第15話 別れ

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 鬼提灯祭の翌日、ロダンは自転車の荷台に荷物を詰め込むと旅館の受付にいつも枕元に置いていた折口信夫の本と一緒に置手紙を残して玄関を出た。

 見上げる陽は高い。

 財前先生は朝から祭りの片づけで朝から不在だった。その事は昨日のうちにロダンは知っていたから旅費の支払いを既に済ませていた。唯、少し旅の余韻ともいうのか名残惜しさが在って手紙を置いた。

 内容はなんてことはない。


 ――先生、

 短い間でしたが民俗学や地方の歴史というものについて大変勉強になりました。

 もし関西へお越しの際はご連絡下さい。


 ではいづれの時にまた。


  四天王寺ロダン



 ロダンは自転車を押し出してペダルを強く踏み込んだ。踏み込んで旅館から下る坂へ出ようとした時、自分を呼ぶ声がした。

「ロダンちゃん!!」

 ブレーキをかけて振り返る。振り返れば走って来る志穂の姿が見えた。彼女は走り寄るとロダンへ笑顔を見せた。

「行くの?」

 ロダンは頷く。

「ほんまに寂しくなるなぁ」

 関西弁で話す彼女の眼差しが少し翳る。それを見てロダンがにこりと笑う。

「まぁしゃーないよ。僕は旅人やしね。いつまでも同じ場所にはいられないんや」

「まぁね」

 それからふふと笑う。

「昨日の巫女舞見てくれた?」

「見たよ」

「どうやった?」

「中々、綺麗やったよ。あれやったら悠斗君の心を奪えたんちゃうかな?」

「ほんまに?ほんまにそう思う?」

「思う、思う」

 ロダンは思わず相好を崩す。

「そっか、しかし昨日はお姉ちゃんが大変だったね。急にお父さんに巫女舞を踊れって言われて。本当にもうてんで駄目でさ。笑い声も有って結構、恥かいてかなり気持ちへこんだみたい。だって悠斗君の前で大失態だもんね。でもさ、まぁ狐の面を被っていたからお姉ちゃんかどうか、悠斗君には分からなかったかもしれないけど」

 ロダンは話を聞きながら「そうだね」と頷く。しかし彼女の気持ちを押す様に言う。

「まぁこれで一歩リードかも知れへんね」

 気持ちを押されて満足するように志穂が言った。

「リードしたよ。大分ね、昨日の志穂ちゃん、凄く綺麗やったから、悠斗君の心掴んだかもね」

「ほんまに?やった!!ロダンちゃんに言われたらマジでそう思うわ」

 言うとニヒヒと笑う。

 そして笑いながら彼女がロダンの耳元で囁く様に言う。

「ねぇ、ロダンちゃん。…ウチとさ、軽くセックスでもする?」

 あまりにも唐突な突飛な言葉に思わずロダンは仰け反ると自転車を倒してしまった。

 幸い荷物は崩れなかったがロダンの心臓がバクバクと張り裂けんばかりに鼓動が強くなり、困惑と恥じらいが入り混じった顔つきなった。みるみる顔が手に染まり、言葉を選ぼうとするロダンの脳みそが爆発しそうになってがむしゃらに髪を掻いた。

 その表情と仕草に隠された意味が志穂にも分かったのか、彼女は大きな声で腹を抱えて笑った。

「嘘よ、嘘。これは次のラウンドで私が恋を叶えるために行動することよ」

 あまりにも陽気に騒ぐ彼女の声にロダンは自分がからかわれた意味と同時に真面目に捉えてしまった自分を恥じて、余計にがりがり髪を掻いてそれから何度も何度も首を叩いた。

 その仕草を見てアフロヘアの下を覗き込むようにして志穂が言う。

「いやぁ御免ね、ロダンちゃん。からかったりして」

 幾分落ち着きを取り戻してロダンが言う。

「いやぁ。リアルに驚いたよ。そんな事、志穂ちゃんが言うなんてさ」

「そう?」

「そうだよ」

「意外?」

 彼女が無邪気に言う。

「うん」

「でもね、ロダンちゃん。女の子だから、そんなことをおくびにも考えていないなんてことは無いのよ。「恋」は戦い。いざとなれば女の子は大変な戦略家よ、だからこの肉体を駆使してでも勝利を掴むのが女よ!!」

 言ってニヒヒと手を口に当てて笑う。

 ロダンもそんな志穂と顔を突き合わせるとやがて互いに笑い声を上げた。

 やがて二人の笑い声がどちらからともなく消えると志穂が言った。

「…で、次は何処に行くん?」

「そうだね。これからガソリンスタンドのマサさんの所に行ってどこか良い場所がないか聞くよ。マサさんには何でもいい場所があるらしい」

「そうなんだ」

 瞬時の間に沈黙が流れた。流れると志穂は後ろを振り返った。

「やっぱり、寂(さみ)ぃね」

 後ろを向いたまま志穂が言った。

「ロダンちゃん、ここNの事忘れんといてね。勿論、ウチの事もね」

「うん」

 そうロダンが答えた瞬間、急にロダンの唇に柔らかい感触が触れた。

(…あ、)

 何かが触れた、そう思った時には既に志穂はロダンに背を向けて走り出していた。走り出しながら、彼女はロダンに振り返り、大きな声で言った。

「ありがとう!!ロダンちゃん。ウチ、忘れへんからね!!」

 走り去ってゆく彼女の背を見て、ロダンは思った。

 偶然、自分が此処に旅人としてやって来たとはいえ、彼女の未来と運命を自分が守ることが出来ことは、これからの人生で小さな誇りになるかもしれない。

 それから彼女が最後に言った――ありがとうの意味。

 それがどういう意味なのか、然しロダンはその答えを追求することなく再びペダルに力を籠めた。追及なんぞは所詮、旅人の余計な詮索といえるだろう。

 自分はここNを出るのだ。

 後事は此処に残る人々に託すだではないか。



 坂道を下れば九州山地に囲まれた扇状に広がる田園とそれに沿うように流れる清流が見える。

 田園を撫でる風が吹けば自然とロダンの首筋を伝う汗が流れた。

 ロダンは思う。


 ――此処Nは美しい日本の里山なのだ。


 やがてロダンが漕ぐ自転車は坂道を下りガソリンスタンドに辿り着いた。それは次なる目的地への案内図を手に入れる為に。

 ロダンを出迎えたマサさんはロダンに地図を手渡す。

 手渡すと彼は言った。


 ――そこでは僕の紹介だと言ってくれ。

 この田中マサの紹介だとね。


 ロダンは頷くとやがて地図をズボンのポケットに入れて彼に笑顔を残して自転車を漕いでゆく。

 そして見送るマサさんの視界の中でやがて揺れる大きなマッチ棒の姿になったが、暫く行くと大きな通りの曲がりに来て、自転車を停めた。

 ロダンは振り返る。

 振り返るとロダンは軽く湧き上がる惜別に鼻を摘まんだ。しかし摘まんでからやがて自分の指を柔らかい感触が残る唇に触れて、それから静かに手を振った。

 もう二度と来ることがないだろう、美しいNへ別れを告げる為に。






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