第2話 馴染むだけで精一杯

 アレッシアになる前の記憶は定かじゃない。

 ただ彼女は一般的な女性で夢を持って働いたのか、働こうとしていたのかは覚えている。社会構造はなんとなく覚えているも家族構成や友人関係は定かではなく、ぼんやりと知覚しているのはニルンと呼ばれるこの世界に呼び出されてからの話だ。

 有り体に言えば運命の女神に召喚された。

 そこで彼女は何故か並んでおり、女神官に言われたのだ。


『そなた達五名はこちらにおわします我らが運命の女神の後継として励んでいただくことが決まりました』

 

 こんなこと言われてしまったら普通は混乱する。

 彼女も例外ではなく、素っ頓狂な話と、勝手に決められた状況に納得できるはずもなく、問答の末、そんなものは断ると言ったら命を絶たれてしまったパターンだ。

 あとは気が付いたらアレッシアになっており、現状把握に努め、前世の二の舞を防ぐべく馴染もうとしている最中だ。素っ頓狂な理由で殺されたのに神を信奉しろなど納得できるはずがない。

 だからアレッシアには信仰心がない。もとより多宗教が当たり前で、宗教とは馴染みの薄い生活だったし、神のせいで殺されたのなら敬愛などできるはずがない。神官長の言葉も響かなかった。

 お祈りの時間は苦痛だった。考えるのは今日の食事の献立だが、異世界料理の物足りなさは否めない。

 お祈りがこれが終わると神官長に呼び出された。

 白髭を蓄えた老人は厳しいが悪い人ではなく、お祈りの時間の所感をアレッシアに伝えるのが恒例となっていたが、この時も残念そうに言われた。


「アレッシア、今回もお前に力の発現は見受けられなかったよ」

「そうですか――でも、次があるかもしれませんし、このままお祈りに励みます」

「うん。うん……まだお寝坊さんは治らないが、前ほどの失敗はなくなったと聞いている。カリトンもよくやっていると褒めていたし、自分を取り戻すのはすぐだろう」


 落ち込んではいないのだけれど、神妙にしていれば神官長は勝手に誤解している。ただこの時は、意外な言葉に目を丸めて尋ねていた。

  

「うそ、カリトン様が褒めてくれたんですか」

「嘘なものか。彼はここにいる皆の子らをひとりひとり、よく気にかけてくれている。それはお前とて例外ではないし、それだけあの子が孤児院を気にかけている証拠なのだよ」


 がっかりさせ叱られる場合も多いが、このように神官長も優しい。アレッシアにも柔らかく微笑むと頭を撫で、なるべく彼女を元気付けようとしてくれる。

 前世は勝手に殺されたのだ。

 本来なら恨みを携えてこの世界の人間を恨むはずが、この老人をはじめとした人々が悪い人でない、というのが嫌いきれずに厄介だった。


「神官長様。私はいっこうに思い出せませんが、力とはいったいなんなのでしょう」

「それは、お前がすべてを取り戻してから、自分で気付くべきものだ。わしごときが伝えて良いものではないよ」

「ですが知らなければ力について考えようもありません。神官長様は偉い方なのですから、知っているんじゃないんですか」


 アレッシアは席を立ち老人に解を求める。他の子供達は敬虔なる信徒たちばかりだからこの振る舞いにある神官は眉を潜めたが、老人は違う。可愛い子供達を見つめる眼差しは慈愛に満ちている。

 その笑みを見て、殺された私まえの私にかけられた無慈悲な声が蘇り、同時に感じた。


 ――こちらの方がよほど神なんかより優しいではないか。

 

「焦る必要はない。我らが女神の愛はお前にも余すことなく届いているのだから、ゆっくりと養生し、祈りを捧げればまた力を取り戻せるだろう」

 

 こうして面談を終えるが、アレッシアにあるのは『力』とやらを取り戻せない自分への反省より、周囲と足並みを揃えられない気まずさだ。神を想うわけではなく、ただ早く終わらないかなと考えるばかりだったから、それで『力』が発現しても困る。

