やわらかな空へ

時雨 柚

1

 普段は開いていない校舎裏の門が珍しく開いているというのに、その周りにはいつも通り、人の姿はなかった。唯一人の目に留まりそうな桜の木もまだ蕾が膨らみ始めたばかりで、見ごろには程遠い。門出を祝う気なんて、さらさらないようだった。

「早いじゃん」

 何度もここで待ち合わせた学生生活だったけれど、裏門から出てくる彼女を見たのはこれが初めてだ。少しの違和感を覚えながら、私は右手を軽く上げた。

「そっちが遅いんだよ」

「親と写真撮ってたの」

 私たちには、共通点が多くあった。どちらも帰宅部で、成績は中の下くらい。運動は少し苦手。そして話を振るのがヘタで、会話が長く続かない。いつもの放課後ならだらだら歩くだけで時間が過ぎていくし、それはそれで幸せだったのだけれど、今日はどこかへ行くこともできず、二人並んで門の脇に寄りかかって、奇妙な空気感を味わうことになっている。

 いつ、どちらから始めたのかも忘れてしまったここでの待ち合わせは、受験期でさえ途切れることはなかった。それが明日からなくなってしまうと思うと、式典の間はさっぱり感じなかった寂しさというものが、じんわりと感じられた。

「やっぱりさ」

 不意に発せられた声は、いつしか下を向いていた、彼女のもの。

「やっぱり?」

「別れなきゃ、だめかな」

 その声からは迷いや寂しさは感じられず、縋るような気持ちだけが、ひしひしと伝わってきた。

「そっちが言い出したんじゃん?」

「……それは、そうなんだけど」

 それは今年に入ってすぐのこと。今いるのとまったく同じ場所での、彼女からの提案だった。

 苦渋の決断だったんだろうな、というのはすぐにわかった。元、と名前の付く関係にすることすら避けて、初めからただの友達だったことにしよう、だなんて、まるでわざと自分を冷酷な人に仕立て上げようとしているようだった。

 私はそんな大げさな、と一瞬だけ考えたけれど、こんな辺鄙な場所で待ち合わせるようになったのもクラスで噂になりかけたからだったと思い返して、返答に詰まった。そして悲しそうで、それでいて真剣そのものな彼女の表情を見て、感謝の言葉を添えて了承したのだ。

 そんな彼女が今になって、自身の発案を取り消そうとしている。私は彼女の正面に立って、その顔を覗き込んだ。

「これからも仲良くできるなら、私はどっちでもいいよ」

 思いっきり抱き締めてあげたくなったけれど、彼女が答えを出すまではおあずけだ。今そんなことをしてしまったら、彼女の心を傾けるには十分だろう。

 彼女は何も答えず、ただ私の手を強く握って顔の前まで持ってきて、額をそこに預けた。こんな時でも爪を立てないのはきっと彼女のやさしさの表れなんだろうなと、私は目を細めた。

 そのまま、しばらく時間が経った。手がびりびりし始めたところで、

「……これからも、元気でいてください」

 ぱっと手を離して、今にも泣きだしそうな笑顔で、彼女はきっぱりそう言った。

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やわらかな空へ 時雨 柚 @Shigu_Yuzu

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