第22話

「恭介がチラシを……」

 空になったちゃぶ台の湯呑み。つばめはそれに二度目のお茶を淹れた。

「なんのためにそんなことをしたのか、その時はわかりませんでした。でもいま、恭介さんがミスコンの創始者だったって聞いて、もしかしたら……」

「玲香を探らせないように止めた、ってこと?」

 つばめは頷いた。『恭介はミスコンの運営と繋がりがある』――その事実が示すことを、つばめはパンクしそうな頭で努めて冷静にひも解いていく。

「仮屋さんと恭介さんは、特別な関係だったんでしょうか?」

「その辺の事情は知らないけど……そうだとしてもおかしくはないと思う。いま思えば、ミスコンも出来レースのようなところはあったし」

 ただ、痛くない腹を探られるのが不快だったのかもしれない。だがやはり、探られたらまずい事情があるのかとつばめは疑った。そうでなければ、あんな実力行使に打って出ないだろう。どちらにせよ、陣はあれから万引き事件について触れようともしない。

「つばめ、あたしと初めて会った日を覚えてる?」

 ふいに、モモが誰が聞いているわけでもないのに声をひそめた。

「は、はい。運営に行った日ですよね」

「そう。あの時から……つばめが運営に玲香のことを聞きに行ったときから、玲香を探っている奴がいるって、恭介は知っていたのかもしれない」

 背中がぞわっと逆立った気がした。その通りだと思った。どうしてすぐに気づかなかったのだろう――だって、恭介と運営は繋がっているのだから、玲香と恭介が仮に恋人同士だとしたら、その情報が恭介に筒抜けだったとしてもおかしくない。

(……催事の日、おれが大声で佐久間さんを探しているのも見られていた?)

 つばめは鳥肌をさする。そうだ、そう考えれば辻褄が合う――つばめが佐倉堂のアルバイトであることを知っていたか否かはともかく、つばめと佐久間には関わりがあり、その上で玲香を探っているとしたら、万引きの件でつばめが動いていることに感づいたはずだ。もし知らなくても、その過程で、つばめと従弟の陣が、佐倉堂でバイトをしていることを知るだろう。

 だから、牽制した。この件から手を引かせるために。

「恭介と玲香がグルで、佐久間に万引きをさせていた?」

「最悪、そうかもしれません」

「でも、なんでそんなことするわけ? 目的はなに?」

 だが、答えが出るはずもない。つばめはまた思考の海に沈む。絡み合う糸を一つ一つ解く作業は、神経がすり減った。つばめはお茶の苦みで頭の中をリセットさせて、フラットな状態で状況を整理する。

 去年の五月、佐久間が仮屋のためにネックレスを万引きした。それをネタに、誰かから脅され、定期的に万引きをするよう指示されている。だが実際に盗んだものについては処分させることから、万引きという行為そのものが目的になっている可能性が高い。一番最初に脅されたのは去年の五月。仮屋が佐久間の前から姿を消し、花村と別れ、バイトを辞めたのも五月。

「……お金遣いが荒いのに、仮屋さんが資金源のバイトをやめたことが、ずっと疑問だったんです。花村さんによると、仮屋さん、いまはバイトをしていないのにも拘わらず、贅沢三昧してるとか」

