第2話 旧き家系の絆

 しかし、パフォーマンスをして見せたからと言って今現在アウレーシャが直面している馬車が無い問題が解決するわけではない。何しろここから実家へは馬を使って約5日の行程、それを徒歩で制覇するのはいかにも非現実的だ。


(いや、そもそも私は本当にあの実家に帰りたいのか……)

 アウレーシャはふと考え込む。


 なにせ10年間手紙のひとつも寄越さず迎えの馬車もやらない実家だ。両親の顔くらいは見ておきたいけれど、これから両親と暮らしたいかと言われるとそういうわけでもない。


 しかしどれだけ考えても動かなければ何も始まらない。そういうわけでひとまず近くの駅馬車に向かおうと赤い髪を揺らして歩き出したアウレーシャだったが、その視界に見事な拵えの馬車が滑り込んで彼女の目の前でストップした。アウレーシャが唖然としているとパッと扉が開いて底抜けに明るい男女の声があたりに響いた。


「やぁやぁご機嫌ようアウレーシャ嬢! 還俗おめでとう、君の帰還を心待ちにしていたよ!」

「お久しぶりですわアウレーシャ! わたくしたちが迎えに来ましてよ!」

 馬車から飛び出した男女は満面の笑みでアウレーシャの手を取った。


 男女は双方供に彼女よりいくらか年上、癖のあるこげ茶の髪に緑色の瞳、親しげに振舞ってくるその顔を懐かしく思うのに名前を思い出せない。

 戸惑っていたアウレーシャだったが、2人の乗っていた馬車に掲げられた金色の紋章を見るとあっと声を上げてその名を呼んだ。

「イダ家のレパーサお兄さまに、カレーナお姉さまですね!」


 目を見開き感じ入ったような妹分を、2人組は満面の笑みで自分たちの馬車に誘う。

「あれから10年だもの、顔を見て気づかないのも当然さ。積もる話もある。ひとまず馬車にお乗り」

「あなたのバルワ家と我らイダ家、共に“ふるき家系”の仲ですもの。アウレーシャ、あなたの社交界復帰のお手伝いをしたくて来ましたわ」


 貴族の中でも魔王時代から続く“ふるき家系”として社交界デビュー前からの知り合いたちに促され、アウレーシャは御者に荷物をあずけて馬車に乗り込む。その正面に座った年上の幼馴染たちは10年の月日を経て快活さとふとした瞬間に見せる理知的な眼差しはそのままに、落ち着いた色気を備えている。


 走り出した馬車の中、その2人はまずアウレーシャに謝罪をした。

「君が修道院に行ってすぐに手紙を出せなかった。最初の手紙に3年かかってしまったよ、あの当時は色々大変で」

 申し訳ないとイダ家長兄が頭を下げると、その横に座っていたイダ家長女も眉を下げて言う。

「あなたのお父様とお母様に、お手紙を書いたり迎えの馬車を出すように進言したのだけれど……説得できなくてごめんなさい」


 本当に気にしていないことだったが、幼いころに兄と姉として慕った2人の心遣いに胸が温かくなるのを感じてアウレーシャは首を横に振る。

「そのお気持ちだけで充分すぎるほどです。気にかけてくださってありがとうございます」


 すると、親切な姉弟は彼女の手をぎゅっと握って熱弁する。


「当り前ですわ。あたくしたち、同じ“ふるき家系”の仲ですもの!」

「貴族として魔力の扱いを第一とするボクら旧き家系としては、君が修道院送りになったことは本当に気がかりだったから」


 イダ家姉弟の言葉にもう一度礼を言いながら、アウレーシャは窓の外を見やる。馬車は明るい森の中を走っている。森とは言うが人の手が入っているようで、座席から伝わる揺れは緩やかなものだ。春の光を受けて輝く湖を右手に臨みながら馬車は走る。


「今日は本当に天気が良いですね。私、春って一番好きな季節なんです」

 目を細めて笑い、年上たちに弾んだ声で問いかける。

「このあいだの園遊会はいかがでした? どんな話が上がっていました?」


 風が入るように窓を開けてやりながら、カレーナ・イダはそうねぇ、と歌うように言う。

「西方辺境領のヒサール領に派遣されていた国王府の騎士団は、正式な会議と発表はまだですけれど、あの地から撤退するってことでほぼ決まりのようですわ。ヒサール領主の城は元魔王城。魔界に一番近い場所なのもあって、あの土地の魔力濃度は高いでしょう? それで駐留していた国王府騎士団の半数以上が体調を崩したとか」


