第14話
陣とつばめが再びカフェを訪れたのは、それからその数時間後のことだった。
『Café IRORI』は固定シフトだ。善は急げ。前回訪れたときも水曜日だったことから、今日なら花村は出勤しているという予想だった。
陣と合流し、到着したときにはすでに六時を過ぎていた。その間に、つばめは今日起きたことを一つ残らず話して聞かせた。
結論から言えば、予感は当たった。外からカフェを除くと、閑散とした店内で、テーブルを一つ一つ、丁寧に拭いている花村の姿があった。
「ビンゴ」
「入る? ガラガラだから、目立っちゃうかもだけど」
「いや、閉店も近い。話もまともにできないだろうから、外で待ち伏せするぞ」
二人は商業施設を出て、従業員入り口が見える場所のベンチに座った。五月とは異なり、日が暮れても肌寒さは感じない。しっとりとした空気が、夜の匂いと混じってあたりに漂っていた。穏やかな風に乗って、ふいに、陣のつぶやきが届く。
「ありがとうな」
「え?」
陣は前を見たままだった。だがその口元は、穏やかに微笑んでいる。
「今日一日、頑張ってくれて」
「あ、うん……」
「助かった」
その言葉が、思いのほか疲弊していた精神を癒した。つばめは下を向いた。陣が喜んでくれたのが、とても嬉しかった。嬉しくて、でも恥ずかしくて、感情が忙しい。目を合わせないつばめに、陣が苦笑した。それを肌で感じて、つばめはやっと気づいた。
(おれは、陣に喜んでもらいたかったんだな)
万引き事件の黒幕を突き止めたいのも本心。だが、陣の笑った顔が見たいというのが本音。
つばめは現金な自分にあきれた。近くで名前も分からない、虫が鳴いている。そのとき、返事をするように、つばめの腹がぐうと鳴いた。
「なんだそれ」
陣が噴き出した。つばめは顔を赤くして、腹をさする。
陣が手を伸ばし、笑いながらつばめの腹をポンと叩いた。無防備な腹が、薄着のシャツ越しに手のひらの感覚を鮮明に拾う。
(まただ)
陣が触れた場所が熱い。体の芯の部分から、発熱していくようだった。熱の波は胸と首を伝い、つばめの顔を火照らせた。つばめはそんな変化に真っ赤になって、「も、もういいよ」とか細い声を出した。つばめの戸惑いなどいざ知らず、陣は「また昼飯抜いてるんじゃないだろうな」と笑う。
「にしても、いいタイミングでその女と会ったな」
ようやく手を放して、陣が言った。それでもまだ頬は赤い。それをごまかすように、つばめは手のひらにその熱を移す。
「うん。運営に一人で立ち向かってさ……。かっこよかったよ」
「とはいえ盗作の件は、上の方に言うべきじゃないか? 教師はなにしてんだよ」
「先生は当てにならないんだって。たまたまなんじゃないか? って言われたみたい」
「盗作だって、立派な犯罪だろうに」陣が呆れたように言った。「佐久間だけじゃない、この学校一つとっても、ロクでもない奴がたくさんいる。自分に被害が及ばない限り、それに無関心なやつも、事なかれ主義で押し通そうとするやつも」
ジジイは早急に学校改革を進めるべきだな――そう締めくくって、陣は夜空に目をやる。つばめも、同じようにしてみた。薄く張った雲が星の姿を隠して、三日月だけが、ぼんやりとその存在を雲越しに示している。
花村が姿を現わしたのは、それからすぐだった。制服を着崩したり、私服の生徒も多い中、きっちりと制服を着こんでいる彼は逆に目立った。すぐに陣が立ち上がる。小声で「来たぞ」とつぶやき、そのまま花村に歩み寄ったので、つばめは熱の余韻を慌てて断ち切り、彼の後を追った。
「あんた、花村さんだったな」
「え、そうですけど……」
暗がりからいきなり現れた大男に、花村が後ずさる。つばめは慌てて、フォローするように、陣の前に飛び出した。
「お久しぶりです」
「きみは……」
「その……この前は、話を聞いてくれてありがとうございました」
息をのむ音がした。驚きから警戒のまなざしに変わる。
「あれ以上、お話しすることは……」
「すみません、嘘なんです。親戚だって言ったの」
「え?」
花村は、陣とつばめを見比べながら、困惑した様子で立ち尽くした。そんな花村に、つばめは少し言いにくそうに口を開く。
