第4話

 幾度目かの出征、幾度目かの敗戦。

 狂気の沙汰の繰り返しが続く。

 何度折れた骨が肉を突き破ったのか、何度眼球を潰されたのか、何度それらを自分の手で拾い逃げ帰ってきたのか、もう数えることができない。

 今の自分が最初の頃の自分だったのか、彼は確信できなくなっていった。

 彼女の加護のおかげだろう、彼女の呪いのせいだろう、それでも体が元通りになると戦意がみなぎってくるのだ。痛みの記憶は蓄積していくが、体は勝手に次の戦場へと行こうとする。

 それでも騎士団は徐々に減っている。不死に近いとはいえ、首を刎ねられることはある。彼女の加護を受けることができる適性者が減っている、というのもあった。

 すでに彼は歴戦の騎士となっていた。

 内臓を引きずり出された彼は、聖堂で一人横たわっていた。傷跡はもうない。血を吐くこともない。

 青々とした空を恨めしい目で見た。

 騎士になってからの記憶が少しずつ曖昧になっていっているのを感じていた。

 それと引き替えに、彼は最近、両親がいた頃を思い出すようになっていった。何も知らず、彼自身の世界は平和で、何不自由ない生活だった。裕福ではないが、暖かい寝床と、湯気の立つスープがあった。

 それが今や国民も知らされない、現実の先頭にいる。化け物を殺しては殺され、仲間の体をかき集めて、また先頭に立つ。

 何も知らないまま死ねたとしたら、その方が幸せだったのではないかと、頭の片隅に浮かべるようになった。

 国民を化け物から守るため、という役割はいくらか果たしているだろう。彼と騎士団の犠牲によって、救われた命もあることだろう。自分にはまだ正義はある。そう言い聞かせるしか彼には残されていなかった。

 彼には睡眠も食事も必要ない。冷たい大理石と、焼けた喉を抑えるための水だけがあれば良かった。

 彼はまた明日には戦地へ向かう。

 明日ですべてが終わったとしても。

 彼は誰もいない広々とした聖堂で言う。

 そのとき、扉が開いた。

「この場所に立ち入ることは許可されていません」

 黒髪を揺らし入ってきた魔女に、騎士は体を起こし告げる。

「知っています」

「であれば、立ち去っていただきたい。これが知られれば、私が罰せられます」

「それは困るわ」

「でしたら」

「貴方が黙っていれば良いのでしょう?」

 神は笑顔で首を傾げた。

「それとも、無理矢理連れ出す?」

「いいえ、私が立ち去りましょう」

 加護を与えた魔女に触れてはいけない。騎士団では強固に守られている掟の一つだった。そもそも魔女が出歩くことなどないのだから、今まで彼はその掟を気にすることもなかった。

「いいの、ここにいて。そう命令すれば良いのかしら?」

「おふざけを」

 根負けした彼は再び腰を下ろす。

 その横に神も座った。

「どうされたのです?」

「どうもこうも、退屈だから」

「退屈、ですか」

 得体の知れない存在だと思い込んでいた神が、退屈だと言ったことに彼は久々に溜息を漏らした。

「そう、お話して、貴方の昔のことでいいわ」

「特に語ることはありません。平凡なものです」

 神は首を左右に振る。

 その仕草は子どもそのものだ。以前、魔女が自分と同じ年齢だと言っていたのを彼は思い出す。

「貴方には平凡なことでも、この世界をよく知らない私には新鮮かもしれない。貴方達の言う魔物だって、私は見たことがないの、この城から出たことないし」

「いないのですか?」

「うーん、動物っていうのはいたし、人が襲われたってニュースも見たことがあるけど、そういう言われ方はしていなかった」

「そうですか、平和な世界だったのですね」

「まあそうかもね、戦争とかはあったし、そういうのは学校で習ったよ、全然行ってなかったけど」

「学校?」

 今度は騎士が首を捻る。

「ああ、ええっと、何だろう、同じ年の子どもが集まって勉強するんだよ、義務教育って言って、みんな行かないといけないの」

「なるほど、効率的な教育方法ですね」

「違う! ぜんっぜん! 面白くないの!」

「そうですか、貴女は嫌だったのですね、魔女などともなれば退屈なのでしょう」

「あのさー、その、魔女って言い方やめてくれない?」

「なぜですか?」

「当たり前でしょ、私には名前があるんだから。貴方にだってあるでしょう?」

 当たり前、と言われ、騎士ははっとする。

 魔女に名前があることもそうだが、彼は自分に名前があることもれていたのだった。

「あ、今、考えてもみなかった、って顔してた」

「申し訳ありません。私はもう行きます」

 気恥ずかしさが勝って、騎士は立ち上がる。

「また一緒にお話してくれる?」

「駄目だと言っても仕方がないのでしょう」

「そうね」

 魔女が騎士に向き、両手を伸ばす。

「あら、貴方って温かいのね」

 白い手のひらは彼の両頬を包み込んだ。

「やめてください」

「いいのいいの、じゃあ、明日ね」

 彼は明日も生き残る理由ができた。

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