第2話

「ふぁーう」


 いけないわ。

 私は王女にあるまじき大あくびをした後に、慌てて取り繕った。

 誰も見ていないし、誰もいないのは知っているけれど、だからと言って品のない振る舞いをしてよい理由にはならないもの。


「でも、昨夜はあまりにもうるさかったわ。お兄様ったら、お義姉さまをお母様にとられたからって、森でストレス発散するのはどうかと思いますの」


 私は、今朝は朝食を済ませるとすぐにウェストランド城の背後の別名「深淵の森」に、様子を見にやって来た。

 端的に言えば、そう、お兄様がやらかした後始末だ。

 やらかした本人はというと、明け方帰ってきた途端に部屋に戻って、結界は後で直すと言って寝落ちしてしまったのだ。

 この深い森には結界が張ってあり、私達「王族」が訓練をしても、森やそこに住む生き物にダメージを与えないようになっている。ただ、あまり負荷をかけすぎると、結界も崩れ始めるから、訓練後は、使用した本人が修復を行うのがルールなのだ。


「やりっぱなしはよくありませんわ。子供だって遊んだらお片付けまでしますのに」


 森の結界を不完全な状態のまま放置しておくのもよろしくないので、私は朝から森まで出向き、兄の代わりを務めることにした。



 森に入って少し行くと、お兄様の「やらかし」の様相がだんだんと明らかになってきた。


「もう、結界がぼろぼろですわ。結界が破れてしまっている場所まであるなんて。これは、大いなる貸しですわね。あとで、お義姉さまを貸し出してもらわないと……」


 私は途中で言葉を止める。

 森の中で一か所、木々がなぎ倒され、大地がめくれ上がりひどいことになっている場所があり、そこに、人影を見つけたのだ。

 私は息を飲んで慌てて駆けよった。


 なぎ倒された木の側にうつぶせに倒れていたのは、褐色の肌、深い青色の髪の兄と同い年くらいの青年だ。

 意識のないその首に触れると、とくり、脈打つのが感じられた。 

 よかった。

 私は、触れた部分から、その青年に治癒魔術をゆっくり流し込む。

 青年の手がわずかに震え、顔色が徐々に良くなっていく。

 もう大丈夫ね。


「もう、お兄様ったら、周囲をよく見るべきだわ。ストレス発散に他人を巻き込んでしまうなんて最低ですわ。番を得たばかりの勇者は色々箍が外れてしまうから生ぬるく見守ってあげなさい、なんてお爺様は言うけれど、本当にどうかと思うわ」


 私は、呼吸が落ち着いてきた彼をそっと横たえると、周囲の結界の修復に取り掛かった。


 付近の結界の修復をあらかた終えた頃だった。

 お兄様の雑な結界よりもだいぶいい出来だと周囲を見回していると、倒れていた青年が、頭を振りながら上半身を起こした。


「くそっ、あいつめ、どこ行きやがった」


 元気そうな様子に笑みが漏れる。


「その調子なら大丈夫そうね」

「お前、誰だ?」


 そう言うと青年は、訝し気にこちらを見た。

 あら、私を知らないなんてあるのかしら?

 黒髪に紫の瞳のウェストラントの王族――勇者の力を受け継いだ者だけに現れるこの色を知らないなんて。


 ――ああ、なるほど。あちら側ね。


 私は、彼の出自になんとなく納得する。

 命の輝きに満ち溢れた赤い瞳に、整った目鼻立ちは、普通の人間にしては、美しすぎた。

 この深淵の森は、他国ともつながっていて、周りの国からよく、人の姿を取ることのできる高位魔獣が紛れてくるのだ。

 私の正体を知らない彼に、勇者の一族などと言って怖がらせることもない。

 勇者一族の存在は、あちら側では、それなりに恐れられているのだ。


「私は、治癒魔導士ですわ。昨日、この辺りで大騒ぎがあったでしょう。様子を見に来ましたの。あなたの傷も私が直しましたのよ」

「そ、そうか。道理で体が軽い。礼を言う」

「どういたしまして」

「それより、お前、知らないか? あいつ。そう、お前と同じ髪と目の色だった」


 怒り心頭、という様子でそう告げてくる彼に、私は、にっこり微笑む。

 彼が探しているのは、十中八九お兄様だろうけれど、ここはしらばっくれましょう。

 お兄様のストレス発散に巻き込まれてしまったのは不憫だけれど、今のお兄様の所へ連れて行ったら、面倒なことになる予感しかしない。


「うーん、この辺りには私と同じ髪と目の色の人はそれなりにいますから」


 嘘ではない、私とお兄様とお父様とお爺様――それなりの人数だ。


「あいつめ、次に会ったらただじゃおかねえ」

 

 勇者の強さがわからずに喧嘩をふっかけようとするなんて、高位魔獣とはいえ、実力はさほどではないのだろう。

 実際、人間ではないだろうと言うことは分かるが、彼からはあまり強さや覇気を感じない。

 ちょっと不憫に思った私は、お昼を分けてあげることにした。


「ねえ、怒るとお腹が減るでしょう? 私、お昼を持ってきていますの。ご一緒しない?」


 私が、準備したバスケットの蓋を開けて見せると、よい匂いにつられたのか、彼のお腹がぐうっと鳴るのが聞こえた。

 年上の青年なのに子供みたいでちょっと可愛い。


「……食う」


 頬を赤く染めるその様子もちょっと可愛かった。



「うまい」

「そうでしょうそうでしょう。私の自信作ですもの」


 彼は、とてもおいしそうに食べる人だった。人ではないのだけれど。

 その様子を見ていると嬉しくなる。

 普段城にいる私が手料理を作る機会はめったにない。

 今日は、森に来るので、特別に厨房を使わせてもらったのだが、少し多めに作りすぎてしまったのでちょうどよかった。


「ねえ、あなたはどこから来たの?」

「――西だ」


 食べながら少し世間話のように話を振ると、彼からは短い回答が返って来た。

 国の名前を言わないのは、言いたくないからか、国という概念がないからか――後者でしょうね。


「そう。じゃあきっと知らないでしょうけれど、この森はね、結界が張られていて、森やそこに住む生き物にはダメージを与えないようにできていますの」

「昨日は、違ったぞ」

「うーん、結界でも防ぎきれないぐらいの何かが起きてしまったのでしょうね。よっぽどのことだわ。だから、あなた、もうここには近づかない方がいいわよ」

「……」


 彼は、悔しそうな顔をして俯く。

 これはだめね。言う事をきいてくれそうな感じがしないわ。

 でも、明日実際にお兄様に会って、敵わないと知れば、きっとあきらめるでしょう。


「それじゃあまたね」

「ああ。飯、うまかった」


 私は、彼に手を振ってその場を後にした。

 

「おいしそうに食べてくれたから、ちょっとサービスね」


 私は、帰る道すがら、お兄様にぼこぼこにされても彼が無事でいられるように、この森一帯の地面にに、薄く治癒のエリア魔術を展開させておくことにした。


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