16-2

 かすかに唇が震えた。

 本気なのですか、と思わず口に出しかけたのは、どこか臆病な気持ちがあったからだった。

 だがこれまで、ラウルは戦場の黒狼とは思えぬほどおどけた一面を見せながら――嘘は一度たりともつかなかった。


 そしていっそ愚直なほど、いかなる圧力もかけてこず、ただミレイアの返答だけを待っていた。


「答えは?」


 揺らぐことなくミレイアを見つめ、黒の王太子は言う。


「ミア……!」


 エミリオが駆け寄り、ミレイアの傍らに戻る。そして、ミレイアの腕をつかむ。


「――帰ろう、ミア」


 エミリオの目は、怒りとも焦りともつかぬものだった。一刻も早く、こんな馬鹿げた場から逃れたいと言わんばかりだった。


 す、とミレイアの体温が下がった。不思議なほど冷静になり、とっさに浮かんだ思いが言葉になった。


「帰って、どうするの?」


 エミリオが目を見開く。


「このまま、私と結婚するの? 可哀想な私のために、自分の一生を犠牲にして?」


 ――サリタに未練を引きずらせ、自分も引きずらせながら。

 愛してもいない女のために、愛した女を捨てて。


「哀れみだけで――そこまでするというの?」


 驚愕したまま、エミリオは声を失っている。

 その表情をいま、ミレイアは正面から見つめた。

 やがてエミリオの目が苦痛に引きつり、視線に耐えかねたように逸らされる。


 その瞬間、ミレイアの中に理解が落ちていった。

 鈍い痛み――けれど耐えうる痛みだった。


 ミレイアは静かに、言うべき言葉を口にした。


「……優しくしてくれたのは、嬉しかった。ありがとう。でも、サリタの言う通りだわ」


 同情で自分の一生を捧げるなんて間違っている。たとえそこにあるのが友人への優しさであるにしろ、あるいはもっと薄暗い理由であるにしろ。


 ミレイアはゆっくりとラウルに目を戻した。

 答えるべき言葉を探した。


 いまはもう、当初にあったような拒否の気持ちも不審もない。

 だがだからといって、ラウルの求婚に答えるという意味がいまいち実感できない。

 

 誤魔化すつもりがなくとも唇を空回りさせていたとき、ラウルはふと口角をあげた。


「リジデス王よ、少々の余興をお許しいただきたい。――それから、全員下がるように」


 突然、そう声を張り上げた。そしてすっと片手をあげると、どこに控えていたともわからぬ護衛の男が滲み出るように現れ、ミレイアに近寄って恭しく捧げ物をする。

 謁見の間であったことを再現させるかのように、捧げられたのは一振りの剣だった。

 ミレイアは目を瞠る。


「やはり慣れぬことをするものではないな。俺たちにもっとも相応しい決め方をすべきだ」


 護衛を呼ぶために上げられたラウルの手が、そのままふいに握りしめられる。

 とたん、陽炎のように輪郭を揺らめかせ、半透明の剣が現れ――すぐに、実体を持った《王家の剣》となった。


 とたん、悲鳴に似たざわつきが周囲に広がり、王が下がる。


 周囲の動揺には一瞥もくれず、ラウルは虚空から剣を取り出したままミレイアを見つめていた。


「俺が勝てば、貴様を我が妃として連れて行く」


 ミレイアは大きく目を見開いた。

 捧げられた剣と、ラウルを交互に見やる。


「私が、勝ったら?」

「貴様の望みに応える。妃になりたくなければ、そう望め」


 間髪をいれず、黒の王太子は言い切った。

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