それがぼくらの世界

森宮 宙彦(もりみや そらひこ)

前編


夜の帳が下りた城下町は美しい


ぼんやりと、蓮疾は高い塀の上から閑散とした下町を見下ろした


「何を見ている?」


澄んだ夜の空気に溶け込む凛とした声の持ち主は京羅だった

「京羅かよ」

「何、私では不服だったか?」

「違うよ、そうじゃなくて」

「じゃぁ、なんだ」


京羅はこの国を統治する舞桜姫の付き人兼、忍びである。

蓮疾は忍びの里からの出身なので、元より忍術に長けているが、この女は海外から漂流されても尚生き残った丈夫な忍びである。


京羅の忍びとしての体術や技は独学。

其処を突くとこの女は調子に乗るか機嫌を悪くするかの二択なので、面倒なので訊かないことにする。

良くも悪くもプライドが高いのだ。この京羅という女は


佇まいを正して一言ぽつりと零す

そんなふうに質問に応えた


「今日、何かが起きそうな予感がした」

「予感?何が起きるというんだ」

「...なんだろうな、沢山の人の血が流れそうな、そんな予感かな」


くだらない、京羅が鼻で笑った。思惑ムッとした顔で京羅を振り返る


「なんで笑うんだよ」

「蓮疾も面白い冗談を言うんだなと、思ってな」

「俺は真剣なんだけど」

「悪い悪い、だが」


京羅が蓮疾の瞳を射抜いた


「沢山の血が流れないように、姫様の愛する国を守る為、闘うのが私たちだろう?」


「...それも、そうだな」


もう夜も遅いし、そろそろ寝ろ、と京羅が蓮疾の手を引いて起こせば

蓮疾は笑った


「俺たち二人が居れば、大丈夫だよな!」


蓮疾がにぱりと笑えば強張った顔を和らげる京羅が居た


『普通ではない二人』だからこそ

最初で最期の、素直に心を開いた会話がこれだけだった



「早く伝えねぇと...!」

蓮疾はいつもより速く脚を動かして、城へ急いでいた


国の未来を観ることが出来る神さまを体内に宿す八千代の顔色が最近あまり良くないことは何となしに知っていた


(どうして、もっと早く気づかなかった‼︎)


八千代を問いたださなかった過去の自分を責めながら、脚を叱咤させて屋根瓦の上を跳ぶ。

民間人が驚愕した顔で此方を眺めているが知ったことでは無い


兎に角急げ!


八千代の様子が可笑しいのが気にかかって、忍び脚を巧みに扱い、術で己の匂いを隠し、出かける八千代の跡をつけた

(山の奥は虫が沢山居て、八千代は嫌だって言っていたのに珍しい...)

その時は未だ『まぁ、山の空気は美味いからなぁー』くらいに思っていた。


あの男、深月が現れるまでは


身を樹々に隠し呼吸を術で整える

深月といえば過去の経歴に謎が多い呪術師として有名な青年だ

犯罪は未だ犯していないが、その裏、未解決の殺人事件に多数関与している可能性があると見られ、国でも深月は危険人物として指定されている面もあった


(なんで、そんな深月と八千代がこんなところで...?)


