異世界巡礼~第二の人生も僕は妹と一緒に生きていく~

etc

1 妹を探して

 視界は煙る。火の海はすぐそこだった。

 僕はかがんで廊下の壁に手を付きながら、燃え盛る炎に向かって叫ぶ。


「エイミ! 無事でいるか!?」


 だが、妹からの返事は無い。

 炎の居場所は僕らの家――児童養護施設・よるヶ丘園の食堂だ。

 2階の中学組の部屋はさっき確かめた。エイミは夕食当番だからまだ食堂に残ってるかもしれない。


「エイミ、まだいるのか!?」


 返事は無い。

 返事が無いのを居ないからだと割り切れなかった僕は、すでに一歩を踏み出していた。


 あいつは泣き虫なんだ。

 だから泣き声くらい聞こえるはずだ。


 天井を火が伝う。

 煙はいっそう濃くなって、プラスチックの焼ける嫌な臭いがした。


「おにぃ、ちゃん……」


 声が聞こえた。どこだ。どこにいる!?

 エイミの名を繰り返し呼ぶ。視界の端にうごめく影。

 あそこだ。食堂の、長い机の先の、配膳棚の近く。

 僕は駆け寄る、煙を吸ってしまうのもお構いなしに。


「エイミ!」


 割れた照明の破片を踏んで足が痛い。

 熱を帯びた空気を吸って鼻が痛い。

 でもそんなのはエイミを見たら吹き飛んでしまった。


 エイミの長い髪は乱れ、白い腕には血がにじみ、丸いまなこは閉じられていた。

 床に突っ伏している。だが、背中には配膳棚と折れた柱がのしかかっていた。

 挟まって身動きが取れないのだ。


「エイミ、生きてるか? 死んでないよな!?」


 膝を付いて手を取る。この焼ける熱さの中でいやに冷たかった。

 だが、ぎゅっと握り返してくる。


「お兄ちゃん」


「ああ、来たぞ。動けないのか? 待ってろ、今これをどかすからな」


 僕はスチールラックの配膳棚に手をかける。

 熱い。痛い。なんかもう冷たく感じる。

 この手がどうなろうと今は関係ないんだ。


 なのに、びくともしなかった。

 上に乗った柱のせいだ。


 柱に留めた当番のカレンダーには僕らの名前が並ぶ。

 だが、もうその端は火が付いている。


 くそ。

 僕は俯く。エイミが僕を見上げていた。


「お兄ちゃん!」


「エイミ、ごめん。ごめん、本当に、すぐ何とかするから」


 ダメだなんて言えない。絶対に助けるんだ。

 でも僕の心細さに気づいてるんだろうな、だって双子の妹だから。

 泣き虫エイミの泣き言くらい、いくらでも聞いてやる。


 しかし、エイミの瞳は淀みがなかった。

 こんな妹を見るのは初めてだ。

 その場でかがんでエイミの口元へ耳を寄せる。


「お願い、この子を助けて」


 エイミは上体をよじる。

 配膳棚とエイミの体の間に隙間が生まれる。


 脇腹に抱えられるような形で子供がひとり横たわっていた。

 最近ここに来た、たしか7歳の女の子だ。


「息は……、あるな。怪我は?」


「分からない。でも、この子ならこの隙間を抜け出せる」


 迷いのない凛とした口振りに僕は息を呑む。


「分かった。引っ張り出すぞ」


 僕は女の子の脇を掴んだ。

 気を失っているようで反応は無い。

 エイミが踏ん張って、さらにわずかな隙間が生まれると、女の子はするりと抜け出た。


「お兄ちゃん、走って! かならずその子を助けて」


 エイミが叫んだ。

 次はエイミの番だと言う余裕も無かった。

 ためらう暇すらくれなかった。


「ああ、待ってろ。絶対、助けるから。この子も、エイミも!」


 バァン、とガラスの割れる音がした。

 それを合図として、僕は走った。

 煙に巻かれても、抱きかかえた女の子を落とさないように。


 去り際、エイミが泣いているように見えた。

 絶対に助ける。僕はエイミの泣く所を見たくはない。


 さっき来た廊下が見えた時、激しい破裂音。

 背中へ衝撃が走り、頭がぼーっとした。


 ……。


 何秒、いや、何分そうしていたのか。

 キーンと耳鳴りがする中で、僕は倒れていた。


 薄暗い視界で僕に影がさす。

 かすかに見えたオレンジ色で、それが消防隊員だと分かった。

 消防隊員は何か話している。


「……か!?」


 だが、水の中みたいに音がくぐもっている。

 いま伝えるべきことは何だ。

 僕は抱きかかえた女の子を助けなきゃならない。


「た、助け、て。この、子」


 女の子を託す。

「ああ」と若い男の威勢のよい返事がして、少しだけほっとした。

 それから、それから。


「エイミを、助け……」


 僕は、僕は。

 意識が途切れ途切れになっていく。


 その時、ふと、女の子を僕に託したエイミが、どうして一片の迷いもなかったのか理解した。

 自分はきっと助からないって悟っていたんだ。

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