第16章『女王との再会』
第46話
「お久しぶりです……先輩」
パイプ椅子に座った茉鈴は、スタッフルームに入ってきた蓮見玲奈から半眼で見下ろされた。
玲奈は普段使いの鞄を肩にかけ、手には――おそらく帰省の土産が入った――紙袋を持っていた。それをテーブルに置くと、腕を組んだ。
「玲奈ちゃん、おかえり!」
「レイナ様のご帰還ですわー。ご実家に帰られて、リフレッシュできましたか?」
「はい。お陰さまで」
「それでは、今日からまた頑張ってくださいましー」
ハリエットの言葉が、茉鈴にはとてもわざとらしく聞こえた。
このまま他愛の無い話で終わるなら、どれほど良いだろうと思う。
「皆さんがこうして雁首揃えてるということは……そういうことですよね?」
玲奈はパイプ椅子を引き、茉鈴の正面に腰を下ろした。鞄から取り出したペットボトルの水を飲んだ。
四角いテーブルの各辺に座った茉鈴、ハリエット、英美里、そして玲奈の四名が向かい合った。
業務の会議でもここまで仰々しいのは無かったと、茉鈴は思う。
両側に座るハリエットと英美里は、露骨な作り笑いを浮かべていた。そして、正面に座る玲奈からの白けた視線に、茉鈴は胃が痛かった。それでも視線を外さず、精一杯の笑みを浮かべた。
「とりあえず……ふたりは、私と玲奈に何があったのか知ってるから」
「そりゃ、わたしが英美里に愚痴ったんですから」
念のため状況を確かめるものの、玲奈は驚くことも恥ずかしがることもなかった。割り切っているようだ。
冷ややかだが意思疎通を行え、茉鈴は少し安心した。
「ごめん」
だから、こちらから動こうと、まずは正面の玲奈に頭を下げた。
「何の謝罪なんですか? それ」
つまらなさそうな声が返ってきた。
その疑問はもっともだと、茉鈴は思う。茉鈴自身、わからない。
だが、謝罪するべきことは複数あると理解していた。
「まあ……いろいろ」
茉鈴は顔を上げて、苦笑した。
玲奈の理想に成れなかったこと。ふたりの関係を崩してしまったこと。そして――強い陽射しの下、泣かせてしまったこと。
最後の件は、特に謝罪したい。あの日、告白した時のことを、今でも鮮明に覚えている。傷つけた手応えがあった。
出来るのならば、その件だと明白にしたうえで、土下座したいほどだった。だが、このような場なので笑って誤魔化した。それに、好意的に解釈するならば――そのような姿を、きっと玲奈は望んでいないと思った。
「ということですので、レイナ様は謝罪を受け止めてあげてくださいねー」
「は、はぁ……」
「玲奈ちゃん! あの晩お酒飲みながら、安良岡さんともう一回友達やってみてもいいって、言ったよね!?」
「え? うーん……。言ったような……言ってないような……」
茉鈴はハリエットと英美里から擁護されている身でありながら、雑すぎると思った。
まるで、手っ取り早く『仲直り』の既成事実を作ろうとしているかのようだ。玲奈としても、困惑している。
「ていうか……そこまでして、まだ期待してるんですね」
玲奈は気だるげに、ふたりを交互に眺めた。
ふたりの魂胆が全く隠れていないのだから、誰だって気づくと茉鈴は思った。
「百円……」
ふと、ハリエットが笑顔のままでぽつりと呟く。
「おふたり共、今月から時給百円アップというお話でしたわよね?」
「ええ!? マジですか!? うわー、羨ましいなー」
ハリエットの言葉に続いて、英美里が棒読みでわざとらしく驚いた。
すっかり忘れていたが、そのような話があったと、茉鈴は思い出した。なんだか、賃上げを人質を取られたように感じた。
正面の玲奈を見ると、何とも煮え切らない表情を浮かべていた。
「だから、これからも先輩とは『お友達』を続けるって言ってるじゃないですか! 先輩も、異論ありませんよね!?」
「え……。う、うん」
自棄気味になっている玲奈から急に振られて戸惑うも、茉鈴は頷いた。
あまりにも強引であるため釈然としないが、既成事実としては一応成立した。ふたりにも言質を取られている。
「
やはりとても雑だが、用件は済んだのだろう。ハリエットが最後に本音と思われる台詞を残し、席を立とうとした。
「あ、あの! ちょっといいですか?」
だが、茉鈴は引き留めた。
