第91話 ラストナンバーズ

 上の階から聞こえる剣戟の音が遠くなり、更にずっと階段を下りていくと、そのうちに聞こえなくなった。

「ミリカお姉さん、1人で大丈夫でしょうか……」

 名残惜しいように、上を見ながらリザリィが心配している。

「なーに、残ったのはミリカ姉さんだ。ダメなら、どうせ俺らが居ても全滅だぜ」

 あっけらかんと、ミリカでダメなら何やってもダメだろうという、所謂『ミリカ論』を唱えるレネィだが、この論に説得力はあった。

「その通り、ミリカ姉を信じて大丈夫だよ。それより、また例の音が聞こえるから、近くの階に敵が居るね……無視したいけど、気付かずに通れるかな。狭いところで襲われるよりは、広いところで戦いたいなぁ……」

「無理ね、さっきバカ騒ぎしてたから、全部気付かれているわ」

 アンリの一刺しに、モカはギクッとして、リザリィとレネィも気まずい顔を見合わせた。

「ま、この塔に入った時点で、主には知られているわ。気にしないで騒いでね」

 彼女は人との会話に慣れていないので、優しさを見せたつもりだったが、何故か逆効果だった。

「あ、あれ……? 喋りなよ。爆笑小話、笑いを堪えるのが大変だったのに……」

 静まり返ってしまったモカ達に気を遣うが、覆水が盆に返ることはなかった。


*


 緊張感のある静寂が階段を支配していた。

「この気配は……そんな……」

 数階降りた階段の途中で、先にいる者の存在を感じ取ったノワールが呟いた。次のフロアに下りきると同時に、後方に居たリザリィが叫んで、走り出した。

「アンテセッサ‼ 生きていたんですね!」

 部屋に待ち構えていたのは、確かにノースポールの聖獣、アンテセッサに似た姿だった。

「あぶねぇぞバカ野郎! 生きているわけねぇだろ、こいつはきっと、お前の知ってる奴じゃねぇ!」

 咄嗟にレネィがリザリィの服を掴んで引き戻すと、彼女の目の前で獣の牙が交差した。

「あわわ……レネ、ああ、ありがとうございます……」

 容赦のない殺意に、リザリィはぺたんとお尻を地面に着けて顔を青くした。

「誰だ、ここは聖域だ/😤人間の入って良い・襦😠ない!」

 先ほどのフローレスと同じく、存在自体がブレている印象だ。

「アンテセッサ! 私ですよ、クオリスのリザリィです! のんたん、前みたいに触ってあげてよ、ね?」

 目の前の獣が、以前自分が膝枕した獣とは違う存在なことは薄々分かってはいたが、それでもリザリィは正気を取り戻そうとした。

「ノワール、行け! ここは俺とリザリィで引き受ける。お前が居るとコイツが希望を見い出してうるせぇわ!」

 リザリィのフードを左手で掴みながら、後ろを振り向かずに右手で追い払うジェスチャーをした。

「……実は私も、情が移って困っていたんだ。レネ、リサをどうかお願いね」

「ケッ、揃いも揃ってお優しいこって。まー任せとけ、こんな悪趣味な虚像は、無関係な俺が粉々にしてやんよ」

 早く行け、とばかりに最後に手を振って、弾を込め始めた。

 リザリィのことは気にかかるが、レネィが一緒なら大丈夫だろう。あの2人は何故か犬猿の仲のように見えることもあるが、実際は夫婦のように仲が良い。

 2人の言い合う声を尻目に、ノワール達は先へ行く。


*


「……ノワール、あの、非常に言い辛いんですけどね」

 また階段を降り始めてからしばらく経って、モカが久しぶりに、少しだけ申し訳無さそうに喋った。

「ノノアが居ないんですよね」

「えっ、ホントだ! いつの間にか、居ない!」

 全く気がつかなかったが、よく見ると周りにはアンリとモカしか居ない。

「……どうします? 戻って探します?」

 心配は心配だったが、ノワールは悩んだ。

「戻ってはいけないわ。あの子達の気持ちが、無下になってしまうから」

 いつもノワールの決断に口を挟まないアンリが、珍しく意見した。

「でも……」

「ノノアなら無事でいるから安心して。それよりあなたは、余計な体力を使わないようにしないと」

 そう言い合いながら階段を降りている間にも、次の敵が待ち受ける階に着いて、目の前の脅威に注視せねばならない状況になった。

「20F……残りは、あいつしか居ない」

