卯の花腐しーⅣ

 レインウォーカーと地夜叉の戦いが落ち着いた頃、エメは天夜叉との戦いを繰り広げていた。


 空を飛ぶ天夜叉は錫杖を振り、風を操ってエメの軽い体を吹き飛ばし、無理矢理空中戦に持って行って、接近。錫杖の先で腹を突き、凍っている池へと突き落とす。

 表面だけが凍っていればさほどダメージにはならなかったが、底まで分厚い氷の装甲で敷き詰めた池に叩き付けられたエメは巨大なクレーターを作り上げる。


 錫杖で喉を貫いてやらんと降下して来た天夜叉の一撃を辛うじて躱したエメは、巨大氷柱で突き上げる。

 腹に風穴を開けてやるつもりだったが、錫杖に防がれた上に砕かれ、反撃の雷撃がエメの体を貫通した。

 黒煙を吐くエメはその場に倒れ、全身を痙攣させる。


「この程度か、女」

「……ん、な……訳……あるか!」


 不意に天夜叉の頭上に現れた巨大氷塊。

 錫杖で辛うじて受け止めたものの、その重量に落とされた天夜叉は、落ちたその場で氷に亀裂を入れながら踏ん張る。

 が、足元の氷が形状を変化させ、茨の如く伸びて天夜叉の体を貫き、踏ん張る足腰の力。受け止めていた腕の力を奪って圧し潰した。


 が、まだ終わってない事はわかる。

 氷の中から未だ感じられる気配に吸い寄せられるように、エメはスピードスケーターさながらの滑りとスピードで両腕に氷を搭載した姿で迫って行った。


 氷塊を砕き、出て来た天夜叉は反撃するより先に喉を斬られる。

 次に背中。脇腹。右太もも。肘。肩。頬――両手に搭載された氷の爪。氷の刃が引っ掻き、引き裂き、斬り裂いていく。


「舐めるな!」


 錫杖で足元を突き、発現した暴風と雷撃とでエメを吹き飛ばす。

 再び空に舞い上がった天夜叉は錫杖を掲げ、明らかな投擲の体勢で構えてみせた。


「“叛末天投ほんまつてんとう”!!!」


 渦巻く風を帯びて、雷霆を纏った錫杖が投擲される。

 野球でもその名の付いた投球があるが、そんな表現だけでは収まらない。

 本物のレーザービームにも負けず劣らぬ速度の投擲が、エメを襲う。


 凍っていた池は砕かれ、雷撃によって瞬く間に溶かされていって、辛うじて直撃を回避したエメの体が沈む。

 風に攫われた砂利や氷の結晶に切られたエメの全身から血が滲み出し、池に溶けていく。

 自分の中から漏れ出す赤が、濁った茶色の中に混ざって消えていく光景は、エメの心に過去の記憶、戦う意思を持った日の事を思い出させた。


 赤が、赤が溶けて消えていく。

 全てが泥に、瓦礫に、新たな赤に混ざって消えていく。跡形も無く消えていく。

 先まで会話していた家族の顔さえ思い出せなくなる程に、跡形も無く消してしまう。


 それは、嫌だ。


「何だ……」


 池の至るところから、巨大氷柱が生えて来る。

 空を飛ぶ天夜叉を追うように広がる氷柱の一つに乗って上を取ったエメは、先の天夜叉に習って二又の槍を投擲せんとしていた。


「“ランス・デ・ジェベロ”……!!!」

「馬鹿め。人間如きの投擲が、空を行く俺に当たるものか!」

「だから、真似させて貰うわ! ――“テンペーテ・デ・ネィジ”!!!」


 投擲と共に渦巻く吹雪が体の自由を奪い、投げられた二又の槍が天夜叉の肩と腹を貫き、先の仕返しとばかりに池の中へと叩き落とした。

 氷によって作られた二又槍バイデントの冷気と纏っていた吹雪によって、より硬い氷で凍り付いていく。


 が、雷撃と共に空へと戻って行った天夜叉は苛立った様子で歯噛みし、歯が砕けんばかりに食いしばって、着地直後のエメを見下ろしていた。


「こ、の……このぉ……人間風情が、人間風情が二度も、二度もこの天夜叉を地に……! この俺を、誰だと思っている!!!」


 雷撃が四方に走る。

 氷塊を盾に防いだエメは捕まり、続けて襲い来る暴風に耐えるが、雨が降っているせいもあって、まるで嵐が来ているかのようだ。

 軽自動車くらいなら浮かび上がって、攫われてしまいそうである。


「許さん! 許さん許さん! 許す、ものかぁ!」

「これは戦いよ。やったやられたでそんな怖い顔しないでよ。そんなんだから、視界が狭くなるんじゃない?」

「何!?」


 怒りに任せていた身が、急激に冷えていく。

 気付けば自分の周囲だけ雨ではなく雪が降っていて、自分だけ極寒の地にいるような状況となっていた。敵を追い詰めるべく吹かせていた風で自分の体が冷えてしまって、震えが止まらず、体が上手く動かない。


