第1話 転生しているなんて聞いてないっ!
「リリアンヌ、君のことを愛することはできない。君との婚約を破棄させてもらう!」
優美な音楽が流れる夜だった。
婚約者としてダンスホールに誘われ、今から一曲踊るのだろう、と意気込んでいた私に王子が言い放った無慈悲な言葉。
その瞬間、雷に打たれたような衝撃が体を突き抜けた。
呆然と立ち尽くしている私の前で王子は眉間にしわを寄せて一点を見つめている。
「「私(僕)、異世界転生してる!?」」
王宮の一角に位置するダンスホールの中心で顔を見合わせて同時に叫ぶ。
あまりにも大きな声はホール中に響き、何事かとパーティーに招待された高位貴族たちの視線が私たちに注がれた。
私の記憶が正しければ今日は建国の記念日だ。
招待客の中には周辺諸国の貴族もいるはず。そんな日に婚約者を糾弾して、婚約の破棄を言い渡すとか正気の沙汰とは思えない。
しかし、今の私にとってそんなことはどうでもよかった。
「「逃げないと!」」
王子はマントを
ダンスホールから王宮の廊下へと繋がる扉は四つもある。それなのに私たちは同じ扉から廊下へ出て、横並びで走り続けた。
バトラーやメイドを押し退け、同時に王宮を飛び出す。ここまで驚くほどに息ぴったりだった。
「いつまでついてくるつもりですか!?」
「それはこっちのセリフ! あなた、王子なんだから王宮に残りなさいよ!」
「嫌ですよ! このままだったら戦いに巻き込まれるし、殺されるかもしれないじゃないですか!」
「私だってヒロインに嫌がらせしただけで国外追放なんて嫌!」
私たちは息を切らしながらも足を動かし続け、王宮から矢のように放たれた騎士団の追跡から逃れることに成功した。
息を潜めて草むらに隠れる。まだ近くには騎士たちの足音が聞こえていた。
「しつこいな。あなたもこの乙女ゲームを知ってるの?」
声をひそめる私の質問に無言で頷く王子。
攻略対象であるフェルド王子と大きく異なり、見るからに臆病な彼はこの状況下で声を出す勇気はないようだ。
「まさか前世でプレイしたゲームの世界に転生しているなんてね」
私が剣と魔法の冒険ファンタジー系乙女ゲームに登場するキャラクターに転生していると気づいたのはついさっきの事だ。
多分、この王子様も婚約破棄の衝撃によって前世の記憶を取り戻したに違いない。
そうでないとさっきのような会話は成立しないはずだ。
「なんで、どうしてこんなことに」
頭を抱えている王子に小声で
「泣き言を言わない。このままどこかに逃げるよ」
「どこかってどこへ?」
「ゲームと同じならマリリの森へ行こう。あそこなら滅多に人は近づかないはずだよ」
私たちは闇夜に身を隠し、魔物の
「あ、あの、大丈夫ですか?」
どう見ても大丈夫ではない。ダンス用といっても全力ダッシュに適した靴を履いているわけではないのだから息切れくらいするって。
私とは反対に怯えているくせに息一つ切らさない王子が憎たらしい。
彼はおずおずと私に手を伸ばしてきたが、それを拒否して歩き続ける。
月明かりの届かない深い森の奥で浮かび上がる真っ赤な宝石。それが左右二つの目だということは簡単に察しがついた。
魔物。このゲームの世界に存在する敵モンスターである。
「ど、どうしよう!」
腰を抜かした王子はあてにならない。腰の剣は飾りか?
自分一人の力でこの局面を切り抜けなくてはならない、と覚悟を決めて魔物へと手のひらを向ける。
「来るなら来なさい」
木々の影から勢いよく飛び掛かってきた魔物の牙が怪しく光る。
私は直感を信じて手のひらに力を込めて叫んだ。
「ええい!」
これまでに感じたことのない感覚が全身を突き抜ける。
手のひらから放たれた透明な魔力は見事に魔物にぶつかり、体を吹っ飛ばした。
再び立ち上がった四足歩行の魔物が小さな火を吐き出す。
頭の中には迫り来る火を弾き返し、魔物を焼き尽くした上でドヤ顔している自分の姿がイメージできていたのだけれど、現実はそんなに甘くなかった。
私の手のひらから出た魔力は火を別方向に受け流しただけで魔物は健在だ。
「あれ……?」
真っ赤な炎の勢いは留まることを知らず、木々に燃え移ってしまった。
燃えさかる炎を見て、魔物がキャンキャン鳴きながら逃げ出す。
そして、私は自分が転生しているリリアンヌが馬鹿みたいな量の魔力を持っておきながら魔法を発動できない残念な子だということを思い出した。
「これが魔力か。うん、何とかなりそう」
現実から目を背けているが、今でも森火事は被害を拡大している。
この勢いならもう消火はできないだろう。全ての森林を燃やすまで炎は消えないと思う。
だから、見て見ぬ振りをすることに決めた。
「ねぇ、あなたの名前は?」
腰が抜けて立ち上がることができない王子様を見下ろし、白に近い銀髪を耳にかけながら問いかける。
彼は不安そうな目で私を見上げて答えた。
「えっと、この国の王子の」
「そっちじゃないって。本当の名前。名字は?」
「あ、辻です」
「私は美鈴。こっちの方が馴染みがあって呼びやすいでしょ」
彼が転生しているフェルド王子はメインヒロインと結ばれて、この国の王様になるための戦いが始まる予定だった。ルート分岐によっては暗殺されるんだけど。
そして私は悪役令嬢として糾弾され、国外追放になるはずだった。
だから私たちは運命から逃れた。
このままゲーム通りに物語を進めてもメリットがないと判断したからだ。
「これからどうしましょう」
立ち上がってお尻についた土を払いながら不安そうに聞かれても困る。
同じ状況なのだから私だって困惑しているんだ。少しは自分で考えてほしい。
「ゲームと同じ仕様であれば王都に戻らない方がいいのは間違いないと思うけど」
「そう、ですね。でも、住む場所は? 食事や、服も……」
「そんなに心配なら王宮に戻れば? あなたはヒロインのアロマロッテと結ばれて幸せになればいいじゃない」
アロマロッテ――プレイヤーが好きな名前を入力しなかった場合に自動的に設定されるヒロインの名前だ。
私の提案はあっさりと却下された。それは違うらしい。
彼は眉をひそめて、悲しそうな顔で私を見下ろした。
意外と身長が高い。
ゲームではオレ様キャラなのに子犬のような顔も似合うなんて。フェルド王子推しの子たちに見せたらきっと喜ぶだろうな。
私は目を閉じて考える。
異世界転生、婚約破棄、破滅の運命……。そして一つのアイデアが閃いた。
「ねぇ、一緒にスローライフを楽しみましょうよ」
「スローライフ?」
「そう! どこか地方の家に住んで自給自足するの。魔物を倒してお金を稼ぐのもいいわ。服も地味なものに着替えて、身分を隠して過ごすのはどう?」
「僕たちメインキャラクターですよ。そんな生活をさせるのはちょっと」
「じゃあ、人気ランキング1位らしく、堂々と生きれば?」
「ちがっ! 僕も一緒に生きます!」
こうして私たちは乙女ゲームの世界でモブキャラクターとして生きていく誓いを立てた。
マリリの森は全焼したけど、私たち以外の人はいないし大丈夫でしょう。
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