第14話 世界で唯一の魔術師の俺、二人に秘密を明かす

 俺は決心した。


 パンツを洗いながら決心した。


 師匠と姉弟子との接触を減らすと決心した。


 このままでは俺がどうにかなりそうだ。


 欲望に流されて、二人に良からぬことをしでかす恐れすらある。


 姉弟子に散々搾り取られていて、すでに手遅れ感もあるが……。

 いや、まだ大丈夫のはずだ!


 姉弟子も何してるかよく分かってないし!

 入ってないからノーカンノーカン!


 問題はむしろ俺の方にある。


 今の俺は前世の記憶がごっちゃになって、大切な家族である二人に女を感じてしまっている。


 レオンハルトとしての意識はしっかりあるが、以前のように二人をただの家族だと思えない。


 だけど、俺は今までの三人家族の関係がとても大事だ。

 一時いっときの欲望に流されて壊してしまいたくない。


 だから、そうならないように、物理的に距離を置くことにした。


 姉弟子に風呂に誘われても。


「レオー、お風呂に入るわよー」


「入りません! あとで一人で入ります!」


 師匠に密着されそうになっても。


「レオ、この術式の方が効率が良いですよ」


「分かりました! でも、自分で書けるので大丈夫です!」


 姉弟子に寝室に連れて行かれそうになっても。


「レオー、寝るわよー」


「お休みなさい! 一人で寝ます!」


 師匠にハグを求められても。


「レオ、一人で寝るなら、せめてお休みのぎゅーを」


「しません!」


 俺は断固として断り続けた。


 俺はノーと言える男レオンハルト。

 接近さえされなければ、欲望を抑えることなど容易いことよ。


 こんな調子で二人と距離を置き、俺は修行に集中することにしたのだが……。


「レオが悪い子になっちゃった……!」


 姉弟子がショックを受けている。


「……試験を目前にひかえて、レオも神経質になっているのかもしれません。私たちも耐えましょう……」


 師匠が悲しみに眉尻を下げながら、姉弟子の肩を抱いてあやしてやっている。


「(すまぬ……! すまぬ……!)」


 俺は離れたところでノートにペンを走らせながら、心の中で謝った。


 二人は悪くないのに、俺の勝手で気分を害させてしまっている。


 だが、俺たちの距離感はこれまでが近すぎたのだ。


 15歳の男が、妙齢の美女二人と毎日一緒に風呂に入って一緒に寝て、四六時中ベタベタしているなんて、こっちの世界の常識に照らし合わせてもおかしい。


 パーソナルスペースが完全にバグっている。

 基本誰かと誰かがくっついている状態だ。


 まぁ、師匠と姉弟子がくっついてイチャついてるのを見るのは眼福だが。


 師弟百合は良いものだ。

 いいぞもっとやれ。


 違う違う。

 そうじゃない。

 話が逸れた。


 俺が言いたいのは、ここらで一般的な家族の距離感を学ぶべきではということだ。


 これは良い機会なのだと思う。


 俺が気軽にスキンシップを取っていい小さな子供ではなく、立派な大人の男なのだと二人に示さねばならない。


 そのために今度の実技試験も合格してみせる。


 二人のことを大切に思うからこそ、涙を呑んで今は耐えるのだ。


 そんな感じで二人から距離を置くこと3日。


 試験までの残り日数が半分を切り、俺の頭は冴え渡っていた。


 師匠たちとの接触を極力なくし、姿さえ拝まないようにして、目の毒となるエロ衣装を視界に入れないようにした。


 やはり、俺の性欲がおかしいのではなく、二人が色気むんむんドエロ美女過ぎるのが原因だったのだ。


 この距離感ならば、俺はいたって冷静でいられることが判明した。


 今も一人で談話室を使って勉強をしているところだ。

 試験は実践形式とは言え、今のうちから対策を練っておいて損はない。


「よし、術式の確認は取れた。試験で実力を出せないということはなさそうだ」


 俺が覚えている全ての初級魔術をまとめたノートを閉じる。


 何の役にも立たないゴミ魔術も習得していたせいで、確認を取るのに時間がかかってしまった。


 実技試験で確実に合格できるとは言えないが、学科の時のようにはならないだろう。


「レオ、ここにいたのですか」


 師匠が俺を見つけて談話室に入ってくる。


 俺に向けてくる笑顔は優しいが、どこか寂しそうでもある。


 すみません、師匠。

 俺たちが普通の家族に戻れるまで、もう少し待っていて下さい。


「アッ、失礼シャース……」


 師匠と一緒にいると、またムラムラしてしまう。


 師匠がエロすぎて、体臭を嗅ぐだけでおっきしそうだ。


 とっとと自分の部屋へ帰ろう。


「シャースシャース……」


 俺はヘコヘコと頭を下げて、師匠の横を通り過ぎる。


「レオ!」


「ひゃ、ひゃい!」


 普段は出さないような大声を出され、俺は思わずびくりと飛び上がった。


 その瞬間、両肩をがしっとつかまれ、師匠が顔を近づけてくる。


「しっ、師匠!?」


「レオ……レオンハルト。私の目を見て答えなさい」


 き、キレてる!?