口を開いたのは八千代が先だった


「要件を早く言ってください」

「イケズですねぇ、折角の逢瀬ですというのに!」

「気色の悪い事を言うな、堕ちた陰陽師」

「ふふ、八千代殿は気がお早いようで」

「帰るぞ」

「嗚呼、待ってくださいまし」


深月はクスリと笑い、背を向けた八千代に言った


「貴方の信託ではこの国は近い未来において破滅の危機が訪れる、とのことで?」


「...それが本題か?」

「えぇ、それに、八千代様は国民にも舞桜姫様にも『その事を』隠しておいでではありませんか」


「...話だけ聴いてやる」


「取り引きをしましょう。私は未来を変える力を持っていますから」


「具体的にはどのような?」


「貴方が危惧する、天候も、地形も、人々の思想も、全て思う存分に変えられる力に御座います!」


「...本当か?」

「ええ、本当です」

「急になんだ、怪文書のような矢文を寄越したと思えば、妙な提案をして、欲しいものはなんだ?地位か?名誉か?はたまた金か?」


「否否、私が欲しいのはただ一つだけ。...舞桜姫の右目に宿す妖。八千代殿に『持ってきて』頂きたいのです。私の立場では残念ながら近づく事も叶いませんから...」


「ふざけるな!真偽の妖を盗めだなんて...御国を護る舞桜姫の首が跳ぶ事になる、それは取引では無く立派な脅迫じゃあないか!」


「受け取りはご自由にどうぞ、ただ」


国の未来を取るか

姫の命を取るか


それは貴方次第ですけど、ね




そう微笑った深月のなんと美しい事か。

ゾッと駆け抜けた悪寒に気付かぬふりをして、蓮疾は急足でその場から姿を消した。


八千代を助けるか一瞬逡巡したが、深月に八千代共々殺される可能性の方が高かった為、逃げを選んだ。


ー情報を伝える事を蓮疾は選んだのだ


八千代はその後、救助に向かえばいい


しかし、その選択が己を殺す事になると、その時の蓮疾は気づきもしなかった


宵闇に浮かぶ三日月が涙をこぼしながら、器用に弧を描いた気がした



「舞桜姫、京羅、蒼刻!」


無事で居てくれ


祈りながら城へ戻る


伝えなければ

八千代が、国に反乱を起こそうと裏で動いている呪術師、深月と密会し、歓談していたことを


もう少しで城に着く

ホッと息を吐いたのも束の間

「迷い込んだ鼠が一匹」

背後から男の声が聴こえた瞬間、蓮疾の身体は動かなくなった。地面に視線を向ければ不気味な陣が描かれていた。

このドロリとした紋様の陣は、堕ちた陰陽師、呪術師特有の術式、毒が大気中に満ちていて、此処で殺す気なのだと蓮疾は察した


「鼠は排除せねば」


深月が背後で拍手をしながら微笑っていた

きっとこれは深月の足止め


「鼠の痕跡を辿るのなんて、式神を使えば容易い事なのですよ」


盗み聴いていたのが何処かでバレたのだろう。

逃げる際、木の葉が揺れた時の音でバレたのだろうか

今更考えても無駄ではあるが


「嗚呼、きっと俺は鼠だろうよ」


蓮疾の身体能力を使っても、きっとこれは抜け出せない


だけど


「俺は姫さんの友人なんだよ!」


忍びの里直伝の、身代わりの術、懐かしい兄である風疾から教わった、重心を使った跳躍


なんとか陣の中から抜け出し、蓮疾は歯を食いしばり、漸くの思いで外に出た


空気が美味しい。思ったより陣の中に撒かれていた毒の香がキツかったらしい


「逃すか!」


刹那、胸に小さな矢が一本射抜いた


「さよなら、勇敢な翡翠の鼠」


深月は式神や呪術以外にも存外武器に長けた男であったようだ。侮っていた此方が悪い


衝撃、胸が、焼けるように痛い

跳躍した脚はそのまま、城下の庭の中まで跳び、石畳みの上で蹲る、血がポタリと垂れる、隠れて鎮痛剤を飲み、急ぎで止血せねば、そう思うのに、蓮疾の身体は動かない、矢先に毒を盛られていたらしい。やられた。

生憎解毒剤は持ち合わせていない。


「ッ"...」


痛い、痛い、苦しい、恐い、

伝えなければ


ー死ぬのか?


嫌な予感が頭を過った。

痛みに耐えかねた蓮疾が目を閉じようとした、その時


「蓮疾か?」

「蒼、刻」


何処までも優しい青い瞳が目の前にあった。

蒼刻は蓮疾の怪我を見ると「何事か」と慌てたように取り乱した。

いつも冷静沈着な蒼刻らしくない

なんだか可笑しくて蓮疾は笑ってしまった


理解してしまったのだ


だから、せめて、これだけは伝えよう


「八千代は、白だ。深月って男に脅迫されてる。城内で内部の反乱が、始まる、舞桜姫が、妖が危ない。後は頼む、ぜ」


「蓮疾、なぁ、嘘だろう、おい」


「親友、ありがとうな」


此処で蓮疾の意識は途切れた。

蒼刻は目を見開いたまま、死ぬなと叫んでいた。

そんな気が、蓮疾にはした。


END

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