9-2
静かな怒りを滲ませるエミリオの声に、ミレイアはぎゅっと腹の奥が引き絞られるような息苦しさを感じた。
知らず体が強張り、両手首の刻印を隠すように手で覆っていた。
刻印はおぞましい。
それは事実だった。
――だが、それなら。その刻印を、四つも体に刻んだ自分は。
(私も、おぞましい?)
その言葉を、喉の奥で留めた。
――エミリオは、ミレイアのために怒ってくれている。ミレイアの安全、平穏を第一に考えてくれている。
だから、エミリオは《力の刻印》を憎んでいる。
とうにわかっているはずなのに、なぜかいま、エミリオの言葉に鈍い痛みを感じた。
ミレイア自身、この刻印を決して好んでいるわけでも、ラウルのように称賛するつもりもない。
だが、一度刻んだこの刻印は決して消えないのだ。――どれほどおぞましいと思っても、消したいと思っても。戦場に立ち、剣を振るい、敵を屠った記憶をなかったことにはできないように。
だから。
ふいに、握りしめた手にエミリオの手が重なった。
はっと顔を上げると、いつの間にかエミリオは立ち上がり、すぐ側に立っていた。
手を重ねたまま、視線を合わせるように片膝をつく。
「……ミア。あの男に何か言われたのか?」
ミレイアは鈍く頭を振った。
そう問いかけられたことで、逆に疑問がわいた。
――確かにラウルのせいなのかもしれない。こんなふうに、エミリオの心配を素直に受け取れないのは。
「おそろしく、汚らわしい男に求婚なんかされて、一緒に過ごさなきゃいけないのは苦しいよな。あの男は、国王陛下の兵を何人も殺した」
エミリオは痛ましいものを見るように気づかいの目を向ける。
触れられた手の下、ミレイアはかすかに握った手を震わせ、力をこめた。
(……おそろしい、男)
ラウル・ヴィクトールは確かにおそろしい。おそろしい敵だった。
――だが汚らわしいとか、憎いなどという気持ちはないことに、ミレイア自身驚いていた。
戦場で命をかけて戦ったのは、テンペスタ側もリジデス側もかわらない。
ラウルとその兵がリジデスの兵士を殺めたというのは、その逆も厳然たる事実だった。
むしろテンペスタの軍はおそろしいほど有能で規律が整っていた。
少し見方をかえれば、それほどの統率力を見せたラウルは軍人として尊敬されるのも納得できる存在だった。
ミレイアはふいに凍てつくような冷たさを感じ、ぶるりと身震いした。
――自分はおかしくなっているのかもしれない。
普通の令嬢であれば、エミリオの望む普通の非力な女性は、きっとこんな考え方をしない。敵の将であるラウルに戦慄し、憎悪し、忌避するのが普通なのではないか。
このおかしさをエミリオに悟られることが、いまはなによりもおそろしい。
頭に浮かんだ考えを追い払うように、ミレイアは頭を振った。
「とにかく、この刻印がそんな便利なものじゃないとラウル殿下にわかってもらうことが必要みたいね」
「そうだね。とにかく、あの男の前では刻印を使わないようにしてくれ。僕も手を尽くすよ。ミアを守るから」
ミレイアは深くうなずき、エミリオの言葉を胸にしまいこんだ。
重なった温かな手に、少し安堵する。
刻印を消せなくとも、自分で封じることはできる。
エミリオと穏やかで幸せな未来をつかむ――それがいまのミレイアの生きる意味だった。
頭の隅で浮かんだもう一人の幼なじみの声や眼差しに目と耳を塞いだ。
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