第4話


 ✽


 来るべき日がやってきた。


 戦争の終着点、終わりへと向かう為の、始まりの戦争。正義を主張する者同士が衝突し合う、最後の日。


 その日、僕は真実を知った。

 

 戦場の最前線。数多の自軍が敵国前線を突破する中に、今まで追い求めていた姿を見た。忌まわしき英雄の剣を振り翳し、敵を討つ。屠ることに囚われた、兇徒の有り様。


 そこに、かつて優しく微笑みかけてくれたヴィトレアの面影は無い。



「あぁ、そっか」



 そう、言葉にした。それはヴィトレアに届きはしないだろう。鋼がぶつかり合う金属音で掻き消されてしまうし、叫んでも届かない距離に君がいる。

 

 それでも、君は僕が納得することを知っていたはずだ。



「もう、いいんだね」



 声が震える。視界が涙で霞んでいく。それでも、確かなことが一つ。



「そう、生きていくと決めたんだね」




 君はもう、救われることを望んでいない。




 君の人生は葛藤の連続だっただろう。英雄に選ばれてから八年、後悔しなかった日などないはずだ。


 誰よりも正義を願っていた君のことだから、それに反する悪行を続ける自分に絶望した。それでも君はそうするしか無かった。平和の為、安全の為、村の為、そして僕の為に。


 戦ってきたのは己の中にある正義感。国だの、敵だの、人だの、そんなものではない。皮肉な話だ。正義感の強い君が、その正義感に心を壊され続けたのだから。


 そうしてずっと、君は歩み続けた。


 辛く、痛く、苦しく、怖かったはずだ。何度も泣いて、何度も心を押し殺して、剣を振り翳したはずだ。幾重にも血に塗られたその両手を見て、振り翳した剣に正義を見出そうとしたはずだ。


 君は何人も殺したし、地獄に追いやった。数多くの人々が君を恨んだ。その声は自国の血を知らぬ国民に掻き消され、聞こえなくとも、君は感じ取っていた。


 だから、君は救済を求めない。敗戦国の人々を地獄に落として、自分だけが救われていいはずがないからだ。君はそれを誰よりも理解している。


 君は数多くの罪を犯した。その罰として、何億もの罪を背負っている。捨てることのできない、正義を背負っている。


 誰もそれに気づけなかった。気づいてやれなかったんだ。人は自分の平和を正義だと思っている。そしてその平和に沿う道中が、他の誰かにとっても平和だと勘違いをしている。そんな利己主義の果ては、他人の犠牲の上に成り立っているということに気づかずに。


 ようやく、その時を迎えた。


 ヴィトレアの剣が敵前線を率いていた敵兵を切り裂き、前線を突破した。しかし帝国軍の前線はとっくに撃破され、残るのはヴィトレアと後方に待機していた僕のみ。


 ヴィトレアは剣を下ろし、次々と荒れた大地に放された剣を突き刺していった。


 一本、また一本。戦死した誰かの剣を、不自由になりかけている体で墓とする。


 やがて無数の剣が突き刺さる荒れ果てた大地が作り上げられた。その大地の丘に、幾千の屍を背にして立つ。穢れた剣を手にして、血に塗れた体躯が彼女の最期を示す。ついに、人間の域を超えた彼女は膝を折った。


 ようやく、僕は君に駆け寄れる。



「もう、充分かい」



 赤に染まった白銀の髪が揺れた。それと同時に混迷を帯びた瞳が僕を覗く。



「辛かったね」



 誰にも気づいてもらえなかった。背負った罪も、罰を受ける人生も。自分の中にあった正義と、英雄の運命が背反してることを知り、葛藤に葛藤を重ねた。


 さらには大歓声を受け、また罪を背負う人生。



「苦しかったね」



 それは苦しかったはずだ。誰も自分を分かってくれなかった。幾人の人生を救うために、幾人の人生を犠牲にした。正義を追い求めていたはずが、他の正義を潰すだけの人生に成り果てた。



「どうしようもなかったんだ」



 理不尽だと泣き叫び、それでもその罪科は許されず、生き続けた。どうしようもない人生だっただろう。どうしようもない、地獄だっただろう。



「それでも、君は変わらない」


 君は相変わらず優しい人だ。奪ってしまった命の為に、正義を掲げた剣を以て墓を建てたのだから。罪悪感を抱き、涙は流せずとも痛みを知っている。


 君は相変わらず正義感の強い人だ。君の心を闇に覆うことなど何度でもあっただろうに、君は命の尊さを忘れなかった。



「ねぇ、ヴィトレア」



 その小さい体を抱きしめる。



「もう────いいんだよ」



 救われてはいけない、なんてことはないんだ。君はもう充分に苦しんだ。充分に傷つき、充分に壊れ、充分に罰を受けた。


 それを認められず、生きてきた人生を、もう終わらせていい。


 きっと待ち望んでいたはずだ。八年間、ずっと誰かに言って欲しかったはずだ。そうしなくては報われなかった。英雄の御剣を手にした時から、罪科に殺され続ける悪夢を終わらせるには、誰かが君を救うしかなかった。


 ならば、僕が君を救おう。君のことを誰よりも愛する僕が、君が誰よりも愛する僕が、君を救おう。



「……────」



 口を開けては閉じるを繰り返すヴィトレア。もう声を出す力さえ無いのだろう。


 彼女の頬に手を添える。親指で頬を撫で、微笑んだ。



「ありがとう」



 そうして、ヴィトレアは初めて剣を離した。



「……ごめんね」



 もうこの声は届いていないだろう。閉じられた目はもう二度と開かない。故に、僕は英雄の剣を手にした。


 前方に敵軍隊が見える。目測で約五百。おそらく敵軍の援軍だ。


 自軍は壊滅寸前、残すのは英雄の剣を手にした僕のみ。圧倒的絶望の戦況だが、敗走は許されない。



「あぁ、怖いな」



 これから、僕の人生が始まる。


 誰よりも平和を願い、誰よりも正義を振り翳した君の存在を証明する為の人生だ。


 だから、僕は君の歩いた道を征こう。



「ヴィトレア、見ていて欲しい」



 英雄としての一歩を踏み出す。これから君の歩んだ道を征くと思うと足が竦んでしまいそうになる。


 これから先、何度も僕は泣くだろう。何度も後悔して、その全てを押し殺して生きていくはずだ。理不尽に足を掬われ、転び、起き上がらなくてはならない人生だろう。



 それでも。



「君が生きていたことを、僕が証明しよう」



 それでもいいんだ。それで君が少しでも報われるのならば、僕はこの心臓でさえ捨てることができる。



「征くぞ」



 君が英雄で在ったことの証明を。君の英雄論が、正しかったことの証明を。



 他の誰でもない、僕が示そう。



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