第63話 女装男、意識を失う。
《有坂 美咲 視点》
「‥‥さよ、う、なら‥‥ロ‥‥ミ、オ‥‥」
ジュリエットは手に持っていた剣を腹部へと突き刺し、ロミオの目の前で絶命する。
そして、照明は消え、舞台は終幕を迎える――――。
「‥‥‥‥‥‥」
声が、出なかった。
今まで芸能記者をやってきて、こんな感情になったことは一度もない。
そこには、本物の『死』があった。『絶望』があった。
あの如月楓という女優は、運命に翻弄されたひとりの少女の一生を演じきり、その最後の瞬間に‥‥自分が演じていたジュリエットを、見事に
‥‥虚像を本物だと錯覚させる、天才的な演技力。
最初の演技は、とても楽し気なものだった。
見る者の心を惑わすような‥‥華やかで小悪魔なジュリエットは、観客に、こちらの世界においでよと、まるで誘っているように感じられた。
見ているだけで彼女に恋してしまいそうな―――そんな、愛らしい様相の
だが――――終盤からは、その明るさはまるで嘘のように無くなっていく。
結末へと至ったジュリエットは、見る者に災厄を振りまくかのような、悪魔のような様相へと変化していたのだ。
運命を呪い、死への恐怖をあますことなく観客に訴えかける、絶望の権化のような存在。
そのギャップが、観客の心に、消えない痛みを与えていた。
まず、最初に思ったこと。それは、あの少女の演技は‥‥とても危ういものだと感じたことだ。
彼女の演技には、見る者を鬱にさせる程の、絶望が宿っていた。
だから、皆、劇が終わっても、彼女のその悪意に圧倒されたまま、固まってしまっていた。
観客席は、しんと、静まり返えり、静寂が辺りを支配していた。
「パチパチパチ‥‥」
突如、拍手の音が、会場内に響き渡る。
音が聴こえた方向‥‥隣の席に視線を向けると、そこには、涙を必死に堪えた様子の一人の少女がいた。
「頑張ったね、おにぃ‥‥楓ちゃん‥‥」
彼女は眉間に皺を寄せ、悲痛な様子を見せるも、けっして涙は流すまいと鼻をすすっている。
そんな彼女の拍手を皮切りに、観客たちも遅れて、拍手を鳴らし始めた。
小さな拍手の音はやがて大きな歓声へと変わり、ワーッと、観客たちは黄色い声援を上げ始める。
勿論、その声が向けられているのは、舞台の上でロミオを抱いているジュリエットへ向けてのもの、だ。
私も震える手で拍手を鳴らし、金髪の少女へと惜しみない賞賛を送る。
「‥‥まさか、こんなところに、ここまでの怪物がいたとは、ね‥‥。如月楓。貴方は間違いなく、新たな世代を導く風となる、名女優になる存在だわ」
この舞台を、見に来て良かったと、心からそう思った。
今まで白黒に見えていた世界が、あの子の演技を見た後だと、何故だか‥‥色めいたものへと変わったような気がする。
何故かは分からないけれど、少し、心が軽くなったように感じられた。
「本当に、可愛くて、恐ろしい子ね。‥‥そうだ。如月楓のグッズはまだ、売っているのかしら?」
そう呟いた後、私は、さらに強く拍手を鳴らしていった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
《??? 視点》
「――――――な、何なのですかっ、あの如月楓って子は‥‥‥‥!!」
そう口にして、観客席に座っていたボブヘアーの少女はポカンと、呆けたように大きく口を開いた。
その後、ハッとした表情を浮かべた彼女は、ブンブンと頭を振って、改めて舞台の上にいる白金色の髪の少女へと視線を向ける。
「我がライバル、月代茜がいる花ノ宮女学院の女優科が、どんなレベルなのか見に来ただけですのに‥‥う、嘘でしょう!? あんなレベルの女優が、あの落ち目の学校にはいるというのですかっ!?」
そう叫び、わなわなと肩を震わせる紫色の髪の少女。