 ヒサール領。その単語にアウレーシャは左手をぎゅっと握りしめる。


「兵士の入れ替えがあまりに頻繁だと、訓練も現地の騎士団との共同でする魔獣狩りも効率が下がっていけない、ということらしいですわ」

「一番の理由は騎士団のヒラ団員が揃って騎士団長にさっさと帰りたいって訴えたから、らしいけど。ヒサール領は田舎で娯楽も少ないしね」

「まああの土地に好んでおもむこうとする方は基本的にいませんわ」


 アウレーシャの脳裏に、若きヒサール領領主アドラフェルのあの寂しげな肖像画がよぎる。2人の話に頷いた彼女は膝の上の拳に力を込めながら問うた。

「そうなるとヒサール領に対して国王府騎士団の代わりになる戦力を投入することになるのでは? その目途はついているのですか?」


 先ほどから笑ってばかりだった妹分の強張った顔に、レパーサはおやと首をかしげる。

「審議中だけど多分慣例に従って“魔女”を選んで赴任させるんじゃないかな。……アウレーシャ嬢、ずいぶん興味を持つね。思い入れのある土地だっけ?」


「いえ、そういうわけではありませんが」

 アウレーシャが首を横に振ると年上たちはそれ以上深く追求しなかった。


 窓の外には変わらず美しい春の森が広がっている。しばらくは木々の群れが続いていたが、ふとそれが途切れて景色が開け、青々とした丘陵が視界に広がる。さらに向こうにてっぺんの削れた尖塔が見えた。

 その忘れ難い形にアウレーシャは「あッ」と声を上げてばつの悪そうな顔になる。


「あの、ここってまさかあの場所ですか? 私にとって因縁の……」

 現在地に気づいたらしい彼女に、レパーサ・イダとカレーナ・イダはいたずらっ子のように笑って言った。


「アウレーシャ嬢が王家の宝物塔ほうもつとうを壊したときの周りの貴族どもの顔と言ったら、見ものだったよなぁ!」

「そうそう、あんな小娘がまさかあんな遠くにまで魔法を射出できるなんてって驚いたあの顔!」

 旧知の2人が笑う声に、アウレーシャは10年前のやらかしを思い出して顔を赤くしながら苦笑した。


 アウレーシャが社交界デビューしてすぐの頃に参加した春の狩猟会で起こしたその事故こそ、彼女が修道院送りになった原因だった。

 遠くに飛ぶ魔獣を魔法で射落とそうとして勢い余って、魔獣ごと王家所有の宝物塔を破壊してしまったのだ。


 そしてそれから10年、今彼らがいるこの森こそ、その王家の管理する狩場の一部である。


「本当にお恥ずかしい限りです。……まさか宝物塔に当たって、しかも壊してしまうなんて。私自身びっくりしました」

「宝物庫に張られていた魔力防壁が壊れたっていうんだからいっそ大したものだよ!」

 当時14歳だったアウレーシャの放った魔力の火勢のすさまじさに人々は驚きあきれ、そこから付けられた彼女の二つ名こそ野蛮令嬢バーバリアーナである。


「でも、宝物塔の中身が無事だったのアウレーシャに対しての処罰が終生蟄居命令しゅうせいちっきょめいれいというのはやはり罰が重すぎでしたわ」

 カレーナは腕を組み、くちびるをとがらせて窓の外を見やる。丘陵にはこの森……というより狩場の管理人たちがなにやら忙しそうに走り回っている。


 その景色を眺めながら、アウレーシャは「いえ」と首を横に振る。

「本来は現役の王家宝物庫を壊した時点で死罪になるのがこの国の法です。それを国王陛下のお口添えで修道院送りで済ませられたのですから文句は言えません」

 アウレーシャは静かに笑う。


 国王が各地に散らばる貴族たちをまとめ上げて形作る強力な中央集権国家シャマル王国。

 しかし魔王の脅威は遥か300年前に過ぎ去り、人々は豊かな暮らしを送り、世はまさに天下泰平。犯罪の発生率も下がっている中で、死傷者が出なかった今回の件で死刑というのはいかにも時流に合わない。しかも犯人は特権階級貴族である。しかし、その強大な魔力をコントロールしきれていないのは大いに問題である。