 あの師匠が!?


 子供の頃から思い返してみても、俺はほとんど師匠に怒られたことがない。


 姉弟子と違って素直な良い子だったからというのもあるが、師匠が怒るところ自体あまり見た記憶がない。


 それくらい穏やかな人が、すごく怖い顔をして俺を見つめている。


 いや、この顔は見覚えがある。


 つい最近の話じゃないか。


 俺が学科試験に落ちて、『家に置いてもらうのは忍びないから出て行く』と言ったあの時と同じ顔だ。


 師匠はじっと強い視線で俺のことを見ていたが、その瞳がだんだん潤み始めた。


「あ、あなたは……、わ、わた、私たちのことが、嫌いになってしまったのですか……?」


「……ふぁっ!?」


 ししし、師匠が泣いてるーっ!?


 『嫌い』という言葉を自分で言った瞬間、見開かれた師匠の瞳からぼろぼろと大粒の涙がこぼれ落ちる。


「嫌いになったのなら、そう言ってください……っ。こんな風によそよそしく、他人のような態度を取られるくらいなら……、はっきり言ってくれた方がまだましですっ……!」


 師匠の悲しげなまなざしに、俺の胸がずきずきと痛んだ。


「ち、違うんです、師匠!」


 師匠の細い肩を抱き返して弁明する。


「これは俺自身に問題があって、師匠たちのことを嫌いになったとかじゃないんですよ!」


 まさかこんな誤解を与えてしまっていたとは。


 俺が師匠たちを嫌うわけがないが、師匠たちがそう思うとは限らない。


 避けるような態度を取れば、傷つくに決まっている。


 二回も同じようなことで師匠を泣かせてしまった。


「……本当ですか?」


「誓って、マジです!」


 俺はまっすぐ師匠を見つめ返して言った。


 師匠たちのことは大好きだ。

 その気持ちに変わりはない。


 ただ、そのベクトルが変わってしまったことが大問題なんだ。


 前世の記憶が混ざって精神的に不安定になっているからだと思っていたが、三日経っても師匠たちのことを女として意識してしまう。


「……その問題とは何ですか? レオの身に何かが起きていることは、私にも何となく分かります」


 姉弟子にすらおかしいと言われ続けてたからな。


 師匠は気づいた上で、今までそっとしておいてくれたんだろう。


「あなたの抱えている問題は、どうしても私たちには言えないことなのですか?」


「いや、でもそれは……」


 俺が言いよどむと、また師匠の瞳に涙が溜まり始める。


「あわわ、分かりました! 言います! 言いますって!」


 師匠の涙に勝てるわけもない。


 俺は赤らんだ下まぶたに残った涙を拭ってやりながら、師匠に敗北宣言した。


「とても信じられない話だと思いますが、ちゃんと話します」


「私があなたを信じないなど、絶対にありえません。ど、どんな恥ずかしいことでも打ち明けて下さい。大丈夫です。知識はあります」


「あ、いや、そういう思春期的なやつではないのですが……。とにかく姉弟子も呼びましょう。話すのなら二人とも聞いてもらいたいです」


 良い機会なのかも知れない。


 俺も前世のことを黙っているのは、嘘を吐いているような気分でずっと居心地が悪かったのだ。


 師匠たちと距離を置いた理由の何割かは、こっちが占めていた。


 『前世の記憶と人格が追加されて、思考がおっさんになった』と告白するのは、さすがに抵抗がある。


 だがこうなった以上はもう話すしかあるまい。


 観念して打ち明けよう。


 俺が性欲全開で師匠たちを見ていることを知られたら、俺の方こそ嫌われそうな気がするが、自業自得だ。

 