 肝心の力についてもどういうものなのかさっぱり教えてもらえない。素直に部屋に戻る気になれず、腐った気分で住居棟の裏側に移動する。今日はお祈りの時間があったから残りは自由時間で、他の子が出てくる気配はない。

 陰に隠れ、体育座りで足を動かした。


「力ってなんなのよ、こんなのわけわかんない」


 白い衣装が土で汚れるのも気にせず、目に付く範囲の雑草抜きに精を出す。不機嫌な様子を隠さないアレッシアに近付いたのは黒髪の少女だった。


「アレッシア、お部屋に戻らないの?」


 エレンシアだ。アレッシアが記憶を亡くして以来、一番世話を焼いてくれる友達だった。


「探してくれたの?」

「神官長さまのお話も終わったはずなのに戻ってこないから気になってたの。そうしたら、他の子が、あなたがこっちに歩いて行ったって教えてくれたのよ」


 エレンシアは神官長との間にどんな話があったかは聞いてこない。内容は察しているだろうが、尋ねればアレッシアが黙り込むと知っている。だから手にした包みを開いて見せてくれる。


「ほら、これを一緒に食べよう。甘くて美味しいよ」

「これ……」

「大丈夫だよ。ちょっと大きいのはみんながアレッシアにって分けてくれたぶんだから、ちゃんとしたおやつだよ」


 乳をたっぷりつかうバターケーキは贅沢品だ。孤児院ではお祈りの日にだけ食べられるご馳走で、子供達で均等に切りわけて食べる習慣がある。味は砂糖と油分たっぷりで単調だけれど、ほとんど甘味と出会えない生活ではそんなものでも貴重品だ。

 そのうえ孤児院の子供達は四十人ほどいるから分けてもらえる量はほんの少しだけ。それがエレンシアの両手の平いっぱい乗っかっていて、たっぷりのバターの油分が包み紙に染みを作っていた。


「はい、食べようね」

「エレンシアは食べないの?」

「私は食べてきたの。それはアレッシアのぶんだし、いっつも夜ご飯足りてないでしょう? 余ったら明日食べて、そうしたらお腹も空かなくなるよ」


 アレッシアにしてみれば、周囲が小食すぎるのだ。肉体年齢はおそらく十二頃と推測されるが、年頃には毎夜薄焼きパンと玉蜀黍のスープだけでは量が不足する。明らかに栄養も足りていないのに皆は血色も変わらないし、健康を損なわない。空腹過ぎて時折カリトンから肉を分けてもらうアレッシアとは大違いだ。

 そんな調子だからアレッシアは常時お腹が減っている。渡されたバターケーキに目が釘付けになり、ごくりと喉を鳴らしたが、衝動を堪えて隣を見た。

 アレッシアが食べるのをいまかいまかと嬉しげに待っているエレンシアだ。

 うう、とうめきを上げた彼女は苦渋の表情でバターケーキを二つにわける。小さい方をエレンシアに差し出したのは、空腹に負けたせいだった。


「アレッシア? 私はいらないよ」

「食べてきたって嘘つかなくていいからエレンシアも一緒に食べよう、その方が私も嬉しい」


 エレンシアは断るも、アレッシアも決して譲らない。「ん」と塊を差し出したまま、ぎゅっと目を瞑り顔を背け続ける。エレンシアはやがてケーキを受け取ると、さらに半分に割り、片方をアレッシアに差し出す。


「私はお祈りもあったし、これだけ食べられれば充分だから、あとはアレッシアが食べて」


 こうして二人が並び、黙々とケーキを咀嚼する。手がべとべとになるのも構わず、アレッシアは一口をいっぱいに、エレンシアは小さく食むように。砂糖の甘みとバターの風味が口内に広がり、頭の芯から溶ける心地だ。

