第一章 最悪な日に傘を

津多子つたこお祖母ちゃん、いってきます! 」

「気を付けて行きなさいよ……。全力を出し切って、笑顔でやるのよ。それと」

「あはは、もうお祖母ちゃんったら心配しすぎ~! 少しは孫を信じてよ」

  緊張してる。

 時間が近づくにつれて、鼓動がどんどん速くなっていく。

 まるでリズムを刻んでいるかのように、一定に。

「じゃあー……、行くね」

「ええ。楽しんでね」

 お祖母ちゃんは目を細めて、優しくほほえんでくれた。

 ああ、安心する。

 私はいつものギターケースを背負い、一度深い深呼吸する。

 そしてお祖母ちゃんが心配しないよう、満面な笑顔で、両手で手を振り、走り出した。

 私が住むのはここ、竹之宮たけのみや市場で祖母が営んでいる、「みんなの八百屋」という小さなお店。

 市場のみんなはとても優しくて、小さい頃からお世話になっている。

 今では家族のような存在だ。

 私は六歳の頃に両親を亡くし、お祖母ちゃんが育ててきてくれた。

 そこから現在、私は私立の明虹館高校に通い、幼なじみの男友達二人とバンド部に所属している。

 そして今日は、将来の夢である歌手になる夢を叶えるべく、このバンド部の仲間と共に都会である英聖町えいしょうちょうへオーディションを受けに行くのだ。

 栄聖町はバスで六駅という、そこまで遠くはないものの、都会ということで交通量が多く、かなりの時間がかかる。

 自転車で行ったほうが早い気もするが、へとへとで歌うよりかは良しとしよう。

「あ! ひなちゃぁあぁん!! 」

(ビクッ!)

 誰かに名前を呼ばれ、足を止めて振り返ると、バンド部のメンバー、夏川 新なつかわ あらたの母親が両手で野菜の入った段ボールを持って、息を荒げながら走ってきた。

「おはようございますおばさん! どうか……されましたか? 」

「いやぁね、うちの新がいなくって~。ひなちゃん知らない? ほら~、いつも三人でいるから」

 ギクッ……。

 新のやつ、オーディションのことおばさんに言ってないんだな~。やれやれ、ここはオーディションも控えているし、助けてやるか。

「い、いえ……新のことだし、その辺うろうろしてるんじゃないです……かね」

「あら、そう? あの子ったら今日は店の手伝いを頼んだのに」

 時間が刻一刻と迫ってきている。急がないと。

「み、見つけたら言っておきます! 急ぎの用があるので、では! 」

「あ、ひなちゃんでもー……」

 私はおばさんの話の途中で走り出した。

「ごめんなさい、おばさん! 」

 後ろのギターケースが荒く揺れる。

「新のやつ、時間がないっていうのに……あとで覚えときなさいよ~!! 」

 しばらくすると、バス停が見えてきた。

 乗車するバスがすでにバス停に止まっていたため、へとへとになったまま乗車することになってしまった。

 バスに乗り込むと一番後ろの席に座り、ギターを背中からゆっくり下ろして、一息つく。

「まったくも~。あと一時間しかないじゃない。最後のリハーサルしたいのに間に合うかな……」

 呼吸が落ち着いたところでギターケースのポケットからスマホと、桃色のワイヤレスイヤホンを取り出して、スマホで大好きなアーティストの曲を選択する。

 選曲は、人気男性バンドグループ「forever universeの『夢を数える』」。

 forever universe《永遠の宇宙》。ファン名はMilky Way《天の川》。

 私はこのオーディションに合格して、forever universeのように人の心を揺さぶり、たくさんの人に希望や元気を与えるアーティストになりたい。

 どうしても、これが最後なんだ。

 私たち三人は今年受験生で、進路を考えなければならない。だけど私には、歌しかない。絶対に、受かってやる!

「次は、英聖町。英聖町です。バスが停止してから席をお立ち下さい 」

(ピンポーン)

 私は降りる準備をし、ギターを担ぎ直して制服のスカートを整えた。

 本当はとびきりかわいくおめかしして行きたかったが、学校を代表したバンドチームということで、三人で話し合って制服ということに決めた。まぁ、私たちの制服は可愛いのでかまわない。

「英聖町、英聖町。お出口は右側です。」

「よし」

 ICカードをタッチし、緊張なんか忘れて軽やかな足取りでバスから降りる。最初は緊張しかなかったけど、今は楽しみでしかたがない。

(ポツー……ポツポツポツ……ザァー)

「え、雨……? 」

 私はギターが濡れないように急いでバス停の屋根へ急いだ。

 さっきまでのワクワク感が、急に絶望へと変わった。本番まで残り二五分。新のお母さんに捕まってたせいで時間がやばい……。ここのバス停から会場まで徒歩で十分ほどかかる。走れば間に合うけど、雨じゃギターを守らないといけない。いくらカバーに入れていても、この雨じゃ濡れてしまう。どうにもギターを守りながらじゃ遅くなるな……。

「傘、持ってこればよかった……。もうここで終わりなのかな。」

 いや、私の夢はこんなものじゃない。受けて不合格なら頑固な私でも納得できる。でも、間に合わないで不合格なんてやだ !よし、行くぞ。

 私はバス停の屋根の下から出て、ザーザーとした雨を浴びながら歩き始めた。

大きなギターを抱えた状態で緊張感も背負い、体が重い。

二人はもう会場に着いたかな……。そんなことを考えていると、さっきまで肌に触れていた感覚がなくなった。

「濡れるよ」

 雨が自分に当たらない感覚と、上から聞こえた声に足を止めた。

 見上げるとそこには、黄色い傘を私に差している若い男性が立っていた。どうやら私が濡れないように差してくれているらしい。

「あ、あの。私のことはお気になさらず……ほら、お兄さんの肩が濡れてますよ」

 私は突然出会った他人に申し訳ないと思い、そのまま行こうとしたものの、男性は傘を私に握らせた。

「君、アコギは雨に濡れたらだめなこと知ってるでしょ? 大事そうに抱えてたし。俺はいいよ、急いでいるなら早く行って」

 お兄さんもなかなか図太い。でもやっぱり申し訳ない……。

「で、でも」

「何? それとも俺が濡れるから二人で傘差して送れって? 」

「うぅ……いえ、それは結構です。ありがとうございます」

私は時間も迫ってきているので、お言葉に甘えて傘をもって走った。

さすがに知らない男性と一緒に傘差して行くのは気まずいよ~。

ギターを背中に背負い、傘をしっかり握る。

 時間が迫り、猛スピードで走ってギターが荒く揺れる。

 よし、会場が目の前だ!



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Only1の恋 ~カノジョで始まる物語~ 有栖川葉月 @sua_alice

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