第三章

第8話


『Café IRORI』は、島では唯一の大型商業施設の一階にある。

 ショッピングエリアの中でも、佐倉堂などが連なる海沿いのエリアより内陸の、キャンパスエリアを出てすぐの場所だ。陣とつばめは佐倉堂の定休日に合わせて、仮屋玲香の手掛かりを探しにこのカフェに訪れていた。

「なんだか視線が……」

 放課後のカフェは、解放されたテラス席を含め、本を読んだり、一人静かに参考書を広げている生徒で溢れていた。和洋折衷をテーマにした洒落た内装では、コーヒーを飲むだけでも様になるが、つばめは残念ながら雰囲気に溶け込んではいなかった。

 見た目の問題ではなく、場慣れしていないが故、振る舞いに野暮ったさがにじみ出るのだ。女の子はおろか、友達とも二人で飲食店へ入ったことのないつばめは、二人掛けのソファ席で小さくなりながらカフェオレをちびちびと飲む。正直カフェラテとカフェオレの違いすら判らなかったが、単に安い方を選んだ。飲み物一杯五百ポイント、つばめは涙を呑んでオーダーしたのだ。

「仮屋玲香はいないみたいだな」

 陣がブレンドのコーヒーをすすりながら、目だけで周囲を伺う。燃えるような髪のせいだけではなく、陣は周囲の視線を集めていた。ついでにつばめにもちらちらと視線が注がれ、つばめはそわそわと落ち着かない気分になる。まるで子猫とライオンのような、ちぐはぐな組み合わせだと思われていることだろう。そう思いながら顔を上げる。

「どうしてわかったの?」

「ネームプレート」

「そっか。今日は出勤してないみたいだね。しばらく通わないと会えないかも」

「一昨日と昨日も顔を出したが、仮屋という店員は見ていない」

 つばめは陣が二日前から調査を始めていたことに驚く。

「だからもう、バイトは辞めてるのかもしれない」

「どうして? シフトが三日空くって、珍しいことじゃないでしょ?」

「バイトの募集要項を見たんだ。この店のシフトは曜日が固定になっていて、月木金、火土、水日の三パターン。つまり月、火、水の三日間姿を現わさないってことは、ここにはいない可能性が高い」

 よどみなく話す陣を、つばめは感心した目で見つめる。

「それともう一つ、トイレの個室に置いてあった三か月分の清掃チェック用紙に、仮屋というハンコは見当たらなかった。今日現れなければ、もう店を辞めているって考えたほうがいいだろうな」

「な、なるほど……」

 つばめの想像以上に、万引きの黒幕を暴くという彼の執念はすさまじいものらしかった。

「じゃあもう一回、佐久間さんに話聞いた方がいいんじゃない?」

「あのヤロー、仮屋についてはほとんど喋りやがんねえからな」

 陣は声色を低くして言った。

「別れたのはちょうど一年前で、脅迫メッセージが届く時期も同じ。多かれ少なかれ関係はあるはずなんだが……。クソっ」

 佐久間は別れたとしか言っていなかったが、陣の中では「フラれた」というのは決定事項のようだった。確かにつばめにも、佐久間から別れを切り出したようには見えない。また元カノの話になると随分と歯切れが悪くなる理由は、フラれた傷が癒えていないだけのようにも見えなかった。話さないのではなく、話せないのではないか。彼の話しぶりから、そこまで仮屋のことを知らないような、付き合いの浅さが透けて見える気がするのだった。

「そっか……それじゃ、早速行き詰まっちゃったね」

「クラスはわかってるんだが……写真すら持ってないって言い張るからな」

 キャンパスは広く、また教室移動が頻繁にあるため、たとえ時間割を知っていても、顔も知らない相手を捕まえるのは至難の業だった。

「それじゃ、今日はどうするの?」

「お前、上級生っぽい店員に聞いてこい」

「えっ⁉」

「おれは目立つからな。たぶん顔も覚えられてる」

「はあ」

「お前、地味だから怪しまれないだろ。親戚のお姉さんを探してるんです、とかなんとか理由つけて探って来い」

 急に無理難題を押し付けられ、つばめはうろたえた。だが同時に、ここで戦果を挙げられなければカフェオレ代の五百ポイントが水の泡だと思ったので、ほとんど水になった残りのカフェオレを喉に流し込んで立ち上がる。

