第15話 秘密のお出かけ
運命の女神の都市『ロイーダラーナの土手』は空中都市ではあるが、広大な土地と周囲を囲む浮島の数々のおかげで農産と畜産も成り立っている。またその景色から他の都市からの物見遊山客も多いのだが、アレッシアにはひとつ疑問があった。
「他の都市の人達ってどうやってロイーダラーナに来てるの?」
ロイーダラーナを見て回りたい。
アレッシアを危険な目に遭う可能性を減らしたいルドに駄々を捏ね続けた結果、リベルトやイリアディスなどの支援を得て許可を得た。
連日「外出したい」攻撃を受けたルドはうんざり気味なのだが、その姿が少し面白いのと感じたのは秘密だ。人狼族は誇り高い種族だから、あまり冗談が通じない。揶揄ってはいけないよとリベルトに教えられてからはなるべく真面目に接している。
「呑み込んでから喋れ」
「ふぁい」
「手もしっかり拭け、その手でいざというときに触られては敵わん」
ただ相手は作法……もっといえば『女神の候補者』にふさわしくない振る舞いには厳しいので、例えばいまみたいに市場を歩き、食べ歩きしながら質問する場合は目を光らせながら睨めつけられる。
その眼光と圧は重く、常人ならばたちまち身をすくめるだろうが、悲しいかな人間とは慣れる生き物だ。何度もルドの眼圧をもらったアレッシアは「ああうん」くらいの気楽さで先に揚げパンを完食した。中に炒めた挽肉と野菜が詰まっており、胡椒が効いてぴりりと後を引く。やや油っぽさはあるものの、肉との相性も良いし小腹を満たすにはぴったりだった。
「まったくもう、いちいち小煩いんだから」
「なにかいったか。文句を言う暇があるのなら、いますぐ帰っても構わんのだがな」
「なんでもなーい」
そして話してみて思ったのは、ルドも案外面倒見が良いのかもしれない。はじめはぶっきらぼうで子供嫌いなのかなといった印象を受けたのだが、他の人と話すうちに段々と彼のことがわかりだした。ぶっきらぼうでいつも怒ってる風に聞こえるのは愛想が足りないからで、ため息が多いのはアレッシアに失望しているからではなく、子供が苦手だからと思われる。
しかし子供っぽさを捨てて大人らしい振る舞いをすれば「無理をするな」と叱られたので、女神候補者に対する厳しさはありつつもアレッシア個人に対する思いやりも感じられ、なんだかんだで悪い人狼ではないとの評価に落ち着いた。
「それで質問の答えだが、普通は都市の垂直下にある港まで船で来る必要がある」
「港まで作ってるの?」
「ロイーダラーナはここ数百年は同じ場所に留まり移動していないからな。到着後は都市と地上を繋ぐ乗り物にさえ乗れば到着というわけだ」
「はー……え? それってどんな乗り物になるの」
詳細を聞いてみると、なんと巨大気球が存在しているらしい。
また風の向きについては心配する必要はなく、女神が常に一定に保っているため風の向きなどで悩まされる心配はないらしい。安全ではあるが、超常の存在が絡むと変なところで便利らしかった。
「ただあれは乗れる人数が限られている。観光的視点では人気だが、ロイーダラーナに行くためには時間も食うからな。慣れた者はほとんどが転送門だ」
「てんそうもん」
なんと便利で、なおかつわかりやすい言葉だろう。これほど便利な道具があるとは驚きだが、使用は神殿の許可が必要なため、少なくとも誰彼構わずに解放しているわけではなさそうだ。
「乗ってみたいなぁ」
呟いてみたが、アレッシアの興味を引くと気付いていたらしく、簡潔に「駄目だ」の一言で終わった。
「ま、わかってたけどね。いいもん、今日の目当ては食べ物だし。……屋台が多くて目移りしちゃう」
「おい、あまり離れすぎるな」
このように度々注意されるが、正直その心配はない、とアレッシアは思う。
なぜならアレッシアも街に繰り出し、他の人狼を見て初めて知ったが、ルドは人狼の中でも別格だ。服装がといった意味ではなく、長身で、人狼族らしいといわれるメリハリの付いた体躯でも、明らかに鍛えていると伝わる仕上がった体躯だ。加えて背負っている大剣は武器の中でも異質らしく、また軽々と背負っているために人の目を引く。
せっかくアレッシアが目立たぬようローブを目深にかぶっているのに、これではまったく無意味ではないか……と思い始めるくらいだ。
この考えはあながち間違っていないものの、アレッシア本人は気付いていないとすれば、筋骨隆々の人狼族が人間の子供を連れている点だ。互いが互いの振る舞いや外観のせいで目立っていると思っているため、ヴァンゲリスあたりがいれば突っ込んでいたかもしれない。
「次は浮島と都市を繋ぐ大橋に行こう」
「まさか向こう側まで渡るとは言うまいな」
「言わない言わない。だってそこまで歩く体力ないもん。絶対途中でへばっちゃうから外から見るだけ」
それにまだルドに言っていないが、ロイーダラーナは観光名所の名が恥じない通り、どこに行っても人だらけで、大通りなどは思うようにゆっくり歩けない。ルドがいるから人々は道を開けてくれるが、そうでないなら歩くのも一苦労だが、皆楽しそうなのが印象的だ。
地上から来たらしい家族連れは、雲へ近い景色が新鮮なのだろう。空へ手を伸ばしてはしゃぎあっていた。
都市は下層部なら大概どこにいても人が闊歩している。ストラトス家がある中層から上の区画の出入りは自由だが、特別区らしく無体を働けば斬られても文句は言えない……と聞いた時は「さすが異世界」と感心した。
