第8話 少しのお別れと素敵な出会い
問いかけは無意味だとわかっていた。エレンシアをはじめ、ほかの少女達もきっと外の世界に興味を示さない。だから友達が困った様子で首を傾げたのも、返事をしてくれないのも、少し傷付きはしたけれどすべて承知済みだ。
エレンシアはアレッシアに「ごめんね」と謝った。
「アレッシアがここを出て外を見たがっていたのは知っている。こんなことを言うのは不謹慎かもしれないけど、私たち、アレッシアが女神様の後継者に選ばれてとても嬉しいの」
「そういう言い方は良くないと思う。私じゃなくって、エレンシア達がここから一生でられないみたいで嫌」
アレッシアはエレンシアに、ひいては彼女をきっかけにして他の子達にも外の世界に興味を持ってもらいたい。だけど彼女達はそのつもりがないし、祈りという「大事な役目」を重んじている。
だから女神に直接尋ねたのだ。
試練に挑むひとりになるかを聞かれた折、不敬だと知りながら問わずにはいられなかった。
「私たちは孤児院から解放されることはできるか」と。
これに女神は「お前が女神になれば可能だ」と答えた。
アレッシアは皆が「お祈り」や神殿に拘る理由がわからない。未だ思い出す気配もないし、まったくもって一切不明だが、知らないなりに彼女達が女神に縛られているのは肌で感じている。誰かがそう言ったわけではないけれど、アレッシアはそのことを思う度に無性に腹立たしいし、自然と解放なんて言葉も出ていた。
彼女達の意思は自らの願いとは正反対だ。解放を望んでいるのは自分だけであり、余計なお世話なのも、放っておけば良いのも知っている。
けれど違う、と心が訴える。
アレッシアはエレンシアを、彼女達を解放したいし、そうしなければならない。
いまのままではダメだ、動かなければなにも変わらない。
胸を掻きむしりたくなる感情をうまく説明できないまま、黙り込んだアレッシアを友人はどう感じたのだろう。
「あのね、私たちはここにいたくているんだよ。誰に強制されてもいないし、騙されてもいないの。だからアレッシアは自分のことだけ信じてほしいな。だってアレッシアが女神様になるのなら、私たちにとってこれほど嬉しいことはないんだもの」
アレッシアの変化を喜ぶエレンシアに偽りはないし、笑顔を見ると何故か胸が締め付けられるが、どうして少女達を案じる己がいるのか不思議でならない。これは間違いなく“前の自分”ではないはずで、寒気と虚しさが身体を満たす。
「それでも私はあなたたちに、いま見えているもの以外の景色を見てほしい」
「アレッシア」
「いまは興味がなくても良いよ。お祈りが必要って言うなら、みんながそうしなくたっていい下地は私が整える。ここを出たって構わないようにすればいい」
その上で孤児院に残りたいなら彼女達の選択を尊重する。ただアレッシアはなにも知らず、なにも選択がないまま、これが至上だと笑顔で現在を受け入れる生を認めたくない。
「戻るなり変なこといってごめんね。でもさ、私が女神様になったら、一回だけで良いからエレンシアも、みんなも外に出てここじゃない景色を見よう」
「でも……」
「大丈夫、そのときにはエレンシア達の祈りやここにいる理由は違うものに変わってる……と思う」
ただ、アレッシアは祈りの理由や必要性をなんら思い出せないが……。
アレッシアが言い募ったからか、頑なだったエレンシアも少し心を揺らした。いつかでよければと約束したが、彼女もひと言忘れなかった。
「でも、あなたはあなたの目的をどうか忘れないでね」
目的とはなんだろうかと思いを馳せるが、前のアレッシアを指しているのだろうか。皆の話を聞く限り、記憶を無くす前のアレッシアは皆と同じで思想や言動も変わりのない……強いて言えばお祈りに熱心で、だれよりも皆を気遣っていた女の子だったらしいから、エレンシア達と変わらないのではと考えている。
この言葉を聞くと少女を乗っ取ってしまった事実が重くのし掛かるが、まさか中身が違うとは言えずに笑顔で頷いた。