 最初から打ち明けておけば、こんな風に師匠たちを泣かせずに済んだのだ。


 全てを告白して、判決を待とう。



   †   †   †



 姉弟子も談話室に呼んだ。


 不機嫌顔でぷりぷりと頬を膨らませた姉弟子は、腕を組んでどかっとソファに座る。


「ちゃんと話さないと許さないんだからね! あたし怒ってるんだから!」


「はい……」


 逆に言えば、ちゃんと話したら許してくれるのか。

 まだ話の内容も分かってないのに、これではどんな内容でも受け入れると宣言されたようなものじゃないか。


 姉弟子も、師匠も、本当に優しい人たちだ。


 今回のことがなくても、この二人に隠し事を続けるのは無理だったかもしれないな。


 俺も覚悟を決めよう。

 距離を置こうとする前に、まず全てを打ち明けなければフェアじゃなかった。


 俺は自分の身に起きた現象を包み隠さず話した。


 学科試験の最中に、突如前世の記憶を思い出したこと。


 それが原因で騒ぎを起こしてしまい、試験を失格になってしまったこと。


 二人のことを忘れてしまったわけではないが、今までのように血の繋がった家族のようには思えず、女性として見てしまっていること。


 すべて話した。


「…………」


 重い沈黙が流れる。


 やはり、受け入れてはもらえなかったのだろうか。


 こんな荒唐無稽な話、頭がおかしくなったと思われても仕方がない。


 それとも、性欲を向けられていたことを気持ち悪いと思われているだろうか。


「何よそれ。あたしのことを女として見てしまうって、どういうことよ?」


 姉弟子が険悪な目で俺を見てくる。


「それは……」


「今までお兄ちゃんだと思ってた、ってこと?」


「違います」


 お前のような兄貴がいるか。

 無知ムチおっぱいちゃんめ。


 真面目な顔をして何を聞いてくるかと思ったら……。


「あと、なんJ語ってなに?」


「それはこの世で一番どうでもいい情報なので忘れてください」


 結構きちっと説明したつもりなんだが、姉弟子にはいまいち伝わっていない気がする。


 俺の呆れたような視線を感じたのか、姉弟子はふんっと鼻を鳴らした。


「今聞いたこと以外は理解してるわよ。あんたに前世の記憶があることも分かった。でも、それがなに? あんたはあんたのままなんでしょ? 話し方がちょっと変わって、あたしたちに近づかれるのが恥ずかしくなったってだけじゃない」


「それは、そうなんだけど。俺が気持ち悪くないのか? 体感的には俺はもう60過ぎのおっさんなんだけど」


「年齢なんかどうでも良いわよ。60でおっさんなら師匠はどうなっちゃうのよ。1000歳よ1000歳。あたしだって魔女になったから、長生きになってるし。60歳なんて魔道を行く者の中じゃ赤ちゃんもいいところじゃない」


 なるほど、そういう見方をしてきたか。

 姉弟子らしい、合理的で本質的な考え方だ。


「ねえ、師匠は? さっきから黙ってるけど、レオに言いたいことはないの?」


 姉弟子が師匠に話を振る。


 師匠は俺の話を聞いた後、ずっと黙り込んでいた。


 俺は師匠の沈黙こそが怖かったが、思考の海に潜っていただけらしい。


 姉弟子に声をかけられ、師匠ははっとして顔を上げた。


「……レオ、いくつか確認させて下さい」


「……はい」


「私たちを女性として意識しているというのは、間違いないのですか?」


「はい」


「そ、それは、アグニカだけではなく、私もなのですか?」


「……はい。ごめんなさい師匠!」


 俺は深く頭を下げて謝罪した。


 自分を10年も育ててくれて、母親のように思ってきた大切な師匠に劣情を催してしまうなんて。


 失望した師匠の顔を見るのが怖くて、下げた頭を上げることができない。


「そ、そうですか……私も……」


「あー、師匠が赤くなってるー。なんで?」


 なんでだろう?

 俺にも分からない。


「あ、赤くなどなっていません。アグニカにはまだ早い話です」


「むー」


 師匠の声音からは、怒りや失望は感じられない。

 許して貰えたのだろうか。


「最後の確認をしましょう。レオ、アグニカ。中庭へ行きますよ」


「え? はい」


「何するのー?」


 突然の師匠の提案に、俺たちは首をかしげた。


「レオの言葉を疑っているわけではありません。ですが、それはあり得ないことなのです。どうしても確かめねばなりません」


 俺が下げた頭を上げた頃には、師匠の顔はもういつもの透けるような白い肌をしていた。


 そしてとても真面目な表情をしている。

 師匠はいったい何を確かめると言うのだろう。


 俺たちは事情も分からないまま、師匠のあとに付いて中庭へと向かった。


挿絵

レオの肩をつかんで泣く師匠

https://kakuyomu.jp/users/inumajin/news/16817330657180823859

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