勇者過ぎ去りしダンジョンのクラッシャー兵

邪悪シールⅡ改

彼は破壊する

 私は死人魚しびとうお

 出身は「見捨てられた洞穴」。泥と血肉が交じる汚水に満ちた闇だ。

 外の世界は知らない。

 私が産声を上げた日に支配者「邪鬼のしもべ」が勇者に倒されたから――だそうだ。

 僕などという名を持つが、故人はこの闇における唯一絶対の神であった。

 故に神が死に、勇者が立ち去った瞬間から、闇は永遠に外界から隔離された。

 もう人間が立ち入る領域ではない。

 悪魔の首魁からも見放された。

 だからこの闇は見捨てられた洞穴と呼ぶ。


 戦いを生き延びた同胞たちに悲観は感じられない。

 ありとあらゆる色をない交ぜにした冒涜的に不快な体色の怪魚共や、仕えるべき主を失い、思う存分に死と暴力を享受するクラッシャー兵共、哀れな人間の頭蓋骨を囓り続ける三つ目のオオトカゲ共は、尽きる事なき互いの食欲と殺戮衝動の埋め合わせを求め血達磨になるばかりだ。

 私は飽きていた。

 幸運にも既に襲ってきた同族全てを殺し終え、ある程度の力を得た――よほどのことでもなければ死なぬ身となっていた。

 だから一日、神が人間に似せた身体を水に浮かべるだけだった。

 死ぬまでそうするだろう。

「美しい人」

 頭のイカれたクラッシャー兵が現われたのは随分と突然であった。

 緑色の返り血を錆びた鎧いっぱいに浴びた巨漢は、両膝を地につけた。

「あなたは神様ですか」

 言葉を持たぬ私は、雷を叩きつけ返答の代わりとした。

 だがクラッシャー兵は死ななかった。

 カブトが砕け痛々しい傷が露わになっただけで微笑み、私の腕を掴んだ。

「お怒りなのですね。もう大丈夫です。お救いに参りました」

 クラッシャー兵は汚れきったマントを引き裂き私の身体に巻き付けた。

 私は、自らが裸であることを生まれて初めて思い知り、妙な感情に耽る。

 巨漢は、その間に私を引っ張り歩む。

「私は貴女を待っていた。偉大なる美しい御方」

 ろくでもない勘違いである。

 この男は私を邪鬼の僕だと思い込んでいるらしい。

 どこを目指すというのか。

 クラッシャー兵は確かな歩みで闇を踏みしめる。

 だが、当然ながら殺戮に身を投じる同胞達が私たちを襲う。

「どうか私の後へ。アナタが戦う必要はありません。私は神をお守りする為に生まれてきました」

 兵はオオトカゲの喉笛を素手で引き裂く。

「それだけが私の全て。顔も知らぬ御方であっても」

 毒の牙で肩口を裂かれても殺し続ける。

「しかし私は間に合わず、神はお亡くなりになった」 

 怪魚が吐く溶解液は兵の腕を骨の欠片もなく溶かす。

「でも私は信じました。神は必ず蘇る。私の命を作ってくださった御方。私が生きる場所をくださった御方。この世でもっとも美しい御方。私は貴女を探し続けました」

 怪魚の肉を歪んだ歯で食い千切り、緑色の血を大量に垂らす。

 殺し、殺し、殺し続けた。

「もう少しです。突破できます。この先に大切なものがある。大切な。大切な――」

 彼の胸部に斧が突き立てられた。

 錆びた刃の持ち主――クラッシャー兵の同族共は、何の表情もなく青い眼光を向けた。

「オマエ ハ モドッテキタノカ クルッタ バケモノ」

 先頭の個体が、崩れるように倒れた男の脳天へもう一撃加えようとする。


「?」


 私は不思議に思う。


「?」


 勝手に動いていた身体を。

 身を守ることにのみ使い続けた雷で敵を消し炭にした己を。


「?」


 私は足下で這いつくばるクラッシャー兵を守っていた。


「神よ。また私はあなたを守れず戦わせた」

 兵は唯一動く首を傾かせた。

「まっすぐ。まっすぐ進んでください。この先、動かすことの出来ない大切なものがあります。友達の持ち物です。大切な。大切な。私にも贈ってくれた大切な――」

 私は兵士を担ぎ歩いた。

「?」

 ふと私は、自分が纏う衣――マントの中に紙束を見つけた。

 人間共が本と呼ぶその古びた束に刻まれた文字を、邪鬼の僕によって遺伝子に刻まれた知識を活用し読む。


(勇者の書)


 チャチな絵と文字の集合体である。

 下等な人間共が尊ぶ友愛と優しさの物語であった。

 弱き者を見捨てぬ勇気ある者についての書であった。


 この先、世界を闇が支配すれば悉く蹂躙されてしかるべき馬鹿話であった。

 踏みにじって当然のゴミであった。

「神様」

 男は天上を見上げた。

「私がお守りいたします。もう大丈夫。大丈夫ですよ」


       ○


 なるほど、眼前にある宝には心当たりがある。

 別れの書。

 ページをめくるだけで外界へ脱出できる装置。

「…………」

 誰かが丁重に弔われた墓の傍に、手向けるよう置かれていた。

 おそらくは過去にこの地で死んだ旅人か。

 この二冊の本の持ち主だろう。

(おい)

 私は腕の中で眠る男に呼びかける。

(おい)

 死んだ。

 最上の幸福を得た顔である。

 このように穏やかな表情は忌むべきものである。

 死と血の色で染め上げるべき怪物の顔にはほど遠く。遠く。遠く――。

 遠く。

 

(さようなら。勇者)


     ○




 見捨てられた洞穴では永遠に戦いは続く。


 だが、その闇に二つ目の墓標が建てられた日。最後の死人魚が外界へ消えた。


 それだけの話である。




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