第3話 世界で唯一の魔術師の俺、試験を失格になる

 ンゴォー……ンゴォー……ンゴォー……ゴォー……ォー……。


 絶叫の余韻が広い会場にこだまする。


「えっ!? えっ!? なに!? どうしたの!?」


 俺の後ろの席に座っていた女子が、目を丸くしてこちらを見上げていた。


 まったく知らない女の子だ。


 ボブカットにした深い紺色の髪に、同じく紺色の瞳。

 つばの広い大きな魔女帽子を被り、その細い体型に似つかわしくない扇情的な衣装を纏っている。


 だが、まったく色っぽくない。


 ここに来ている受験生は特別な事情がなければ15歳前後のはずだが、この娘は10歳くらいにしか見えない。


 えらく幼いな。

 飛び級してきた特待生か何かだろうか?


「や、やだ。久しぶりだからって、そんなに見つめないでよ……」


「…………」


 真っ平らな彼女の体を見ていると、なぜか心が落ち着いてきた。


 サンキュー、知らない人。


 そして、冷静になったところでようやく自分の現状を俯瞰ふかんできた。


 立ち上がった俺に、会場中の視線が集まっている。


「しまった……」


 思い出したことがあまりに衝撃的で、俺は自分が今どこで何をしているのかも忘れてしまっていた。


 俺はいま入学試験を受けている真っ最中だ。


 世界中から集まった受験生の中から、この学院へ入学できる人間はわずか。


 難関試験を突破して入学できれば、完全なる勝ち組になって薔薇色の人生を送ることができる。


 つまり、ここにいる全員が人生を懸けて真剣に取り組んでいるさなか、俺は大絶叫したことになる。


「や、やっちまった……」


 やっちまったなんてレベルじゃない。

 明確な試験妨害だ。


 そう思ったときにはもう遅かった。


「……受験番号268番。きみは何を思いだしたと言うのかね?」


 冷たい声が壇上から聞こえてくる。


 見上げた先には、こめかみに青筋を浮かべる試験官の姿があった。


「あ、あの……」


 弁解を、何か弁解をしなくては。


 このままだと、悪質な試験妨害として失格になる。


 だが、解決策を思いつけない俺は、試験官の冷たい視線に目を泳がせることしかできない。


「もし難解な問題が解けたのだとしたら、おめでとう。祝福しよう。しかし、だからと言って、大声で喜べば他の受験生への妨害になると想像できなかったのかな?」


「あ、あうあう……」


 ぐうの音も出ない。

 弁解の余地など最初からなかった。


 俺が叫んだことは、間違いのない事実なのだから。


「失格だ。出て行きなさい」


 後方の出口を指さして、試験官を務める教師は俺に告げた。


「ですよねー……」


 にべもない言葉に、俺はうなだれるしかない。


「待ってください。失格にする必要まではないのではありませんか?」


 不正防止のために受験生の間を歩いていた別の教師が、壇上へ上がっていく。


「緊張していたということもあるでしょう。今回は厳重注意と言うことで、試験は続行させませんか?」


 水色の魔女帽子を被った黒髪の教師が、俺の失格を取り消そうとしている。


 俺を庇ってくれているのだろうか。

 優しい先生だな。


 だが、どう考えても無理筋だ。

 やらかした失敗が大きすぎる。


「イノンダシオン先生。学科の試験監督は私です。私の裁定を覆す権限をあなたは持っていません」


「そ、それはそうですけど……。カンニングなどの不正行為を働いたわけではないのに、即失格はあまりに厳しすぎるのでは……。それに試験もあと少しで終わりますし……」


「厳正なる試験会場で妨害に類する行為を働いた。学院法に照らし合わせても充分失格に足る理由です。私が試験監督に相応しくないとお考えであれば、任命したオルラヤ学院長に訴え出てください。その間に試験は終わっているでしょうが」


「うっ……」


「彼が叫んでから、すでに二分が経過しています。試験の終了時刻を変更することはできません。あなたが引き下がらないなら、受験生たちの残り少ない試験時間がさらに圧迫されることになりますよ」