そんな少女の隣に座っていた眼鏡を掛けた男性は、静かに口を開いた。
「確かに、芸事が分からない俺でも、すごい女優だとは思うが‥‥恐らくあの金髪の美人ちゃん、無名だと思いますぜ、お嬢。如月楓なんて女優、どこのプロダクションにも名前が無かったと記憶しているからな」
「と、当然でしょう!? あんな化け物が芸能界にいたら、注目を集めないはずがないですもの!! 悔しいですけれど、私と月代茜とは、全然レベルが違いますわよ!! あの女!!」
そうヒステリックに叫んだ後、ボブヘアーの少女は改めて楓に視線を向け、強く、睨みつけた。
「如月楓‥‥その名前、この私の天才的な頭脳に、深く、刻み付けておきましょう‥‥!!」
人知れぬところで、楓は、人気を集める若手女優である『桜丘 理沙』に名前を憶えられたのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
《柳沢 恭一郎 視点》
「‥‥‥‥血で舞台を彩った、か‥‥。オレには到底できねぇ芸当だな、ありゃ」
そう呟いて、オレは――――柳沢恭一郎は煙草を咥えたまま、舞台の上にいる如月楓に視線を向ける。
その姿は、やはり、亡き妻、柳沢由紀に瓜二つにしか思えない様相をしていた。
まるで妻が蘇り、オレの目の前に現れたかのような不可思議な現象だ。
あの少女は、以前、自分は花ノ宮家と関係のない人間だと言っていたが‥‥恐らく、それは嘘だと思える。
いや、出逢った当初から、あの少女は何か嘘を吐いているように、オレは感じていた。
天性の大噓吐き。どこか、造りものの匂いがする、完璧すぎる美少女像。
オレの雇い主である『花ノ宮 樹』は、この学校に自分の妹以外の花ノ宮家の血族はいないと、そう断言していたが‥‥もしかして、如月は、『花ノ宮 香恋』が身内にも隠している、花ノ宮家の秘蔵っ子なの、か?
そういえば、前に、職員用の男子トイレで、香恋と如月は一緒にいたっけな。
亡き妻に似たあの外見に、香恋と親しい様子‥‥ふむ‥‥実に、怪しいな。
もしかしたら、現花ノ宮家当主のあのクソジジイの隠し子だっていう可能性も、あるのかね。
‥‥‥‥オレの
ジッと、如月楓を見つめていると‥‥彼女はロミオ役の月代を抱いたまま、フラッとよろめき、前のめりに倒れ始めた。
その様子にギョッとした死体を演じていた月代は、起き上がり、如月の身体を支える。
「ちょ‥‥か、楓!?」
劇が終わった直後に、意識を失ってしまった如月。
その光景に、観客席がザワザワと騒ぎ始める。
「‥‥‥‥ちっ!」
オレは舞台袖から舞台の上へと上がり、すぐさま如月の身体を持ち上げ、所謂お姫様抱っことかいう形で、彼女を抱き抱えた。
「や、柳沢先生!?」
「月代、この後のキャスト陣の挨拶は、如月抜きで行え。良いな?」
「は、はい!」
そう月代に告げた後、オレはそのまま、舞台袖へと戻り――――彼女を控室へと連れて行くため、急いで廊下を駆け抜けていく。
「ぶっ倒れるまで演技するとか、イカレてやがるぜ、てめぇはよ。だが‥‥素晴らしい演技だった。吐き出した血で造り出したそのジュリエットは、他の追随を許さない完璧な代物だったのは間違いがない。『芸術は常に痛みと共にある』――――オレの師の言葉を、彷彿とさせるような、そんな舞台だった」
「‥‥‥‥」
「本当、すげぇ女優だよ、お前はよ」
「‥‥‥‥ん‥‥」
腕の中で艶めかしく身じろぎする如月。その姿に、オレは思わず‥‥学生時代の妻を思い出してしまった。
「‥‥‥‥何を赤くなってんだ、オレは。馬鹿か、こいつはただのガキだろうが‥‥」
そう言ってコホンと咳払いした後、オレは如月を抱えたまま、廊下を走って行った。
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