ただし女神への参拝は許されているらしく、神殿の一部敷地内までは開放されている。試しに聞いたら、謁見の間は最重要区画なので当然関係者以外立ち入り禁止らしい。
ルドは都市外の人間であるものの、アレッシアに会う前にひととおり都市を巡っている。
彼女の希望通り大橋を目指し始めたのだが、その途中でピタリと動きを止め、ある方向を凝視した。
アレッシアもつられて同じ方向を見たのだが、そこで「あ」と声を漏らした。
見覚えのある男性が不安げに周囲を見渡している。男性は間違いなくアレッシアの後見人役たるストラトス家のヴァンゲリスなのだが、間違っても上流階級の人が入る場所ではなのだが。市場から少し離れた、やや治安のよろしくない……歓楽街とも言えそうな通りに面している酒場だ。
彼は索敵能力は高くないらしい。距離があったとはいえ、二人には気付かず店に入っていった。
「え、待ってルド。あれってまずくない?」
ヴァンゲリスについては様々問題が指摘されていた。もしああいった場所に出入りするような人と付き合いがあるのなら……偏見は持ちたくないが他の人ならともかく、借金など問題を引き起こすヴァンゲリスではイマイチ信用が足りない。
おまけに誰もつけず一人で入っていったとなればアレッシアも焦り出すのも仕方なかった。
果たしていまから戻って間に合うのか。その間に借金などされたらたまったものではない。あまりに後見人に問題があれば家を変えることも可能だが、すでにストラトス家が気に入っている身だ。ヴァンゲリスも頼りないとはいえ、イリアディスの監視が入っている分には話のわかる人だった。何を隠そうルドが子供が苦手だと気付いたのはヴァンゲリスで、都市を見学したいと言ったアレッシアを後押ししてくれたのも彼だ。
「自らの住む都市を知りたいと思うのは悪いことじゃないだろう? 子供だ危険だからと隠し続けては元も子もないんだ。それよりもまずは彼女の好奇心を殺さず手伝ってあげるのが私たち大人のやるべきことだよ」
などと皆を説得してくれたときは感激したのに、これはすべてが台無しだ。ルドでさえ彼の言葉に一理あると納得していたのに、目元をとがらせ牙を向き出しにした。人間ならば血管くらい浮き上がっていたかもしれない。
「あの男、また性懲りもなく……」
「どうしよう、イリアディスに報告しに戻る?」
「いや、それではもしよからぬ話をしていた場合間に合わん。もしストラトス家の醜聞が流れてしまってはお前の不利になる」
「ああ……うん、でもそれは、そこまで気にしなくても……」
「この間のトリュファイナに公の場で馬鹿にされても文句は言えなくなるぞ」
う、とさしものアレッシアも「いまは放っておこう」とは言えなくなった。
とはいえアレッシアを一人にするわけにもいかない。このときルドは相棒のリベルト不在を恨んだが、彼には彼の役目がある。また観光程度ならば問題ないと軽く見てしまったのが裏目に出た。
ルドはぐっと奥歯を噛む。大変遺憾ではあるが、試練前にアレッシアの周囲を騒がせるわけにはいかない。ロイーダラーナの五家は結束関係にあるものの、同時に敵対関係でもある。ただでさえ立場が弱いとみられているアレッシアの周囲に醜聞を撒くわけにはいかない。しかしながら彼の矜持が、まだ十数年程度しか生きていない少女に酒場を見せるわけにはいかないと囁いている。
アレッシアはまだ気付いてないが、ロイーダラーナは比較的性にも奔放な都市だ。ああいった酒場は昼間でも水稼業や性を売る男女が出入りしているし、公には子供の出入りは禁じられているから間違っても連れて行きたくない。もしリベルトがいても同じ判断をしたと彼は信じている。
「……仕方ない。アレッシア、そこの店の前で待っていられるか」
「あ、じゃあ本を売ってる露天商さんの前で待ってる。……すぐだよね?」
「あの糞……阿呆の首根っこをつかんで戻ってくるだけだ。百も数えぬうちに戻ってくる」
「わかった。じゃあ待ってる」
「絶対だぞ」
「わかってる。知らない人にはついていかないから」
固く約束をすれば、ルドは外套を翻して場に向かっていく。まるで絵になりそうな姿は、自身の護衛ながら感心してしまうものの、ずっと見つめているつもりはない。
ヴァンゲリスは心配だが、ついでに面白い本でも見繕えば良い。そのつもりで本売りの露天商を目指すのだが、途中、あることに気が付いた。
へ? とまたもや間抜けな声が出た。
今度はヴァンゲリス以上に街中にいるはずのない人物で、一瞬だが目の錯覚を疑ったほどだ。
アレッシアのライバル的存在……と、勝手に位置づけたマルマーの巫女トリュファイナがひとりで街を歩いている。
服装を変えてローブを目深に被っていた。以前と違うとしたら護役を連れていない点だが、彼女自身もそれを理解しているのか、少々挙動が不審だ。
トリュファイナはアレッシアに気付かない。前とは打って変わって、不安げな表情で建物を確認しながら歩いている。
やがてある細道を見つけると、意を決した様子で路地に飛び込んでいったのだ。
アレッシアはというと……十秒ほど悩んだ。
悩んだ末に、悪い顔をした青年達がトリュファイナを追って路地に入ったのを目視して、ううう、と唸った後に走り出したのだった。
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