君はオンナノコ。

「ねえ、桜歌さんこっち向いて」

「…………」

 彼女は振り返らない。どうしたのだろう。怒ってるのかな。ショッピングの邪魔でもしちゃったのかな。

 機嫌、直さないと。

 ボクは彼女の肩をを掴もうとして、やめた。

 こんなに華奢な肩口に触れたら、今すぐにでも壊れてしまいそう。ガラリと、崩れてしまいそう。

 代わりに、くるっと囲むように彼女の前に周り込むと、びくっと彼女は震えた。

 そしてなおも今も震えてる。

 ぷるぷる。

 ちょっとしつこかったかな。怖がらせちゃったかな。大丈夫、かな。

「桜歌さん、大丈夫だよ。上向いて。ボクを見て」

 彼女はきゅっと瞼を瞑っていた。

 切れ長でもなく、まあるいというわけでもなく、普通の目つき。目立たない奥二重の黒瞳がそっと覗くと、それはこちらを見つめた。

 ふるふる。

 やっぱり。なんで、瞳孔も震えてるのか。それは怖がらせちゃったから。やっぱり、怖がらせちゃったから。

「ほら、これ似合いそうなんだけど、どう……かな?」

「…………」

 恐ろしげに、でもなぜか一段と輝いてるような闇を映した瞳。らんらんと、ちらちらちかり。煌く黒瞳。

 とても矛盾してるようにも思える。でもその表現が一番正しいと思う。今まで見てきたヒトの瞳の中でも、視認経験のないその色。感情を最も表す瞳孔の動き、目つき、色合い。

 いじめられっ子だったボクが見つけた感情を視る一つの方法。

 淀みきった汚い大人の目。純粋すぎるがゆえに好奇心が暴走する綺麗すぎる子供の目。

 どの色とも違う、澄み切った透明にしては淡く輝くその眩しい色。

 なんの色なんだ、それは。見たことない。

 その目玉をくり抜いて、中身を割って、何が入ってるのか、その発光源の正体を……。

「……ごくり」

(……あっ、と。いけない変な思考に駆られた)

 彼女の唾を飲み込む音が鼓膜に届いた時、はっとする。

 未だに震えてる彼女の黒瞳がふいっとボクの持つシャツワンピースに移ったのを見てなぜか安堵してしまった。

「どう、似合うと思うんだけど」

「…………」

 ぷいっとそっぽを向いてしまった彼女は掴んでた胸元の右手に左手を重ねて唇をむにむに動かす。

 ……そのありふれた仕草に惹かれるのはなぜだろう。彼女の一挙手一投足が愛おしいのは。自然に笑みが溢れるのは。

「ほら、こっちおいで」

「――っ!?」

 彼女のほんのり肉付いた細い手首を引っ張って、試着室に連れこんだ。

「……!?……!?」

「ほら、絶対似合うから、着てみて」

 彼女に靴を脱がせて押し込むと手を振ってカーテンを閉める。

 数秒して未だ迷ってる風の彼女が顔を覗かせるとボクは、こくんと頷いた。微笑み湛えて。大丈夫、似合う。と視線で答えて。

 観念した彼女は一緒に手渡したシャツワンピースを着て登場した。


(えっ、えっ、なんなの!?これ!?)

 あたしは理解が追いつかなかった。試着室のカーテンを覗いても彼方くんは頷くだけ。やっぱり着るしかないの?

 今持ってるワンピはさっき値札で諦めた可愛いシャツワンピ。全体的に膝丈の裾のワイシャツで綿の薄い灰色の水王模様の生地。

 そして圧迫感のない二の腕の途中で切れてる半袖のワンピースなのだがこれが五千九百円するのだ。

 高ぇよ、おい。いくらデザインがいいからってぼったくりなんじゃねえか?

 一応着てみたのはいいのだけれど、これをカーテンの外にいる彼に、ん?彼女?いや彼でいいのか?彼方くんに見せるの恥ずかぴい。

 恥ずかぴい。どうしよう。どうしようこの格好で出て似合ってねえよこのクソアマが!っとか言われたらどうしよう!?ああっ!無情!時は時に残酷非常ナリ!!

 ナリナリナリナリナリナリナリナリナリ――

「どう、着れた?」

 ジャっ、サーー……カチャ。

 …………えっ?

「わー、可愛いじゃん似合ってる似合ってる」

 なんで急にカーテン開けるの?心臓に悪いでしょ。悪いでしょうが。悪いでしょうに。悪いでしょうゆ。しょうゆ?醤油?醤油は大豆を米麹菌で醗酵させて寝かせて作――――。

 どくんどくんどくんドクンドクンドクンドクンっ。

「ん?大丈夫?桜歌さん」

 はっ!醤油なんてどうでもいい。今に立ち向かわなければ!

「……(こくん)」

「そう。じゃあその服買おうか」

「……?…………!?」

 え、これを買う!?高いんですけど!?あたしの全財産注ぎ込んで借金しなくちゃいけないんですけど!?

「この前付き合おうって言って初デートまだしてなかったもんね、代わりに奢らせて」

 はふん!?……はっふん!?彼方くんが買ってくれる!?マジ!?マジのおおマジデスか!?


「これください」

「いらっしゃいませー。一点だけですね、かしこまりました」

 ……ちら。……ちら。

 まっ隣に彼方くんが、女性にしか見えない彼方きゅんが。そこに……い……るるるるるるるるるる――――

「?どうしたの、桜歌さん」

 ずいっ。

 ひゃん!?愁眉な顔のかにゃたくんが目の前にいいいいいいいいイィィィィィ!?

 が、眼福です……、彼方さま。

「???」

 彼方くんはなんだこいつ?みたいな顔してたのは言うまでもない。


「また明日、学校で会おうね」 

「……(こくん)」

 彼方くんとはショッピングモールを出た所で分かれ、あたしはその後ろ姿を見守っていた。

 スカートから伸びる脚の膝裏、ふっくらとした女性の下半身にしか見えないむちっとした太もも。下に進むに連れて細くなっていく脚を彩る柔らかそうなふくらはぎ。そして、終着点のめちゃくちゃ細い足首とちっちゃいお洒落なスニーカー。

 ああ、あたしってレズビアンなのかな……。

 あたしらを囲っていた変なゆりゆりな雰囲気に酔うあたしは帰り、買って貰ったワンピース入った買い物袋を抱き締めてニヤついていた。

「ぐへ、ぐへへへへへへへへ、彼方くんに買って貰った服。うへへ」

 リビングで買ってきたワンピースを広げて眺めてる垂涎中のあたしは、心配そうに見つめてる母君の姿に気付かなかった。

「おうちゃんが変態に……。ママちゃん悲しいわ、しくしく」

 ぐへぐへ言う娘を見て桜歌の母は、眼に涙を抱え、ハンカチを口元に当てていた。

 果たして風花桜歌の恋は無事に実るのだろうか。

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