「うぅっ……」


 完全に気圧されてしまっている。

 あのイノンダシオンって先生はどうやらあまり強い立場にいる試験官ではないようだ。


 心情的には俺も助けて欲しいが、理屈では怖い方の試験官が正しい。


 もうどうにもならない。

 俺の試験はこれで終わりだ。


「まだいたのかね、268番。今すぐ出て行くんだ」


「……はい」


 これ以上ここにいても事態は変わらないだろう。


 他の受験生たちもざわつきだした。


 少女たちの視線が全方位から突き刺さる。


「やだ……。なにあれ……」


「やっぱり、男は駄目ね」


「かわいそー。せっかく入学したら可愛がってあげようと思ってたのに」


「んごおおお、ってなに? 変な呪いでもかけようとしたのかしら」


「呪いねえ。男の魔術師が使う魔術ってどういうのなんだろ」


「魔術が使える男なんて今まで産まれてこなかったんだから、分かるわけないでしょ」


「それもそっか。あーあ、残念。試験が終わってもその辺にいたら慰めてあげようか」


「あんたが言うといやらしい意味にしか聞こえないんだけど」


「失礼ね、ちょっと茂みに連れ込むだけなのに」


 静かな会場は潜めた声でも良く響く。


 あまりにいたたまれない。


 失格が覆らない以上、今すぐこの場から立ち去りたかった。

 前世の記憶が一気に駆け巡ったせいで、精神的にもかなり混乱している。


 俺は筆記具を鞄に詰め込み、俺は会場の外へと向かう。


「ねえ、ちょっと……」


 俺の後ろに座っていた少女が、すれ違う俺の裾を引いた。


 さっき驚かせてしまった子か。


 この子のナイチチのおかげで冷静になったことは感謝せざるを得まい。


 そういやこの子、俺が試験を受ける前にも声をかけてきたような気がする。


 なんで俺にこんなに構うんだ?