立ち上がろうとしたハリエットの他、英美里と玲奈からも視線を向けられる。
「私、そろそろ就活の準備を始めるんで、もしかしたらシフト減るかもしれません。……この件とは別で」
玲奈と顔を合わせたくないがために、逃げる口実と思われるのが嫌だった。注釈として付け加え、茉鈴は伝えた。
もっとも、玲奈との関係が全く無いわけではない。玲奈の理想を叶えるために、自身の進路問題と向き合うことになった。
「あたしも、来年にはひぃひぃ言ってそう。頑張ってください!」
「そういうことでしたら、仕方ありませんわね。まあ……卒業してからもここで働いて頂いても、全然構いませんことよ?」
「あ、ありがとうございます……」
笑顔のハリエットがどの程度本気で言っているのか、わからない。茉鈴は一応、気遣いに感謝しておいた。
英美里とハリエットが席を立ち、部屋を離れた。玲奈とふたり、取り残された。
「ようやく就活に本腰入れるんですか?」
「うん。すっごい遅れたと思うけど……これまで怠けてきた分、頑張るよ」
正面の席の玲奈から小さく嘲笑われ、茉鈴は苦笑した。そのように言われても、事実なのだから特に怒らなかった。
「また、わたしが手伝いましょうか?」
玲奈の表情は変わらない。
からかっているのか、真剣に手を差し出しているのか、茉鈴にはわからなかった。だが、どちらにせよ答えは決まっていた。
「ありがとう。でも、自分ひとりでやってみるよ。ううん……ひとりでやらなくちゃ、いけないんだ」
たとえ玲奈が善意で手を差し出しているとしても、茉鈴に取る気は無かった。
「私は自分の力で、強くてカッコいい大人になってみせる。だから、玲奈は見ておいて欲しい」
意地の問題だった。
玲奈の力を借りるとしても、就職活動で企業側から評価されるのは自分自身だ。結局は、自分の功績となる。
しかし、それでは意味が無い。玲奈の力を借りた時点で、カエルから人間に戻れないだろうから――どれほど欲しくとも、無条件で突っぱねるしかなかった。
「今度こそ、失敗しないから……」
茉鈴に自信など無かった。だが、恐怖など無いかのように、ひどく落ち着いていた。
おそらく就職活動の難しさを見誤っているだけだと、茉鈴は自覚している。
それでも構わない。たとえ
「そうですか……。わかりました」
玲奈は不安げな表情を見せた後、真剣に頷いた。
こちらの気持ちを受け止めてくれたのだと、茉鈴は嬉しかった。
「私、まだ……玲奈のこと、諦めてないから」
だから、この本心も伝えた。感情面が込み上げるが、なんとか抑えた。落ち着いたまま口にすることが出来た。
玲奈は小さく驚き、そして俯いた。
居心地の悪そうな様子から、茉鈴に罪悪感が押しかかる。
もう何度、自分勝手な言動で玲奈を傷つけたのかわからない。その度に、茉鈴自身も辛くなる。
しかし、今回は――この気持ちが傷つけることになったとしても、伝えておきたかった。それほどまでに、固い決意なのだ。
「言うのは簡単です……」
玲奈が少し顔を上げ、上目遣いでぽつりと漏らす。
「そこまで言うなら、結果で見せてください」
か細い声は、冷ややかではなかった。茉鈴にはむしろ、重く――まるで最後通告のように感じた。
「うん!」
正真正銘、これが最後の機会だろう。
こうして与えたくれた玲奈に感謝し、茉鈴は力強く頷いた。必ず掴み取ると決意した。
「頑張ってください……。期待はしてませんけど、応援はします」
玲奈は複雑そうな表情だった。
だが、少しだけ微笑んでいるように、茉鈴には見えた。
「これ、お土産です」
玲奈がテーブルに置いていた紙袋から、箱を取り出した。
箱の中には有名な、鳩の形をしたクッキーが入っていた。茉鈴はひとつ取り、口へと運んだ。
「先輩は、帰省したんですか?」
「ううん……。年末は帰るつもり」
「お土産、期待してますからね」
「ラーメンとか地鶏焼きとか、買ってくるよ」
玲奈と他愛の無い話を交わし、茉鈴はまだかろうじてまだ『友達』なのだと実感した。
少し安心するが、緊張感は解けなかった。
気持ちの問題の他――玲奈の様子が、どこかぎこちなく見えていたのだ。
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