「いつの間に……!」

「これでもフランス高等部じゃあ、氷の女王レイン・ディ・グラスって二つ名で有名だったんだから。雨を雪に変える程度、造作もないわ。範囲は狭いけどね」

「人食いの体をも凍えさせるとは……くそっ!」


 再び投擲の構え。

 風と雷撃とで吹雪を一蹴するつもりのようだ――が、そうはいかない。


「“叛末天”――っ!」

「“マジェスティ・デ・ラ・レイン”」


 体に積もった雪が凍り付き、体の動きを止められる。

 関節部位から徐々に凍り付き、全身に冷気が巡って、無理に動かそうとすれば亀裂が生じて砕けそうになる。


「くそっ! くそっ! くそっ! こんな雑魚に! そこらの異能者と変わらぬ凡人の癖に! この俺が、天夜叉が不覚を取るなど――!」

「……そうね。つい最近まで、私も自分を過大評価してたわ。でも、現実を知って、もっと高みがあると知って、足掻く事を決めた。だから、凡人では収まらないわよ、私は。エメ・ベルティエの名を、よく憶えて逝く事ね!」


 投擲しようとしていた腕から亀裂が広がり、胴が、首が砕ける。

 バラバラに砕けて飛行能力を失った天夜叉の体は落ち、半壊した頭部は氷の上をエメの足下まで滑って行った。


「このっ、このっ! 許さない! 許さないぞ俺は!」

「驚いた……あんた、首だけの状態でも生きてるの? 体も氷漬けにされてるのに、どうやったら死ぬのよ」

「う、ん……もしか、すると……こいつらは本体じゃ、ないのかも、しれない」

「あんた……! って、その手の何?」


 いつの間にか来ていたレインウォーカーの手には、大きなゴミ袋。

 袋が黒いので中身がわからないが、何だかガチャガチャと動き回っている。

 が、やがて影が一つに固まり、この世の終わりでも見たかのような叫び声が聞こえて来た。


「天夜叉ぁ! 天夜叉助けてくれぇ!」

「情けない声を上げるな地夜叉! 貴様、やられるだけならまだしも、何だそのザマは!」

「こいつヤベェんだ! どうやったら俺が死ぬんだって色々と、そう……色々とさぁ!!!」

「うるさい」


 袋越しに突かれた顔と思しき影が、また粉々に砕けていく。

 どうやったらビニールを壊さずに中の対象だけを破壊出来るのか。

 いやそれ以前に、彼は一体何をしたのだろう。人語を操る高位の人食いが悲鳴を上げ、泣き喚くくらいのトラウマを植え付けられるだなんて。


「何」

「い、いや……あんた何したの? そいつに」

「実験した」

「じ、実験?」

「斬る。裂くはもうやったから……焼く。炙る。沈める。混ぜる。轢く。撥ねる。引きずり回す。刺す。落とす。腐らせる。凍らせる。毒に浸す……あとは……」

「も、もういいわ。とにかく、うん。色々やったみたいね、色々」


 人食い相手だけど、思わず同情してしまった。

 確かにそれだけやられれば、恐怖の感情くらい覚えるだろう。いや、覚えてしまうのが当たり前だ。


「おのれ貴様! よくも地夜叉を……!」

「……二つ同時に、木っ端微塵にしたら……さすがに、死ぬかな」


 遂に天夜叉にも、魔の手が迫る――よりも、二体の破壊は早かった。

 エメが踏んでいた天夜叉の頭も、ビニール袋の中の地夜叉の体も壊れて消えていく。


「そこまで苦労しなくとも、こうして俺が術を解けば二体は消える。無論、俺を倒すという手段もあるが、この二体のようには、行かぬぞ?」

「……誰」


 レインウォーカーは問うたが、エメには見覚えがあった。

 昔フランスに突然現れ、気紛れに人を殺し、人を食い、自分の家族をも食い殺した奴らだ。

 名乗ってはなかったので名前は知らないが、一人だけは知っている。中央で圧倒的存在感を放つ奴の存在だけは。


「俺は夜叉」

「俺は、羅刹」

「そしてここにおわすのが、おまえ達が悪鬼羅刹と呼ぶ六体が一体――宿

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