第4話
……はずなんだがな。
どうして俺はいまこうしてものを考えていられるんだ? ひょっとして、ここが死後の世界ってヤツか。
▽生体情報エンコーディング完了。
……は?
▽人格パッケージを万象記録素子に転写。セキュリティクリアランス付与。
おい、なに言ってんださっきから。
▽パッケージを展開します。
いきなり、視界が開けた。
俺の「足元」で、ベルカが自分の口に手を突っ込んでいた。人さし指と中指をよだれまみれにしながら、喉の奥でめちゃくちゃに動かす。
ベルカが身体を折り曲げて、えずく。彼女の身体の動きに合わせて、俺もめちゃくちゃに振り回される。
▽ちょ、おいおい! なにやってんだお前ッ!!
自分の声に、俺はびっくりする。喉から声が出ている感覚がない。というか、身体がどこにもない!
ベルカがバッと身をひるがえして、周囲を見渡す。怯えた表情で、視線をキョロキョロさせるのが、なぜか見なくても分かった。
なんだこれ。俺はどうなって……?
ベルカの足元に、大きな血溜まりができていた。いきなり俺の視界が、青やらオレンジやらの色で塗り分けられた世界に切り替わった。足元の血溜まりが、薄ぼんやりと温かな色彩を放っている。まだ温かい。
ああ、あれは俺の血だ。ほとんど無意識に感覚のフィルタを赤外線から可視光に切り替えて、元通りの風景を見渡す。
見渡すという表現は正しくない。今の俺には、三百六十度、全方向が知覚できる。目を動かして見る、という感覚がすでにない。見えるもんは見える。そんな強引な感覚に、ちょっと眩暈を感じる。
かすかに熱を持った血溜まりに、ベルカの姿が映り込んでいる。またしても無意識に視界をピンチアウト。一瞬で画像が拡大される。
ベルカの頭の上、栗色の毛で覆われた二等辺三角形の狼の耳。
▽おいおい……マジか!
「きゃっ!?」
俺の驚きの声に、ベルカが悲鳴を上げる。そりゃそうか。自分の頭の中に、別の声が聞こえるんだから。
▽ベルカ、聞こえるか? 俺だ。ユーリだ。
「ゆ、ユーリ……? どこ!?」
▽ここだ、ここ!
ベルカが、声の出所を探して手を伸ばす。そして、白くて細い指が耳に触れた瞬間、俺ははっきりと「触られた」と感じた。
▽これが、俺か……
俺は、人造妖精の耳になっていた。
「……な、なんで……?」
▽さあな。相性が良かったんじゃないか?
「相性?」
目を丸くするベルカ。ああ、死ぬ前よりずっとはっきりベルカの表情が分かる。
▽適当に言っただけだ。理由なんて俺に分かりっこない。
「ユーリ……い、嫌じゃない……の?」
▽あ? なにが?
「ぼくの……人喰いの化け物の一部になるなんて、嫌じゃないの?」
▽まあ、驚きはしたけど。あのまま何もしなきゃ、俺たちはどっちも死んでたんだろ? だったらこれが俺たちの「たったひとつの冴えたやりかた」だったんだよ。
ベルカはしばらく言葉を失っていた。まあ俺もちょっとパニック気味で、テンションが高すぎたかもしれない。
すこし落ち着こう。
▽ベルカ、これからアテはあるのか?
ベルカは首を横に振った。まあそうか、ついさっきまで死のうとしてたんだからな。
▽じゃあまず、近くの街行くぞ。
「……え?」
▽まず装備を揃えよう。俺のはもうほとんど使い物にならないからな。
「なんの話? 装備って?」
▽決まってるだろ。旅の装備だよ。
ベルカが呆けた顔で「旅」とオウム返しする。
▽俺は元々旅人だし。ベルカは一箇所に留まれるようなタイプじゃないだろ? だったら旅人になれ、ベルカ。やり方は俺が教えてやる。
「ちょっと待ってよ! ユーリ、分かってる? ぼくは人造妖精なんだよ? ぼくは、きみをそうしたように、人を……喰い殺さなきゃ生きていけないんだよ?」
ベルカの言葉に、俺はしばらく黙り込む。
▽分かってる。……いや、人を喰い殺して生きていくってことが、実際にどういうことなのか、俺にはまだわからない。でも……
きっと、これから先、俺はこれまで思いもよらなかった出来事に出会うのだろう。
▽でも俺は、ベルカに死んで欲しくない。お前に生きていて欲しい。エゴを混ぜていいなら、せっかく生き延びた以上、もっと生きていたい。
生きるために他者を喰い殺す。それがどんな影響を俺に与えるのか、想像もできない。
でも、生きたい。いまそう感じることは大事にしたかった。
ベルカは途方に暮れた顔で、地面にペタンと座り込んでいる。
▽まああとなんだ。軽い言葉になっちまうけど、惚れた女には長生きして欲しい。みたいな感じかな。
ベルカの頬の表面温度が、じわじわと上昇するのが分かった。
▽なんだ、照れてるのか?
「てれる……? 照れる……これが?」
ベルカが自分の頬に触れて、あどけない顔であたふたする。
俺の視界には、様々な情報が数値として並んでいた。
その一つ、バイタルステータスと表示された数値を拡大する。
一〇三日十八時間二十二分四六秒。
数値は一秒ごと削られていく。
ああ、これが俺とベルカの余命なのだ。俺の身体がベルカの中で電力に変換され、彼女をあと百三日、生きながらえさせることができる。
崖っぷちに立たされた気分を一瞬味わう。
人ひとり食べても、百日ちょっとしかベルカは生きられないのか。
これまで、ベルカはどれほど、この絶望感を味わってきたのだろう。
正直、今この瞬間でもまだ自分の置かれた状況をうまく理解できていない。
それでも、はっきりしている気持ちが一つだけあった。
この子を、ベルカを一人ぼっちにさせたくない。
崖の縁に立たされて、周りからは恐れられて恨まれて、そんな状態に、ベルカを一人ぼっちで置かせちゃだめだ。
俺はなにもできないかもしれない。それでも、ベルカと一緒にいてやりたい。それだけを強く心に刻んで、俺は彼女に話しかける。
▽とにかく、これからよろしくな。ベルカ。
ここまでは俺の物語。
ここからは、ベルカとの旅の記録を残そうと思う。
幸い、データを残しておくストレージは山ほどある。
最初に言っておくが、この物語の主人公はあくまでもベルカだ。
俺はただ、彼女の頭の上に乗っかって、あれこれ言ったり言わなかったりしているだけだ。
それともう一点。
ここに書き記すものは、俺が切り取った世界の見方の一つに過ぎない。
だから、人によっては「そんなの間違ってる」「馬鹿じゃないのか?」と思うことだってあるだろう。
それで構わない。俺たちの判断は、誰もが共感できるものとは限らないのだから。
それでもよかったら、読んでくれ。
ベルカと俺の、旅の物語を。
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