ソコオチの海〜谷底に落ちた男爵様は暗殺少女と海を目指す〜

藤前 阿須

1日目 A31:リタ

 一日目夕方

 私はグリード侯爵家の使い捨て奴隷であり、暗殺者である16の少女だ。名前は……もう何年も呼ばれていないから忘れた。今はA31というコードネームで呼ばれている。奴隷仲間には、リタと呼ばれている。特に意味はない。

 現在、峡谷のレンガ橋にてロブスター男爵の馬車を襲撃中だ。目的はロブスター男爵の命と男爵の所有するグリード侯爵家が行ってきた麻薬売買リスト及びそれに関連する証拠品だ。この国では、麻薬は厳しく禁止されているが、国内の一部の中毒者からの需要があるため、高値で売れる。グリード侯爵家はロブスター男爵の領地の港にて、度々密輸を繰り返してきたのだ。しかし、先月、男爵自らが主導して密売業者を徹底的に取り締まったのだ。そこでグリード侯爵家が麻薬売買に関わっていることが判明したため、男爵は王都へ直々にこの事態を告発しようとしていたのだ。

 その情報を受け取った侯爵家はなんとしてでもグリード侯爵家の名を穢さないために、麻薬に関わっていた事実を隠蔽するために男爵を殺すことにした。

 そして、粘密な計画の末、国内で最も深いイエーガ峡谷のレンガ橋を男爵が通る瞬間に、強襲を決行したのだ。わざわざ盗賊紛いの格好をさせられて馬車を襲うのだ。なんの不自然なところはない。

 しかし、男爵の護衛はなかなか強い。伊達に騎士をやっているわけじゃないんだと実感する。男爵騎士30人に対し、こちらは100人くらいでの強襲だ。人数的にはこちらが勝っているし、数人の侯爵家騎士が混じっているので、勝機はあると踏んでいたのだが……。

「強すぎでしょ⁉︎」

 目の前でバッサバッサと切られていく形式的仲間達を横目に短剣を構える。私は使い捨て奴隷の中でも1.2.を争うほどの実力者であったため、短剣のでここまで生き残れたが、倒されるのは時間の問題。100人ほどいた形式的仲間達は44人と男爵騎士団と数が並ぶようになってきた。男爵騎士団は誰一人として、倒れていない。

 このままではマズイ。もしここで逃げたら、反逆者として侯爵家から追われて殺される。だが、このまま戦っても殺される。どうせ死ぬなら、生きた証を残してから死にたい。どんな形であれ、私が16年間生きていたという証が欲しい。


「A31、A24。一隙を作る、男爵を暗殺しろ。」

「「了!」」

 大柄な侯爵家騎士がそう言ったので、返事をする。そして、ティア、A24と呼ばれる少女と私は一度下がり、高い跳躍をし、男爵騎士団達を次々と踏み台にして鎧を川石の如く跳んでいく。そして、私達は馬車の上に着地する。

「せい!!」カシャン

 ティアは馬車の窓を蹴破り、中へと先行する。私もそれに続く。

ガチャッ。

 男爵は馬車の扉を開けて外に出ていた。騎士団が集中していない低い干欄の上へと男爵は乗った。

 ここで突き飛ばせば、男爵は確実に死ぬ。だが、一歩間違えれば男爵を殺さずに転落死するだけだ。私達は冷や汗が頰を通るのを感じがらも、短剣をしっかり、構える。ティアも覚悟決めたようだ。

「やぁぁぁぁーーー!!」

「はぁぁぁぁーーー!!」

 ティアが男爵へ突進するので、私もそれに続く。男爵はなんでもないように飄々と仁王立ちをして私達を迎える準備をしていた。その数秒にも満たないゾーンの時間、男爵は短剣を持ったティアの左手を掴み、ティアを抱えるようにして私の前に出した。男爵が後ろに倒れていく中、私はなすすべもなく、ティアを刺し、その勢いで私、ティア、男爵は深い谷底へと落ちたいったのだ。