約束を終えたアレッシアにはあまり時間がなかった。
世間に出たことのない彼女に詰め込まれるのは通貨や買い物の仕方、世界共通の常識……ではなく「試練」に挑むための心構えや他の神々に対する知識と礼節になる。学ぶ量が多すぎて知恵熱を出したものの、十日に及ぶ準備はつつがなく進んだ。
出発の日、アレッシアの荷物は鞄ひとつのみだ。
入り口までの見送りは神官長と孤児院の子供達、送迎はカリトンが担うことになったが、馬車の姿は見当たらない。
「本当に歩きで大丈夫かね。ここから街までは相当歩かねばならないよ」
「大丈夫です。初めてまともに歩く外ですから、せっかく見るならここの景色を見ていきたいです」
「とてもとても遠いのだが……」
「平気ですよ。神殿までだってすぐだったでしょ、あれの馬車分くらいまでは歩けます!」
胸を張るアレッシア。老体がちらりと視線をずらすと、アレッシアの死角でカリトンがひっそり頷いている。「心配いりません」の意図を汲み取った神官長は幼子の頭を撫でた。
「どうかお前に女神の愛が絶え間なく降り注ぎますように」
「はい、ありがとうございます。行ってきます」
エレンシアや他の少女たちにも挨拶をして、姿が見えなくなる最後まで手を振った。道はどこも一本道で、両脇は緑に囲まれている。ゆるやかな坂道をくだるアレッシアはカリトンとお喋りを続けるが、その表情は少し冴えない。
「なんで試練を受けるのに新しいお家に住む必要があるんですかね」
「試練に挑むための準備を整えてくれるからだ。心配なくとも敬虔な信徒が選ばれるから不自由はしない」
「孤児院住みじゃだめ?」
「各々が平等な状況で挑む必要がある。アレッシアはディオゲネス、トリュファイナ、ギーザを知らないだろうが……」
長すぎて未だ覚えきれない候補者達だ。指折り覚えている順から特徴を述べていく。
「…………トリュファイナさんが巫女で、ギーザさんが人狼くらいなら」
「カークルハイのディオゲネスも覚えておくべきだ。彼は人だが、噂によればどなたかの神の子だとも噂がある」
吃驚するアレッシアに、カリトンは憮然と続ける。
「マルマーの巫女に、人狼ギーザだってとんでもない大物だ。詳細はストラトスの家長が語ってくれるだろうが、彼らの姿形に惑わされて寝首を掻かれるんじゃないぞ」
「寝首って……」
「試練の内容は僕にもわからない。だが、油断すべきじゃない」
まさか試練を受けるだけなのに過剰に言い過ぎだ。笑い飛ばそうとしたが、この少年は冗談が得意ではない。鬱々とした視線に、真面目すぎる気質が好ましかったのだと思い出せば、笑いはやがて乾いて行く。
神官長は試練の内容を語ろうとはしなかった。礼節を重んじることを大事にしていたからてっきり試験や力試しのようなテストだけが主体かと思っていたのだが……。
カリトンはアレッシアの頭に手を乗せる。わざと体重をかけ、少し負担になるよう調整しながら、彼女にだけ聞こえる声で伝えた。
「世界はお前のように神に疑問を覚えたりはしない。大多数は神を重んじるものばかりだし、中には長い寿命をいただくためならなんだってする輩もいる。それが神になれるとなればなおさらだ」
「はい」
「いいか、初めからなにかを成そうなどとは考えるな。生きることだけを考えろ。最後に生きてさえいれば、挽回の機会はいくらでも訪れる」
言葉の真意は、このときのアレッシアには本当の意味では伝わっていない。けれどカリトンが心から忠告してくれたので一生懸命頷いた。
残りの道程は言葉少なめに、ただ散策を楽しむために道を下り、やがて現れる長い階段を降っていく。一時間以上階段を下った頃にはアレッシアはへとへとなのだが、目だけはきらきらと輝いている。
何故なら眼下には都市が広がっている。運命の女神が管轄するは空中都市ロイーダラーナの土手は確かに中に浮いている。手すりから覗く地平線は遙か遠く、雲の方が手に届きそうなほど近い。
「に、しても、降っても降っても辿り着く気がしない……!」