 周りに誰もいないのを確認して、アレッシアは尋ねた。


「ね、エレンシアは会ったこともない女神様を信じているの?」


 他の人には絶対に聞けない問いも友人は笑わない。


「信じているというより、疑っていないわ。だって私たちの傍にいらっしゃるから、案じてくださっているのがわかるもの」

「エレンシアもそう言うんだね。私にはさっぱりわからない」

「それはいまのアレッシアが疲れているだけ。祈りが通じれば、ちゃんと女神の御許にお声が届くわ」

「……だとしたら私の祈りは届かないかもしれない」


 神に祈りが届かないのは不信心の成せる技か。

 アレッシアを受け入れてくれる幼い友人。

 前の自分についてぶちまけてしまいたい衝動に駆られたが、咄嗟に止めた。

 実を言えば、それは最初の目覚めの折に試みようとした。


「違う人が私に寄り添っているような気がするんです」


 こんな風に、一番話が通じそうな神官長に話したら荘厳な小部屋に連れて行かれて半日の祈りを捧げさせられた。以来、アレッシアはこの事実について口を噤んでいる。

 祈りは届かない……アレッシアの弱音を聞いたエレンシアが驚きに目を見開くと、彼女の手を取り捲し立てた。


「そんなことないわ。たしかにあなたが倒れてから変になっちゃったっていう神官様はいるけれど、私は……ううん、私たちは本当に、アレッシアは凄いと思ってるのよ」

「エレンシア?」

「だってあなたは習ってもいないのに計算ができるようになったじゃない」


 アレッシアの数ある失態のなかの一つだ。

 まさか勉強レベルが遅れているとは知らず神官長達の前で計算ができると証明してしまったら、これがエレンシアたちをいたく感銘させてしまった。


「他にもたくさんの物語に意味を教えてくれたわ」

「え、どんなのだっけ」

「たくさん話してくれたじゃない。獅子の群れに囲まれた牛の親子の話」

「あ、ああ、あれか……」

「私たちはどうしてお母さん牛が仔牛を先に逃がしたのかわからなかったけど、あなたが母の愛を教えてくれた。まるで愛の神のお言葉を聞いたみたいって私は感じたのよ」

「あの、いや、それは物語の読解力というもので特別なものでは……」

「ほかにもあるわ。神官長さまに「どうして」をたくさん聞いて、カリトン様には戦士のなりかたや、外の世界について知ろうとした。気分が悪い子がいたらすぐ神官さまを呼びに行ってくれた。私たちにない、たくさんの不思議をあなたが率先して聞いてくれるの」


 アレッシアとしてはどれも当たり前の質問をしただけで、感銘を与えるような行動はしていない。だからなにもしていない、といえばエレンシアは違うと否定する。

 

「いいえ、あなたはとってもすごくって、きっと私たちの中でも特別なの。だからどうか簡単に諦めたりしないで」

「う、うん。ありがとう、ね……?」

 

 勢いに圧倒されてしまう。

 たびたび疑問に感じるのは、この孤児院はお祈りに傾倒する一方で、教育が偏っているのではないかという点だ。物書きや文字は教えてくれるし蔵書室も出入り自由だが、少女達はいまいちなにかが偏っている。

 かといって神官長達には標準的な常識や教育は備わっているから、ニルンこの世界の学力が低いわけではない。むしろ星の巡りや、太陽の時角の推移から時刻を定める技術はずば抜けて高く、一日の時間がおよそ地球と同じらしいとも把握している。

 アレッシアの知識は前の自分が受けた義務教育の成せる技なのだが、読み書きはともかく、複雑な算数や国語を習ったことのないエレンシア達にはわからない。

 だからこの生まれ変わりで幸運だったとしたら、いまのアレッシアは他の子と比べ、考える力が飛び抜けている部分だ。


「エレンシアがそう言ってくれるなら、頑張ってみる」

「うん。応援してるし、私もできるだけ力になるね」


 神への信仰を基礎とする世界。突如放り込まれた集団生活に、食への不満足。常に付き纏う空腹や新しい世界へ馴染むための努力。そんな中で笑顔をくれるエレンシアや他の子供達は、アレッシアにとっていくばくかの救いになっている。

 だから少し、聞いてみたことがあった。


「ねえ、孤児院を出て外の世界を見てみたいとは思ったことはない?」

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