「じゃあ、玲香が恭介と付き合ってるのはほぼ確じゃない。近衛家なんて大金持ちだもの。玲香に貢いでるに決まってるわ」

そこまで話が進んだところで、つばめは「それが」とブレーキをかけた。

「陣が話してくれたことがあるんです。碧波に入るなら、必要最低限の支援しかしないって、おじいさん――近衛理事長に言われたと」

 だから、陣は佐倉堂でアルバイトを始めたのだ。

「それ以外のお金は、自分で稼ぎなさいって言うのが、理事長の考えみたいです」

「へえ。お金持ちでも、そこはしっかりしてるんだ」

 モモは意外そうに眼を丸めた。

「なら余計おかしいわね。恭介がバイトをしてるなんて話も聞いたことないし、そもそも自分の生活費はどう工面してるのかしら。だいぶ優雅に暮らしているように見えるけど」

「そうですね。質屋のサービスをやってるらしいですけど、正直そんなに儲かってる感じはないですし……」

「ううん、じゃあ恭介が玲香に貢いでる説は消えるか……。いやでも、ううん。ああ、なんかわかんなくなってきた」

 モモが降参、とばかりに両手を畳について、天を仰いだ。

「お金のことは抜きにしても、二人がなにかしら、万引きに関わってる可能性は高いと思う、んですけど……」

「やっぱり、なんやかんやして金を稼いでるんじゃないの。佐久間に万引きさせることが、金を生むのよ、きっと」

「でも……どうやって?」

 行き詰まってしまった。仮屋に不明瞭な金の流れがあることは、この時件を解決する有力な手掛かりのように思えたが、そのカラクリがわからないのだ。誰かに万引きをさせて、どうやって儲けるというのだろう。だが、考えすぎというには条件が揃いすぎているとつばめは思う。自分にはまだ、見えていない部分がある――つばめは確信していた。恭介ならやりかねないという予感。それは陣とのやり取りからも垣間見えていた。

「恭介さんは、陣の痛いところをついたというか、嫌な言い方ですけど、弱みを握っているような、そんな感じがしたんです」

「恭介は何かと他人を支配したがるのよ。力関係は圧倒的に、恭介の方が上なんでしょう」

「……それ以来、陣は心を閉ざしています。万引き事件のことにはもう、触れてほしくないようで」

 モモは心配そうにちゃぶ台に目を落とす。

「それは心配ね。恋人が落ち込んでたら、自分まで辛くなるもの」

「はい……って、え?」

 コイビト。その言葉が、ダイビングするみたいに深く、考えをめぐらせていたつばめの襟首をつかんで、ぐいと引きずり上げる。軽く咳き込んでから、つばめは小さく聞き返した。

「……コイビト?」

「え、違うの?」

「誰と誰が、ですか?」

 モモは呆れたような表情で頬杖を追いた。

「いま、誰と誰の話をしてるのよ」

 モモの言わんとしていることをようやく悟り、つばめは「はい⁉」と一人でパニックをおこした。

「は、いや、ち、違いますよ‼」

「え、付き合ってないの?」

「付き合ってません!」

 つばめは身を乗り出して否定した。ぶんぶんと風が起こるくらい手を振る。モモはその勢いに押され、「あ、そうなの」と戸惑い気味に言った。

「でも、きっと彼は、つばめのこと大切に思ってると思うな」

「え、いや、は、あの、そう、でしょうか」

 いたずらっぽい笑みを浮かべ、モモが頬に両手を当てながら首をこてんと傾ける。

「デッサンモデルの時の彼の顔、見た? だいぶお怒りだったじゃない」

「たしかに機嫌は悪かったですけど、それは別に……」

「可愛い恋人のハダカを晒すのがゆるせないって顔だったわ。終わったらすぐ、シャツ着せてたし。気づいてた? 道路を歩くとき、彼がさりげなく車道側を歩くの」

「え……」

「ま、こういうのはあたしが口出すことじゃないから、これでおしまい」

 最後の一口を流し込み、モモは話を切り上げた。立ち上がるついでに、未だ動揺しているつばめの頭をぽんとなでる。その温かさに、つばめはふとばあちゃんの手を思い出した。

「続きはあとで。最終のバス、十分後よ」

「は、はい」

 急いで湯呑を洗い、電気を消す。鍵を入念にチェックして、モモと共にバス停まで駆け出した。


 モモとつばめが立てた仮説はこうだ。

 恭介と仮屋は、片方か、あるいは両方が万引き事件の裏で糸を引いている。単なるいたずらにしてはリスクが大きすぎるうえ、佐久間や店への復讐とも考えづらく、実際に仮屋の羽振りが良くなっていることから、動機は金儲けだと考えられる。となると、万引きを行わせることで、金を生み出すカラクリがあるということだ。

 問題点は二つある。

 一つ目は、どうやってそのカラクリを暴くか。金の出所を探るにも、いまのところまったく見当もつかない。

 二つ目は――そもそも陣の意向に逆らってまで、真実を追求しても良いのかということだ。

「それは、つばめが考えるべきだと思う」

 揺れるバスの中で、モモはそう言った。つばめは考えた。そして終着駅に着き、たった二人だけの乗客がバスを降りたころには、決意は固まっていた。

(このままではだめだ。陣が恭介さんの何を恐れているかはわからないけど、この状況のままじゃ、陣はきっと、心を閉ざしたままだから)

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