5
王と大臣たちが怒号とも悲鳴ともあげぬ声をあげて慄き、近衛兵を呼ぶ声が飛び交う。
――他国の謁見の間で剣を抜くなど正気ではない。
だがラウルは周囲の喧噪などまるでないものかのように、ミレイアだけを見ていた。
鍔迫り合いは不意に破れた。
ラウルが剣を弾き、横薙ぎにする。
ミレイアの剣は悲鳴のような金属音をたて、辛うじて受け止める。
(重い……っ!!)
ともすれば受けきれず、吹き飛ばされてしまいそうになる。
走ることにすら向かない盛装は枷のように感じられた。踵の高い靴は、《力の刻印》の補正を受けても足首を痛めかねない。
今度は左側から。弾き返す。
翻り、研ぎ澄ました突きが来る。
寸前で半身を逸らす。
だがドレスの裾が、靴の踵がもつれる。
(間に合わな――)
避けえぬ殺気に、ミレイアは強く目を閉じた。
そしてふいに、空気が止まる。
覚悟した痛みも衝撃もなく、ミレイアは無理やり瞼を持ち上げた。
目に飛び込んできたのは、紺色の瞳だった。輝きが徐々に失われ、底知れぬ翳りばかりが強くなる。
形の良い唇に刻まれた、かすかな笑み。
ラウルの剣先は、ミレイアの喉元に突きつけられたまま静止していた。
ミレイアの結い上げた髪の一筋が、花びらを落とすようにぱらりと頬の横にかかる。
――と、それに応じるように、ラウルのマントが滑り落ちる。
ラウルの護衛たちが息を飲み、にわかにざわつく。
房飾りのある金の留め具が、ミレイアによって切り落とされていたことにそのときはじめて気づいたようだった。
ラウル当人は笑みを深め、一瞬、目の輝きを強くする。
ミレイアに突きつけられた剣はゆっくりと引いていき、長い指が戯れるように剣を翻らせる。――と、たちまちその剣が消えた。
三年前に何度か見たその光景に、ミレイアはまた肌が粟立つのを感じた。
テンペスタ王家の、王とその嫡子にのみ受け継がれる《王家の剣》。
王とその継嗣のみが宙から自在に取り出し、また自在に消すことができる、決して奪われぬ剣だった。
そのとき、別の男たちの怒号が場に響き渡った。
「き、貴様っ!! このような場で陛下に剣を向けるなど……!!」
「私はリジデス国王に剣など向けていない。戦場において親しき友であった聖女殿に軽く挨拶しただけだ」
「ざ、戯言を!!」
近衛兵たちが駆け付けて王を背後に守り、ラウルとミレイアを囲む。
ラウルの護衛二人が主に侍る。二人とも帯剣していない。
《王家の剣》を消したラウルもまた、いまは丸腰だった。
何重もの近衛兵を盾にした向こう、怯える王に向かい、ラウルは悠然と言った。
「これはテンペスタ流の挨拶だ。いかなるときでも剣を手放さぬ我が国のことはご存じであろう。目に見えるところに剣を帯びていないからといって、武器を持たぬということではない。理解の上で謁見したのではないのか?」
ざわついたのは、王に身を寄せてやはり動揺している大臣たちのほうだった。
「テンペスタは宣戦布告をしにきたわけではないし、今回は貴国の要請に応じて参上した。交渉に応じる意思はある。いまのところはな。だが冗談が許せずもはや交渉が不要というならば、すぐにでも帰国しよう」
ラウルは更に傲然と言い放つ。
――まるで脅迫しているようだと、ミレイアは半ば呆然としながら見ていた。
否、事実そうであるのかもしれない。
このリジデス国と、テンペスタ国を比べると純粋な国力では大人と子供ほどの差がある。
併呑されずに済んでいるのは、周辺国との不安定かつ緻密な政治力学によるものだった。
押し付けられ、抜き放ったままの剣をおさめるべきなのかわからない。
王の側にいた大臣の一人が、勇気を振り絞って厳しい声を発した。
「……テンペスタの流儀とはいえ、ここはリジデス。王の御前であるということを重々ご理解いただきたい。また、来賓に無駄足を踏ませることも、陛下の本意ではありません。交渉は明日より開始ということでいかがか」
「異論はない」
ラウルは端的に答えた。
それで、ミレイアはようやくそろそろと息を吐き、重いドレスに苦戦しながら床に捨てられた鞘を拾い、剣をおさめた。
――するとふいに、大きな気配が動いた。
ミレイアがはっと顔を上げると、ラウルが再び距離を詰めていた。
体が再び強張ると同時、とっさに再び剣を抜こうと柄に右手をかける。
だがその手首をつかまれた。
強い力で持ち上げられる。
つかまれた手首に、《力の刻印》が発動する熱を感じたとき。
ふいに、握る形になった指に柔らかいものが触れた。
「……!!」
ミレイアは乾くほど目を瞠ったまま硬直する。
唇をわずかに離し、黒の王子は深い色の目でミレイアを見つめて冷たく微笑した。
「――《四印の聖女》ミレイア。テンペスタの王太子ラウル・ヴィクトールは、お前に結婚を申し込む」
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