 待ち受けている敵の正体は、何となく予想がついた。誰かが意図して、正義の柱と交戦した者達を模倣しているのだろうとノワールは考えた。

「……やっぱり思った通りだ」

 実際には模造品だと分かってはいても、ルーデンスの姿を認めると、彼女の耳と尻尾は総毛立って天を衝いた。

「タグは……『オメガルーデンス』ね。ノワール、落ち着いて聞いて。分かっていると思うけど、ここは私が引き受けるわ」

 アンリは屋敷で適当に拾ってから、ずっと持っていた箒を水平に構え、魔素を巻き上げて意志を表示した。

「いや、分からない! 一緒に戦えばいいでしょ! 1人より2人が、2人より大勢の方が……」

 ベルガモットに1人で行こうとした時は、エリクにそう言って止められたのだ。

「あのね、ノワール。それは戦力差が全く分からない時とか、確実に勝てるか分からない時の話」

「80%以上既存データの2体、それ以下の未確認データが1体。排除する」

 オメガルーデンスが5メートル大の光の円柱をアンリに向けて高速で射出したが、目の前で呆気なく消滅させられる。

「つまり何が言いたいのかというと、私が負ける可能性っていうのは、100万分の1もあり得ないってことなのよ」

 アンリは本当は『余裕の微笑み』を見せたかったのだが、表情筋が死んでいたために、不気味になってしまった薄ら笑みを浮かべ、見えない力でモカとノワールを階段の近くまで弾き飛ばした。

「……ノワール、アンリの気持ちも無駄にしないよう、行きましょう」

 最後に残ったモカは、まだ少し納得のいっていないようなノワールを引っ張って、先を急いだ。


*


 より一層静かに階段を下りていく。2人の足音を除いて、響くのはいずれかの上階から来る振動や、遠く小さな轟音だ。

「モカちゃん、次の階にまた居るよ。今度の奴は、人間みたいだ。気を付けてね」

 あまり上階の方に居た時は、捕捉出来なかったパターンの音だった。

「『10F』ですね……ちなみにモカちゃんは戦いませんので悪しからず」

 モカは薄紅の両手剣プリンセスツヴァイを抜き身で抱えてはいたが、弱さは折り紙付きだったので、最初から期待はしていなかった。むしろ、これで頑固に「私に任せて、先に行ってください、後から必ず追いかけます」とか言われたら面倒だったから、安心した。



「やぁやぁ、こんなに深くまで、ご苦労様だったね。どうだったかな? ちょっと完成までは間に合わなかったけど、どうだい上のおもてなし作品達は。面白かっただろう? あえて大量の魔物を造らずに、その分の魔素を全部集めて作ってたんだぜ? 集めた情報も組み込んで、更にパワーアップするつもりだったんだけどな」

 無機質な机のような灰色い物体の上に座って、待っていたのは銀髪銀瞳の少年だ。

 こいつと対峙するのは久しぶりになる。ネルヴィアで悪徳商人の断罪を行う際、邪魔をしてきたとき以来だった。

「確か、アルジェントと言ったかな。貴様が我々をおびき出した犯人か? 誘拐は罪だから、私がその首を断ち切ってやる」

 ノワールが赤い刀身の長剣を鞘から抜いて指した。言行一致の断罪宣言だ。

「いやぁ、それは僕じゃないんだ。だけど悪いコトはいっぱいしてるからさ、断罪できるならしてみなよ!」

 アルジェントは挨拶代わりに、どこから取り出したのか、ノワールに向けて、短剣を3本投げてよこした。

「こんなもの、剣を使うまでもない」

 良く見ていたノワールは、飛んできた短剣が彼によって作り出された情報体であることを瞬時に見抜いて、左手で振り払うと霧散して消えた。

「ふふ、物理のなんかに当たっていたとは思えない、本当に大したものだ。僕はね、ずっと見ていたんだよ、ノワール。君が血を流すところも、苦悩するところも。僕は、僕は君のことが好きなんだ」

 狂気を孕んだ笑顔に異常性を感じ、2人とも飛び退いて警戒した。

「ノワール、嘘は言ってませんが……こいつ……」

 珍しくモカが複雑な表情を浮かべている。悲しみ、憐憫に近い表情だろうか、今はその正体が分からなかった。

「なんだっていいよ。おいで、全部私があげる」

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