「……死刑はもううんざりだ。幼い者が死ぬのも見たくはない」

 低い声で紡がれたシャマル国王の言葉をかんがみて司法局が下したのが、俗世を離れて生涯を修道院で過ごす「終生蟄居命令しゅうせいちっきょめいれい」。当時14歳だったアウレーシャは大人しくそれに従った。否、抵抗するすべもなかったというのが正しいか。


「当時はもちろん不服でしたけどね」

 そう言ってまたアウレーシャは首を横に振る。

 不満はあった。苦しくもあった。一日中泣いて過ごした日もあった。それでもあの懐かしい思い出と約束で胸に火を灯し続けた。


 どれに、とアウレーシャは張り詰めた声を上げた。

「あの独立未遂事件の直後のことでしたから」


 その言葉にカレーナ・イダは顔を曇らせる。わずかに顔をうつむかせると、黒褐色の波打つ前髪が影を落として悲壮な空気を醸し出す。隣でレパーサ・イダは深く眉間にしわを寄せている。

 忌々しい事件だった。


 独立未遂事件。正式名称、「ふるき家系東方独立未遂事件」。

 旧き家系のが東方辺境領領主を担ぎあげてシャマル王国から独立しようとした、前代未聞の事件である。

 彼らは旧来的な厳然たる階級社会によって構成される国家をおこすことを標榜ひょうぼうした。自ら魔法をふるい魔獣を相手に戦い、自らの土地と領民を守る、という旧来的な貴族のあり方が追いやられる現在のシャマル王国への不満がその根底にあった。


 この独立騒ぎは結局一人の死傷者も出ないまま国王府の鎮圧によって未遂に終わったが、一部の旧き家系によって起きたこの事件は結果としてそれ全体の名誉を貶めることになった。


「我がバルワ家が独立未遂事件にかかわっていないとはいえ、王家に反逆したのと同じ旧き家系の者がその翌年に王家の宝物塔を破壊したのです。国王府の警戒を考えれば生涯蟄居命令は妥当なところでしょう」


 もちろん不満はありましたけれど、と膝の上で拳を握り、アウレーシャは胸を張った。

「生きているのなら、いくらでもやりようがありますもの」


 そのまま場の空気を換えるように軽やかな声でイダ家の姉弟をからかってみせる。

「それはそうと、王家の狩場まで来るだなんて何を企んでおいでで? 通り抜けなど厳罰ものですよ」


 すると難しい顔をしていた年上たちはニヤニヤと笑ってアウレーシャの両隣にボスンと勢いよく座って言った。

「決まってますわ! この春の季節にこの王家の狩場に来たならやることはひとつ!」

「明日開催の春の狩猟会に出席するんだよ!」


 突然の話にポカンとするアウレーシャに、イダ家の旧知たちは元気よく言う。

「この春の狩猟会をアウレーシャ・バルワ嬢の社交界復帰宣言にするって寸法さ!」

「わたくしたちの分と一緒にあなたの分の参加申し込みもしておきましたの。狩猟用の衣装はわたくしのを貸しますから、心配無用ですことよ!」


 春の狩猟会で大失態をしてその魔力のはげしさから「野蛮令嬢バーバリアーナ」とあだ名された少女が、10年の時を経て同じ春の狩猟会で社交界復帰を飾る。その行いは厚顔無恥と言われればそれまでかもしれないが、社交界ではそういう「演出」も大事なことである。

 アウレーシャもそれはよく分かる。


(分かる、けど)

 わずかに足が震える。膝を見つめながら努めて息を深く吸って吐く。


(上手く、できるだろうか、私は。修道院では貴族教育としてのマナーも叩き込まれたけれどあまりに久々で)

 それにカレーナやレパーサのように、彼女に好意的に接してくれる者はほとんどいないだろう。さすがのアウレーシャも戸惑わずにはいられなかった。


(……でも)

 それでも。

(約束、した)

 彼女には固い誓いがある。


(「アディ」の、ヒサールの領主になったアドラフェル卿の力になる。狩猟会で名を上げればそれも叶うかもしれない)

 アウリーはぎゅっと手を握り、あの日の約束をもう一度なぞる。

 

 狩猟会は魔獣を狩ることで自らの魔法の腕前を披露する場である。そこで自らの実力を示すことは、決して無駄ではないように思われた。

 アウレーシャは口元に笑みを描く。顔を上げてニィと歯を見せて、唸るような声で宣言した。


「……リベンジマッチということですね。ええ、ええ、そういうことならお2人のお力をお借りしたいと思います」

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