第7話
デニスの体は、青く、渦巻く水流に包まれた。
そして、その身は姿を変える。
猛々しく、雄々しく美しい、青き覇気をまとったドラゴンの姿に――。
圧倒的な水流が叩きつけられる。私は、目の前に壁を作り、対抗する。
屈服させるために、力には力を。
「っつ」
「どうした! 勇者!」
しかし、わずかに押され、私は、更に魔力を込めた。
そして押し戻すタイミングで、彼の羽を狙い、風の刃を繰り出す。
「竜化しても、その程度?」
「くそっ」
私たちは、戦い続ける。
幾度も、私が叩き伏せ、彼は立ち上がる。
言葉はない。
それは、純粋に力と
気が付くと、大地の端が茜色に白み始めていた。
その茜色から連想したものは、私もデニスも同じだったらしい。
「ちっ。こんなんじゃイルセに顔向けできねえ」
その言葉は、ずきりと今まで以上に私の心臓を貫いた。
戦いは問題ない。
まだ私にはデニスをいなす余裕さえある。
でも、私の心はもう、崩れる寸前だったのだ。
戦いの中、彼の纏う覇気は今までよりも格段に大きく、濃くなっていた。
すれ違い、距離が近くなる度に デニスの纏う覇気が、香りが、私を乱す。
どうしよう。
どうしよう。もう戦いたくない。
傷つけることが耐えられない。
だって、彼は、私の――。
「……そんなに、そんなにお義姉さまが大事?」
そして、揺らいだ私は、今、絶対に聞いてはいけない一言を声に出してしまった。
「ああ、あいつはお前らにはやらねえ。――この俺も、まだやれねえ」
デニスの答えは、私をどん底まで突き落とした。
弱った心を、その一言はナイフの様にえぐってくる。
――彼を力で捻じ伏せて、戦いに勝って、それからどうするの?
『叩き伏せろ。そうすれば、お前の物になる』
お兄様、それでも手に入らないものはあるのよ。
彼は――。
彼は、私の「
それなのに、彼の心はお義姉さまのものなのだ。
目の前にいる番が手に入らないと知れた時の絶望がどの程度凄まじいか、私は、それを今体感していた。
この苦しい想いも彼との記憶も全て捨ててしまいたい。
いっそ知らなかった時に戻りたかった。
でも、そんなこと、できるわけがなかった。
この狂おしい、手に入るなら悪魔にさえ全てを差し出してしまいそうになるほどのこの想いを、どうせ捨てられないというのなら――。
「俺は負けねえ! 俺の一番の大技をみせてやるよ。防いでみやがれ!」
硬度を増した高速の渦を巻く水流が、幾重にも折り重なり私に向かってくる。
どうせ捨てられないというのなら――。
私は、目をつぶった。
体の力が抜けていく――。
捨てられないこの気持ちと一緒に。
――私自身が消えてしまえばいい。
絶望に身を委ねた私にとって、それは甘美な解放への誘惑だった。
そして、竜の咆哮が、夜明けの空に響き渡った。
◇◇◇◇◇◇
彼が欲しかった。
勇者の一族には、数世代に一度、ドラゴンを番と求める者が現れる。
お爺様とお兄様がそう。
女性でそのような者が現れたと聞いたことはなかったから、私は自分がそうなのだとは思いもよらなかった。
縁談のお相手に興味はわかなかったけれど、政略結婚なのだし、結婚してから側にいれば自然に情が湧いてくるだろうと思っていた。
でも、違った。
今思うと、お義姉さまに会って、言いようのない愛おしさが募って仕方がなかったのも頷ける。ドラゴンと人とのハーフであるお義姉さまは気配を隠すのがあまり上手ではなかったために、私はドラゴンの匂いに当てられてしまっていたのだ。
デニスは、気配を隠すのが上手かったので気づかなかった。
だから、彼がその覇気を、身に纏わせた瞬間にやっと気づいたのだ。
――そう、この男こそが、私の「番」なのだと。
彼が、欲しかった。
欲しくて欲しくて欲しくてたまらなくて。
だから、手に入らないと思った瞬間、いっそ全てを捨ててしまいたいと思えるほどの絶望に駆られたのだ。
◇◇◇◇◇◇
「馬鹿野郎! なんで防がねえ!!」
あんな攻撃を受けて生きているなんて、勇者の体は丈夫すぎて困ったものだわ。
ただ、焼けつくような熱さでお腹に大きな穴が空いているの感じ、私は自身の終わりが近いことを悟った。
人型に戻って私を抱きかかえているデニスは、端正な顔をぐちゃぐちゃに歪めていた。
最後に、この人にこんな顔をさせることができたことが少し嬉しい。
番の腕の中で死ねるなんて、こんな時だと言うのに、私はたまらなく幸せだった。
意識がなくなる瞬間までこの顔を見ていたい。
「畜生! 勝負を投げやがって! ふざけんな!」
ごめんね、あなたの勝ちでいいわ、と言おうとしたが、口からこぽりと血の塊が溢れただけだった。
デニスは、腕で目にたまった涙をぬぐうと、私を強くにらみつける。
「決めた。覚悟しろよ。お前を絶対自由になんかしてやらねえ」
おかしい。
私の心と本能はもうあなたに囚われてしまっているのに。
笑おうとしたけれど、私の口からはまた血の塊だけが零れ落ちて、彼の口元を震えさせただけだった。
デニスは、大きく息を吐き、着ていたシャツの襟をびりびりと裂いた。
喉元に、人型になっても消えない鱗が朝日を受けてキラキラと光った。
竜の逆鱗。
引きはがされ、飲み下されると、その相手の奴隷になるという、ドラゴンの唯一の弱点。
何故それを私に見せてくれるのかと疑問に思いながらも、私は、美しいその透明な鱗をうっとりと眺めた。
けれど次の瞬間、デニスは、それに手をかけると、迷いなくそれを引きはがしたのだ。
「があああああーーーーっ」
竜の咆哮が大地を揺るがす。
逆鱗を引きはがされる痛みは想像を絶するという。
大きく肩で息をするデニスが、真っ青な顔のまま、私の口元にそれを差し出した。
「飲めよ」
信じられない。
彼は何をしているんだろう。
「そんな傷、これを飲めばすぐ治るから! さっさと飲めよ!!」
彼は、私を助けようとしている。
嬉しい。
でも、私の体にはもう、それを飲み下すだけの力はなかった。
もう十分だった。
私の目から涙が落ちる。
「ちっ」
それを見ると、彼は舌打ちをして、自らの逆鱗を口に含み、バリバリとかみ砕いた。
そして、私に口づけ、それを飲み込ませた。
口に入ると、それはほろほろと溶けていく。
――体に染み渡るそれは、ひどく苦くて、甘い、甘い味がした。
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