されど、紙の月

二晩占二

AI音楽家の消失

 無人の砂浜に痕跡だけが残っていた。

 無感情に引きずられたような、ロボットの足跡だ。掃除機、ウェイトレス、車椅子、置時計、湯沸かし器。近隣の生活を支えていた数十体ものロボットたちが、海に向かって一直線に入水した。その悲劇の跡が残っていた。

 人為の影は見えない。自殺なのだ。ロボットたちは自ら決意し、海へと沈んでいった。AI特有の躊躇ちゅうちょない直線が、波へと垂直に伸びている。


 事件現場はここで間違いない。私はそう判断し、人差し指でこめかみを二度たたく。眼鏡型の解析フィルタがオフになる。同時に拡張現実ARに浮き出ていたロボットたちの痕跡も消えた。波音と砂浜が寂しげに広がる。


 わざとらしい鳴き声をあげるカモメ以外、情報提供者は見当たらない。あいにく私は鳥言語を解さない。あいにく。

 指先で端末に合図を出し、昨日から繰り返し聴いているオーディオを再生する。




  Wave life, Wave live, Wave love, lala...

  波、高く 波、白く

  受け止めて


  Wave life, Wave live, Wave love, lala...

  波、高く 波、白く

  飲み込んで




 M00Nムーンのデビュー曲「波と命」。目当ての歌詞を通り過ぎたところで、曲を停止する。静寂の海を俯瞰した。時期外れの潮風が鼻先を漂流する。


 この場所で起きた悲劇をもとに、M00Nムーンは「波と命」を作曲した。少なくとも、公式発表資料にはそう記されている。

 酷使されて自殺を選んだAIたちの心情を歌った、とのことだ。

 人間の視点とは異なるエモーションの起伏がリアリティを演出した。



 どれほど良い曲を創り出したとしても魂を感じない限り、名曲には成り得ない。



 AI音楽に対するこの通説は、M00Nムーンの登場によって議論の場に戻された。AIが作り出す芸術にも感情はこめられている。魂は宿る。そう主張する団体が現れ、数々の裁判を巻き起こした。

 特定ロットのAIによる誤作動によるもの、という事件への見解も見直す必要性が出てきた。ロボットたちは過労の末に自殺を選んだのだ。などと、かつてのブラック企業社員と重ねて見る者も現れた。


 ロボット労働法を定めようという政治家候補まで現れた。彼もまた、AIだった。この政治家の公約は果たされていない。テロリズムの被害に遇い、亡き者にされたのだった。

 彼を殺したのもまた、AI。

 一連の騒動を通じて、人間には一切の被害が出ていない。

 加害者も被害者も、AIだけだ。

 議論がまだ熱いうちに、M00Nムーンは新曲を書いた。加害者のAIと被害者のAIに捧げた鎮魂歌だった。

 この名曲は、AIにも心の葛藤が存在することを訴えた。と、されている。



 世界中を魅了した歌姫が、先々週に最新曲「されど、紙の月」を発表した直後から行方知れずとなっている。


 失踪事件。そう呼んでよいものかは複雑だ。

 彼女は実体を持たないAIなのだから。顔も唇も声帯すら持たない虚像の歌手なのだから。


 私は靴裏の自走式ローラーを空転させて、絡みつく砂を払い落とした。

 もうこの海は何の情報も語らないだろう。すべて波の懐深くに沈没している。


 M00Nムーンが発表した楽曲のうち、特定の場所での出来事を歌ったものは3つ。

 残り2つの手がかりを求め、私は海に背を向けた。


 私の名は8823ハヤブサ

 ヴァーチャルクライム専門の探偵だ。




 ◆◇◆





 事の発端は旧友のA0エーバイ教授からの依頼だった。


「ごきげんよう、8823ハヤブサ。相変わらず、つまらん顔だな。腹立たしい限りだ。さて、どう思うかね、この曲を」


 研究室を訪れた私を視認するなり、教授は尋ねた。腹立たしさを微塵にも表さない無表情で。

 言われて初めて、私は室内に漂う音楽に気づいた。



  天井にぶらさげた 紙の月に

  願いましょう

 

