法」や「田畑制度」など、農民に対する改革を行いました。
しかし、一方で信長が天下人を目指す過程で多くの人々を殺害したことも事実です。信長が統一を進める上で、敵対する大名やその一族を次々と討ち取ったことはよく知られています。また、信長は一般市民や農民に対しても厳しい態度を取り、反乱を起こした民衆を討ち取ることも珍しくありませんでした。信長自身が発起した「本能寺の変」では、信長の家臣であった明智光秀によって信長は暗殺されました。この事件は信長の突然の死をもたらし、その後の天下統一に影響を与えました。
信長は天下統一を目指し、その過程で多くの人々を殺害しましたが、彼の手法には独特なものがあります。彼は、従来の武家の力を尊重することはせず、人材や技術に重点を置き、さまざまな手段を用いて戦略を展開しました。
たとえば、彼は、尾張の岩倉城を攻める際、城壁に接近するために矢を使わずに岩を使い、城壁をくぐり抜けました。また、鉄砲を戦術的に活用し、これまでの戦い方を変えることに成功しました。彼はまた、戦時中でも人材の発掘や育成に注力し、強力な支援者や軍事力を持つ優秀な武将を次々と手に入れました。
しかし、信長は単に戦術的な天才ではありません。彼はまた、文化や経済、政治などにも関心を持ち、多角的な視点で天下統一を進めました。彼は、書院造りの普及、商業の振興、産業育成など、多くの改革を推進しました。また、彼は茶道や能楽、連歌などの芸術にも深く関心を持ち、文化人との交流を楽しんでいました。これらの活動は、当時の戦乱の中で、独自の文化を創造する基盤を築くことにつながりました。
信長はまた、キリスト教の布教を容認しました。当時、欧州からの宣教師が日本に入国し、キリスト教の教えを広めようとしていました。信長は、彼らの教えに興味を持ち、歓迎しました。これは、従来の日本の宗教的信条に対する挑戦であり、多くの武士や民衆が反発しました。しかし、信長は宗教の自由を尊重する立場をとり、キリスト教徒を保護しました。
結論
織田信長は日本史上でも最も有名な武将の一人であり、天下人を目指して多大な功績を残しました。彼の革新的な改革や人材発掘によって、戦国時代の荒廃した状況を脱し、日本の歴史を新たな時代へと導きました。しかし、その一方で、信長が天下人を目指す過程で多くの人々を殺害したことも否めません。歴史を振り返る上で、信長の人物像や思想、功績とともに、彼が持つ暴力的な一面にも目を向け、彼の業績を客観的に評価することが求められるでしょう。
ChatGPT
このレポートは、織田信長についての一般的な情報をまとめたものです。序論で信長の功績を紹介しており、本論では信長の人物像や思想、天下人を目指した過程について詳しく説明しています。文章の構成や文章表現などは良く、信長の思想や行動を紹介する上での詳細な例も含まれています。しかし、一部の文章が長く、読みにくくなっている部分があるため、改善する必要があります。また、信長の負の側面については述べられているものの、より詳細な情報を追加することで、よりバランスのとれたレポートになると思われます。
「まあ、欠点はあるようだが、これで大丈夫だろう」
学生のレポートを読んでいた講師は甘いと思ったが合格を出した。ただし、注文を付けた。
序論で信長の功績を紹介し、本論では信長の人物像や思想、天下人を目指した過程について詳しく説明している。文章の構成や文章表現などは良く、信長の思想や行動を紹介する上での詳細な例も含まれている。しかし、一部の文章が長く、読みにくくなっている部分があるため、改善する必要がある。また、信長の負の側面については述べられているものの、より詳細な情報を追加することで、よりバランスのとれたレポートになる。
「こんなものだろう」
学生へのアドバイス、フォローを書き終えて講師は一息吐く。
「講義には200人も学生がいるんだ。一々全員のレポートを読み切ることなど出来ない。序論、本論、結論の書式が整っているかどうかだけを見て、内容はChatGPTに調べさせる。こういうときは便利だな。ほんと便利な時代になった」
仕事が短縮出来て講師は嬉しそうだった。
前回学生に出した指示もChatGPTが出した文言を自分の口調に直して書かせた。
「学生達のレポートの出来はどうだい?」
直後、教授がやって来て講師に学生のレポートの出来具合を尋ねた。
そして、レポートとその評価を見せられた教授は、講師に向かって雷を落とした。
滅茶苦茶な内容。
史実の出来事を絡めず、表面的な表現に終始している。
しかも、年代や出来事がバラバラ。
信長は尾張出身なのに美濃の出身になっているし1560年に甲州征伐になど行っていない。
桶狭間の戦い、姉川の戦い、長篠の戦いを書かず、岩倉城攻めをさも重要なように書いている。そもそもレポートを読む限り岩倉城攻めを理解していない。
楽市楽座も足利幕府との関係も書いていない。
信長は宗教の自由など保障していない。
確かにキリスト教の布教は認めたが自分の利益になるからだ。
既存宗教の反発はあったが延暦寺の焼き討ちや一向一揆との戦いは抵抗する勢力に対する攻撃だ。その部分を書かずに信教の自由を進めた、などと書いてはならない。
意外と信心深く臨済宗妙心寺派の僧、沢彦宗恩が教育係で岐阜の解明の際に相談に乗ったり安土城に摠見寺を作っているし、桶狭間の戦いでは、熱田神宮に戦勝祈願に行っている。なのに薬師如来に祈りを捧げたというのはおかしい。
これでは信長の事を調べていないも同然だ。
とてもまともなレポートとはいえないのに合格を出すなど言語道断だ。
講師を厳しく叱責すると共に、学生も再提出を命じられたことは言うまでもない。
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