 こっちはまるで見覚えがないんだが。


「あなた、こんなので終わっちゃっていいの──」


「268番ッ!!」


 壇上の教師の鋭い声が響き渡る。


 俺がすくみ上がると同時に、ひそひそ声で喋っていた受験生たちも静まりかえった。


「いつまでぐずぐずしている! 私は出て行けと言ったんだ!」


「は、はい、すみません……!」


 何かを言いたそうだった少女の手を振り払うようにして、俺は会場を出て行く。


 受験生たちはもう何も言わなかったが、馬鹿にするような哀れむような視線が集まるのを感じた。


 とにかくこの場から一刻も早く出て行きたい。


 俺は早足で出口へ向かった。


 魔術によって分厚い扉が軋みを上げて開き、俺が通り抜けた瞬間、大きな音を立てて閉鎖した。


「……はぁ」


 衆人環視の状況から逃れられ、俺の背中を冷や汗がどっと流れ落ちる。


 閉じた大扉にそのまま背中を預けると、俺はずるずるとへたりこんでしまった。


「いくら何でもこのタイミングで思い出さなくてもなぁ……」


 俺の陰鬱な気分とは逆に、会場の外は明るかった。


 青々とした空の下、顔を上げた先には庭園があった。


 陽光に照らされた美しい花が垣根を作っている。


 その周りを綺麗な羽の蝶々が蜜を求めて舞っていた。


 中央に設置された噴水が水流で美しい軌道を描き、水しぶきが浅い色の虹を生み出している。


 あの噴水も誰かの魔術で動いているのだろう。


 ぐちゃぐちゃの頭の中が落ち着くまで、俺はぼんやりと噴水を眺めて過ごした。


 そして、頭を抱える。


「何やってんだ、俺は……」


 大事な試験の真っ最中に、突然立ち上がって大絶叫するとか。


「アホだ。あまりにアホすぎる……」


 周囲に馬鹿にされても仕方がない。


 だが、俺は普段からあんなアホなわけじゃない。


 むしろ勉強はかなりできた方だ。

 今回の試験も満点を取る勢いで取り組んでいた。


 その俺があんな失敗をやらかしてしまったのは、もちろん原因がある。


 大事な記憶を思い出したからだ。


 その記憶とは──


「前世の記憶」


 そう、前世の記憶だ。俺はそれを思い出した。


 俺の前世は、こんな中世ナーロッパ世界じゃない。

 文明の発達した現代社会の住人だった。


 いきなり自分が別の世界からやってきたと分かったら、絶叫しても仕方がないだろう。


 突然、前世の記憶なんて思い出して、これからいったいどうすればいいんだ。


「……いや、こいつは考えようによってはありなんじゃないか?」


 試験には落ちたが、代わりに現代知識を得た。


 この世界にはない、数千年先に進んだ知識を俺は持っているのだ。


「だったら現代知識でチートできるじゃん」


 マヨネーズ、オセロ、肥料、銃弾、内政チートに貿易チート。


 金儲けの手段には事欠かない。


 この知識を活かせば、魔術師になんてならなくても楽勝で大金持ちだ。


「……せやけど工藤、マヨネーズってどうやって作るんや?」


 私にも分からん。


 いや、それだけじゃないぞ。


 オセロってどんな遊びだっけ?


 肥料の作り方なんて知らないし、銃弾の作り方だって分からない。


 内政チートって何をすればできるんだ?


 貿易チートも意味が分からない。


「ちょっと待て、なんかおかしい。簡単な詳細すら全然思い出せないぞ」


 単語は出てくる。

 だが、その詳細な情報やイメージがまったく湧いてこない。


 そもそも前世の俺って誰だっけ?

 どういう性格で、どういう職業に就いていた?

 親は? 家族は?


 自分の顔や名前すら思い出せない。


「え? もしかしてこれ、前世を思い出すのに失敗してるんご……?」


 たいしたきっかけもなく突然思い出したから、衝撃で思わず叫んでしまったが、よくよく考えると、ろくなことを思い出していないぞ。


「いやいやいや、そんなはずがあるか! 思い出せ……! なんか一つくらいは詳しく覚えている知識があるだろう……! 思い出せ、俺……!」


 あ、そうだ。

 一つだけあった。


 俺が明確に思い出せることと言えば……。


「なんJ語……?」


 いや、なんJ語ってなんだよ。

 ンゴって語尾つけて何か良いことあるか?


「マジかよおい。クソスキルですらないじゃねぇか。これより役に立たない知識って中々ないぞ……!?」


 前世の俺って何をやってたんだ?


 ネットスラング以外にまともに思い出せることがないって、どんだけ中身のない人生だったんだよ。


 じゃあ、あれか?


 俺はこんなくだらんことを思い出したがために、受験に失格して人生を棒に振ったってことか?


「なんだよそれぇぇぇぇっ!? 失格になり損じゃんかぁぁぁぁぁぁっ!! sageのあとはageだろおおおおおおおおっ! チートのない前世の記憶持ちとかむしろマイナスしかないやんけええええええええええええええっ!!」


 俺は泣き崩れて、床を両拳で叩いた。


「ひどいよおおおおおおお!! あんまりだよおおおおおおおおおお!! 元に戻してクレメンスぅぅぅぅぅぅぅぅぅっ!!」


 泣いた。

 恥も外聞もなく泣いた。

 だって近くに誰もいなかったから。


 オーイオイオイと泣き喚く俺の背後で、軋みを立てて大扉が開く。


「……出て行け、と言ったはずだが? 私が出て行けと行ったのは試験会場だけではなくこの学院からという意味だったのだが、理解できなかったのかな?」


 豊かな胸を組んだ両腕で押し上げ、殺意の籠もった瞳で俺を見下ろす試験官が立っていた。


 や、ヤバい。

 本気で怒っていらっしゃる。


 ていうか、今までの声も全部聞かれてた?

 は、恥ずかし……。


「これ以上試験を妨害するつもりなら──」


「し、失礼しましたぁぁぁぁっ……!」


 試験官の指先に光が灯り、実力行使の気配を察知した俺は、全力でその場から走って逃げた。


挿絵・1 気づいて貰えない幼なじみ

https://kakuyomu.jp/users/inumajin/news/16817330656613232722

挿絵・2 庇ってくれるイノンダシオン先生

https://kakuyomu.jp/users/inumajin/news/16817330656613280987

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る