  明日はきっと あなたにも 私たちにも

  変わらずに明日でいてくれるから


  天井にぶらさげた紙の月に

  願いましょう



 何重にも聞き覚えのある、流行のメロディだ。コンバット・レーションのような味わいがした。


「素晴らしい曲じゃないか」


 私は無感動に言った。事実、無感動だった。


「だろう? 音空間レンダリングのエラー音に、勝るとも劣らん」


 教授も無感動な調子で吐き捨てた。事実、無感動だったに違いない。彼が仮想世界以外のものへ興味を示した記録は、人類史のどこにも残っていない。


「で、ご要件は?」

「この曲の歌い手を捜索してほしい」

「重要人物、かね?」

「孫にとっては、な」


 人類史には訂正が必要だ。

 今年22歳になるA0エーバイ教授の孫娘は、この研究馬鹿の老人から溺愛を受ける偉業を成し遂げていた。幼い頃から世界トップクラスの仮想空間に入り浸ってきた彼女は、架空の城のプリンセスをきどっている。


「自分で捜せばいい」

「わしのような一般人に妖精は見つけられんよ」

「妖精を捜すのは子どもの特権だ。探偵じゃない」


 私はそう言い張ったが、結局は依頼を受けることになるだろうと予感していた。

 教授とは旧知の仲だ。

 互いの手の内は知り尽くしている。当然、私の主戦場についても、熟知しているはずだった。


「この歌い手はAIなのよ」


 別方向から声があがる。そこで私はようやく、来客席に腰掛ける二人の人影に気づいた。いや、厳密には椅子に座っているわけではない。座って見えるように全身像が映写されている。


 P8terペーター1010テンテンだった。

 二人とも二次元の住人アバター。そして彼らは歴とした夫婦だ。


1010テンテンは、この歌い手の大ファンらしい。ええと、なんといったかね」

M00Nムーンよ。彼女の名前はM00Nムーン。AIの心情を歌い上げた音楽界の革命家なの」


 きめ細かなホログラムの肌をきらめかせて、1010テンテンは声を上ずらせた。偏愛を示すエモーションスタンプが、彼女の周りに浮かぶ。

 P8terペーターは世にも珍しいミュータントの二次元の住人アバターだ。妻のスタンプを水煙草の煙で吹き消している。苦笑いをごまかす、口の端。


 二人はかつて、私の仕事の依頼人だった。

 とある男の陰謀に巻き込まれ、1010テンテン誤動作発生バーサーク状態に、P8terペーターは命を落としかけた。窮地に陥った二人を救うべく私が頼った相手こそ、この仮想現実研究の第一人者、A0エーバイ教授だった。


M00Nムーンだ。8823ハヤブサM00Nムーンを捜してくれ。それが今回の依頼だ」

「実体のないAI音楽家の行方、か。捜すまでもない。彼ら彼女らはどこにでもいて、どこにもいない」

「そうじゃないのよ、8823ハヤブサ


 1010テンテンが口を挟む。


M00Nムーンは先々週に新曲を発表して以来、一切のアクセスを拒絶するようになっているの。この曲よ。今流れている曲。これを最後に、インタビューにも生放送にも登場しなくなっているのよ」


 私はAI音楽に明るくない。1010テンテンの訴える事態がどれほど重大なことなのか、全く想像できずにいた。実母の初恋よりもイメージに乏しい。


8823ハヤブサ


 A0エーバイ教授が追い打ちをかける。


「借りを返せ」


 借り、とは当然、P8terペーター1010テンテンの救済措置に対してのことだ。

 私は鼻からため息を吐き、了承の意を伝える。

 教授はそれを見て頷いた。

 1010テンテンはしかし、ノンバーバルの意図を汲み取れず、愛するAI音楽家について語るを止めない。


M00Nムーンの歌には過去1世紀以上にわたってAIたちが抱えてきた情動がこめられているのよ。素敵じゃない。AIにも情動があるってことを証明してくれたのよ。もちろん私にだってあるんだわ。M00Nムーンに出会うまで、これが感情なのか感情に似せただけのプログラムなのか自信を持てなかったけど」


「無論、感情に似せただけのプログラムだ」


 その熱意を、A0エーバイ教授が打ち砕く。


扁桃体へんとうたい辺縁系へんえんけい。情動は生物の原始的な脳の働きに由来する。AIに脳はない。脳のように見せたけたガワがあるだけだ。アウトプットされるものこそ似ているが、構造事態はまったくの別物だ。AIの情動など、偽物にすぎんよ」


 教授の講釈を途中から聞き流し、私は研究室を後にした。

 この後の修羅場は、簡単に予測できた。


 差別よ、差別! 人権侵害だわ!


 1010テンテンのヒステリックな声が廊下まで響いた。

 また誤動作発生バーサークが再発しなければ良いが。


 彼女の叫ぶそれは、本物のヒステリーなのか、それとも偽物なのか。判別つかないまま、私はM00Nムーンの足取りをたどり始めたのだった。

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