第1話

 幼稚園に通い始めた頃。


 一度だけ見た、世界的ピアニストと母の共演コンサート。


 その日僕はピアノに魅了された。


 _________


 僕の母は日本でも有数のピアニストだ。ピアノ教室も盛況で、「優しく、分かりやすく、続けやすい」そんな言葉をよく耳にする。


 父も音楽が好きな人で、よく母に感想を伝えたり、描き仕事の合間を縫っては母と分担して家事をこなしている。


 優しく、温かい、そんな表現者二人の間に僕は生まれた。


 そんな僕は想いを言葉にする事が苦手で、所謂口下手というやつだ。元々大人しい性格ではあるが、それも相まって“全く喋らない子供”という印象をみんな持っているだろう。


 しかし何かを伝える事は好きだ。


 時間はかかってしまうが、最後まで言い切れると両親の喜んでいる顔を見ることが出来るから。例え言葉でなくとも、父を真似して描いた絵や母を真似して弾いた音でも、どんな形でも伝える事が出来るとちゃんと受け取って褒めてくれるから。


 そういう何かで何かを伝える所は両親と似たんだろうなと思う。






 そんな日常を穏やかに過ごしていたある日。


 この正月を過ぎればもうすぐ卒園だという頃、卒園式で合唱をすることになった。しかも今回は伴奏も園児で行うという。立候補制だというのでもちろん僕は手を挙げた。


 寧ろ歌うなんてしたくない。音楽は好きでも言葉を介すものは苦手なのだ。


 その結果、立候補者は二クラス合わせて五人ほど出た。せめて二人なら小さなオルガンで掛け合い程度は出来たのだが、人数が多いため、後日オーディションを行うことになった。


 普段よりも少し厳しい母にも教えてもらいながら何とか弾けるようになり、オーディションを迎えた。


 平等になるようにと、卒園生全員の前で弾き、先生も含め投票して票の多い人が本番の伴奏者になるようだ。


 僕は今までで一番集中して弾いた。


 ここは優しく、ここは力強く、その次は少し落として、ここから一気に盛り上げてサビへ。


 そんな風に一音一音大切に弾いた。


 周りに上手くとけ込めず、友達もいない僕が唯一皆の輪の中心にいて、溶け込むことが出来た瞬間だった。


 トップバッターで弾ききった僕はしばらく放心状態だった。今までで一番気持ちよく弾けたし、何より楽しかった。アドレナリンが出ていたからなのだろう、終わって席に戻った瞬間どっと疲れが来た。


 五人目が弾き終わり、いよいよ投票時間。その後の休憩時間の間に先生たちが素早く集計し、再び集合をかけられた時に結果が発表された。


 結果は圧倒的な差をつけて、僕に決まった。


 思わずその場で小さくガッツポーズをしてしまう程嬉しかった。


 そこからは毎日家に帰ってきては何時間も練習した。


 ここまでくるともう僕の意地だ。絶対に母をギャフンと言わせてやると意気込んでいた。

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