「い、行ってきます」

「怪しまれんなよ」

「オッケー」

 まったくオッケーではなかったが、とりあえずトイレに並ぶふりをして、周囲をさりげなく観察した。店員は四人。一人はレジ、二人はホールに出て、一人はカウンターでコーヒーを淹れている。ホール担当の一人は手元のメモを頻繁に見ていることから、新入生だと察せられた。

(上級生に聞かないと。できれば三年生じゃなきゃ、仮屋さんのことを知らないかも)

 見たところ一番年嵩に見えるのは、レジにいる男だった。ちょうどつばめたちが入店した際に、別の店員が起こしたお釣りのトラブルも、彼がスムーズに対応していたのをつばめは見逃さなかった。ツーブックで高身長のその男にねらいを絞る。陣の言う通り、トイレの清掃のチェック表に仮屋の名前はなかった。トイレを出たあと、レジが開いた隙をついて、さりげなく近づいた。

「あっ」

「? はい」

「あ、あの、ちょっと、お、お聞きしたいんですけど……」

「はい。どうかしましたか」

 自分でも挙動不審だと思うが、その男は気にした風もなく、レジでの作業を止め、はきはきと応対した。無意識に気圧されながら、つばめはおずおずと話し出す。

「あの、ぼく、新入生なんですけど、実は親戚が、ここでバイトしてると聞きまして……」

「え、そうなんですか! 誰ですかね?」

「その……仮屋さん、っていうんですけども」

「ハイハイ! 玲香ちゃんね! 申し訳ないんですけど、いないんすよ」

「いない?」

 ツーブロックはにこやかに続けた。

「一年前くらいかなあ? 急に辞めちゃって」

「そ、そうですか……」

 想像通りだから驚かなかった。つばめがここからどうやって情報を引き出そうかと頭をめぐらせているとも知らず、男は続ける。

「働いてたのも、おれは一か月しか被ってなくて……あの時は大変だったなあ。彼女、このバイトの主力だったから……あ、ちょっと待ってくださいね」

 ツーブロックが、奥にある小部屋のようなキッチンに向かって大きな声で、「花村はなむらー!」と呼ぶ。するとのれんをかき分けて、さっきはホールにいたもう一人の男が出てきた。

「どうかしましたか?」

 呼ばれた店員は少し心配そうな顔をして、足早に駆け寄って来た。「花村」と書かれたネームプレートが、左胸に水平に取り付けられている。

「この一年生、玲香ちゃんの知り合いなんだって。お前なんか知らない? おれ、連絡先交換知らないんだよね」

 だが仮屋の名を口にした瞬間、この几帳面そうな男の顔がわずかにこわばった。それから決まりが悪そうに首を振り、小さく息をついた。

「……彼女は一年前にバイトを辞めています。寮もクラスも違いますし……ぼくも連絡先を知らないんです」

「え、花村も知らんの?」

「……ああ」

 それから三秒ほど、誰も何も発しなかった。ツーブロックは少し気まずげに目線を上下させたが、すぐに明るい声で仕切りなおした。

「じゃあもう、誰も連絡取れないか~。寮は確かC棟だっけ?」

「ああ」

「まあでも、玲香ちゃんめっちゃ可愛いから、遠くからでも目立つと思いますよ! なんせ一昨年のミスコングランプリだからね」

「ミスコングランプリ……知りませんでした」

 新たな情報を、つばめは脳に書き留める。

「そうそう。ま、おれはモモちゃん派だったけどね」

「モモちゃん?」

「もう一人のミスコン候補。両方一年生で、おれらと同い年だったんだ。玲香ちゃんみたいなふわふわ系と、モモちゃんみたいなクール系。僅差で玲香ちゃんがグランプリだったんだよな」

「おい……」

 花村が、肘でツーブロックの脇腹を小突く。しゃべりすぎだ、とその目が言っている。

「ああ、ごめんごめん! 玲香ちゃんの親戚だっていうからさ」

「あ、いえ、すみません……」

「だからキャンパス歩いてれば、そのうち見掛けるんじゃないかなあ」

「わ、わかりました。がんばって探してみます。忙しいところごめんなさい」

「お力になれず、申し訳ありません」

 花村がぺこ、と頭を下げた。

「すいませーん」

「いえ。ご迷惑おかけしました。失礼します……」

 深々と一礼し、そさくさと退散する。だがつばめが席に戻るなり、陣が立ち上がった。

「行くぞ。話を聞かせろ」

「あ、うん。ちょっと待って、伝票が……あれ?」

「もう払ってある」

 一泊置いてその意味を理解し、えっ、と振り向いた時にはもう、陣は転がるようなドアベルの音を、からん、と涼やかに鳴らしていた。

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