 



1日目夜

「ハァハァハァハァッ!」

 私は運良く渓谷底のかなり深い川に落ちたため、命を失わずに済んだらしい。ここはあの橋よりも少し流されたところにある場所だ。そして今、水中から上がって生を実感中だ。

 ……いや、助かったのは私だけじゃない。向かい側にいる男爵もそうだ。立派な服がびしゃびしゃで哀れなものだと罵ってやりたいが、そんな気力もない、ともかく身体を拭かなくては死ぬ。

「ふぅー。助かった!」

 男爵様は随分と呑気なことをおっしゃっている。あなたを殺そうとした暗殺者が目の前にいると言うのに悠長なものだ。

 私が勝手に怒っていると、急に男爵が声をかけてきた。

「ねぇ君。取引しない?」

「はあ?取引?なんでウチがそんなことしなくちゃいけないの!?その気ぃなればアンタなんか素手で殺せるんだからね‼︎」

「おお、怖い怖い。だけどさ、このままだと僕たち死んじゃうよ。」

「……確かに。」

「それに君もまだ生きたいでしょ?死にたいの?」

「……そ、それはそのぉ……。」

 生きたいか聞かれて押し黙ってしまう。当然、生きたいと思っているのだが、元々ここには死にに来ているのだから、どっちなのかわからない。今まで家畜同然の扱いをされ、選択肢を与えられることすらなかったのだ。突然、生死の選択を迫られても決める勇気さえないのだ。

「……」

「ふぅーん。あっそ、だんまりか。まぁ良いよ。とりあえず、火を起こさないとね。夜が深くなるし、警戒を強めないとやばいからね。」

 彼はそう言って崖下へと歩き出す。私は河辺で座りこみ、川のせせらぎに耳を寄せる。生きたいか死にたいか、その質問が私の頭を蹂躙する。そうして数分が経ち、極度のストレスが緩和して思考がまとまっていく。

 あの男爵が川を渡ってこちらに近づいてきた。右手手には数本の小枝の束があった。川を渡り終えてこちらに近づく。

「それで取引の件だけど、聞く気になった?」

「……正直、アンタを殺したい気持ちは残っている。だけど、生きるためにはアンタと協力することが不可欠だわ。いいわよ。取引内容を言ってみなさい。」 

「君は貴族に対して反抗的だな。まぁいい。これでも僕は貴族の中じゃ温厚な方なんだ。これくらい許してやるさ。では、取引の話をしよう。」

 彼は小枝の束にオイルライターで火をつけた。そのタイミングでは私は「はくしゅんッ!!」と勢いのいいものが口から出た。

「っとその前に君の服を乾かす必要があるね。焚き火を起こすから手伝ってよ。」

……敵ながら恥ずかしいところを見られた。一生の不覚ッ。

………

……

…。


 私と男爵が交わした取引内容は以下の内容だ。取引というより、簡易的な休戦協定という言い方が正しいだろう。

 1.峡谷から脱出するまでお互いに敵対せず、危害を加えないこと。峡谷から脱出したら、お互い不干渉で別れる。

 2.移動する時は互いに3メートル離れて歩く。ただし、野生の動物が襲ってきた時は協力して戦うこと。

 3.互いに命令し合い、互いを利用する関係を続けること。あくまで利害の一致で動いていることを忘れずに。

 



「じゃあ、この内容でいいね?」

「峡谷を出る間までだからな。」

「あぁ、それでいい。この峡谷から出るのは、骨が折れそうだ。」

「そ。じゃあウチ先に寝るね。言っとくけど、ウチ眠りは浅い方なんだよね。何かしたらすぐに殺すから、見張りよろしく。」

「ああ、わかったよ。」

 私は座ったまま、眠りに落ちていく。手には護身用の尖った小枝を持っている。決して警戒を弱めてはいないのだ。

 上着を乾かしていた焚き火の勢いもまた、落ちてきた。

 男爵は今にも消えそうな残火を名残惜しそうに踏み潰した。

 

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