「ロイーダラーナは内外に魔法がかけられている。空間が広げられているから、近いと思った場所が遠く、遠いと思う場所が近い」
「へ」
「このまま歩くなら丸一日を費やす。途中には宿もないが、このまま歩くか?」
それで神官長が難色を示していたのかと理由を知り、アレッシアは青ざめる。うん、と頷いた少年は指を咥え笛を鳴らした。
高い音と共に、どこからか足音が聞こえてくる。人のものではない、獣の足音。野性味を帯びながらも気高い姿。荒々しい毛並みを風で揺らし、空を走ってやってきたのは一匹の狼だ。
しかも大人以上の大きさがある。高さだけでアレッシアの身長と同じくらいだった。
「狼!?」
「普段街中で呼び出しはしないが、お前を送りとどける役目なら必要だろう」
アレッシアを狼の背中に乗せ、二人乗りの要領で狼を駆るのだが、これが未知の体験だった。否、そもそも狼の背に乗る自体初体験だが、空中を走る狼などもっと見たことがない。足が動き、躍動する感触を味わうアレッシア。
眼下に森や都市を見下ろす光景は感嘆を漏らすに充分で、たちまち狼の虜になった。
建物郡も美しかった。孤児院や女神の神殿が白亜仕様だったから予想していたが、特に大きな建造物を除けば基本は四角形の直線的な建物が連なり、屋根はカラフルに彩られてまさに夢のような光景だ。はしゃぐうちに狼はひときわ大きな屋敷の前に到着した。西洋洋館風だがところどころをロイーダラーナ調に趣を弄った白と緑が美しい館で、他の家々からも距離が離れている上に緑がふんだんに使われ、庭まで所持している。
「着いたぞ、ストラトス家だ。迎えがいるはずだから気合いを入れろ」
「カリトン様ともお別れ?」
「お前を引き渡してからな」
違和感はさておいて、名前を聞いて息を呑んだ。
これが試練への参加を承諾したアレッシアの新しい家、新しい住まい。彼女のために力になってくれる心強い人々。彼らに任せれば万事がうまく行くと神官長は保証した。
最初の挨拶が肝心だと背筋を伸ばし、震えそうになる声を誤魔化した。ぎくしゃくした足取りで庭を進むのだが……。
「あれ?」
誰とも出くわさない。これほどの館なら誰かいても良さそうなのに、出迎えの一つもないのだ。アレッシアどころかカリトンも怪訝になり、奥へ進んで行った。ついに重厚な二枚扉へ到着すると開くのだが……。
出迎えに来ているはずのストラトスの者が使用人一人としていなかった。ついカリトンに目を向けると、少年は高速で首を横に振る。巫女長や神官長が手配を間違えるはずがない。額に汗を流し中に踏み出すと、奥でガシャンと大きな音が鳴った。奥からは女性の悲鳴が響き渡り、得物を握ったカリトンが走り出す。
「カリトン様!」
「なるべく離れるな、ついてこい」
ついてこいと言われど少年の足は速い。たちまち姿が見えなくなってしまうのだが、必死に足を動かし到着した先では、想像の斜め上を行く展開が待っていた。
開いたドアの前でカリトンが立ちすくんでいる。悲鳴はなおも続いており、やっと追いつけば少年の背中で隠れた内部を見るのだが、悲鳴と思っていたものが怒鳴り声だと気付いた。
「このお馬鹿、スットコドッコイ! 腰抜けの根性のないろくでなし!!」
「ごめん、ごめんってぇぇぇ」
「ごめんで済んだら世話ないわ。あたしとの婚約記念日を忘れておいて何様!?」
「違うんだ、忘れてたんじゃない。ちょっと借金を返しに出てただけで……」
……服装だけは立派な風体の男性が女性の腰にしがみつき、顔中からありとあらゆる液体を流して懇願している。
これはいかなる光景か。対応に困っていると、二人も客人の存在に気付いたのかアレッシアと目が合った。
「あら、どちらさま?」
「あ、えっと。今日からこちらでお世話になるアレッシアです」
なぜかスラスラと言えた。
ストラトスの家長ヴァンゲリスと、彼の婚約者イリアディスとの出会いだった。
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