「実はうちのバイト先が、ある犯罪に巻き込まれて。そこに仮屋玲香さんが関わっているんじゃないかって、考えているんです。」
「は、犯罪? 玲香が?」
「だましてごめんなさい。でも、まだ解決していないんです。だから、お話を聞かせてほしくて。もう一度、彼女について、知ってることを」
「……」
「詳しいことは分からない。だからこそ、調べる必要があるんだ。だから協力してほしい。あんたに少しでも良心があるならな」
「犯罪」という言葉が飲み込めなかったのか、花村は言葉を詰まらせてしまった。だが陣は容赦なく、追い打ちをかける。
「仮屋玲香と交際していた人物が、この店にいたはずだ。ミスコンのロビー活動を一生懸命頑張っていた、健気な彼氏がな。そいつを探してる」
「……」
「正直、あんたが仮屋玲香の元カレなんじゃねーかって思ってる」
「……犯罪って言うのは」
花村が一言一言、かみしめるように続ける。
「どっち側、ですか」
「あんたはどっちだと思う」
陣がそう告げた瞬間、つばめたちをシャットアウトするように、花村が歩き出した。
「待って。花村さん。なんでもいい、仮屋さんについて教えてほしいんです」
花村は足を止めることはなかった。無言で、施設の隣に併設された駐輪場へと入って行く。色とりどりの自転車の中から、シルバーの自転車のもとへ歩み寄り、開錠する。自転車を押し、駐輪場の出口に着いたところで、一息ついて、顔を上げた。
「……玲香は、確かに、わがままなところもありました」
「花村さん……」
「ブランド物が大好きで、新しい物好きで、だから金遣いも荒くて。月に一回の海辺の催事、あるでしょう。そこで給料を毎回使い果たすレベルで……。そういうのについていけないところもあって、それで別れたのは事実です。まあ、フラれたのはぼくでしたけど」
花村が自嘲的な笑みを浮かべた。それから、自転車のサドルをぎゅっと握る。
「でも、犯罪に手を染めるような人間じゃないって……ぼくは、思っています。ぼくから言えるのは、それだけです」
最後、花村は顔を上げ、しっかりとつばめを見据えた。
その目には、嘘も誤魔化しもなかった。ただ澄んだ湖みたいに、静かで、一つの揺れすら感じられなかった。つばめは戸惑った。それまで様子見をしていた陣が、おもむろに口を開く。
「それじゃあ、最後に一つだけ」
「……なんですか」
「仮屋玲香がバイトを辞めた理由は何だ」
「それは……」
少し俯く。長いまつげが、目元に淡い影を落とした。
「ぼくにも分かりません。目立ったトラブルもなかったし、新しいバイト先が決まってるようにも見えなかったし。本当に、青天の霹靂っていうか」
だから、わかりません。そう続けて、そうだ、とちいさくつぶやく。
「あの後も、催事には毎月通っているとか、毎日外食三昧で、随分と羽振りがいいって聞きました。だから他にバイトをしているのかもしれませんね」
そう言うと、彼は小さく頭を下げ、そのまま自転車で走り去っていった。
無言で立ち尽くすこと十数秒。つばめはどうしよう? と視線で問いかける。だが陣は、腕を組んだまま「帰るぞ」と一言。
「花村さんからはもう、なにも聞き出せないね……」
「ああ。でもわかったこともある」
「なに?」
「仮屋は金遣いが荒いって言ってた。それだけ金が必要なのに、急にバイトを辞めるっておかしくないか」
「いまもどこかでバイトしてるのかも」
「ここまで仮屋を調べても、そんな情報はない。それに毎日外食三昧じゃあ、シフトだって入れられないだろう」
陣が腕を組み、花村の消えた暗闇をじっと見つめる。
「佐久間がネックレスを万引きしたのも、それによって脅迫メッセージが来たのも、佐久間が仮屋と連絡が取れなかったのも、バイトを辞めたのも一年前の五月。おそらくあの感じだと、仮屋と花村が別れたのも同時期だろう」
「と、いうことは」
「なにかが起きたんだ、去年の五月に」
「去年の、五月……」
「なにかあるんだ。なにか、見えない裏側に、なにか……」
だが、その答えは出ない。結局、寮に帰り、一晩過ぎても、二晩過ぎても、一週間が過ぎても、そのカラクリを暴くことはできずにいた。
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