第2話:ひよこの一歩はでこぼこ道で

 末娘のベアトリスが5歳、来年には「もう淑女になる勉強に力を入れるように」と言い渡す予定だった。アンジーとフラニーのように。


 アンジーとフラニーの時は、シャロンの計らいでデーティアが王宮に赴き、普段ぞんざいでざっかけない態度の彼女が淑女としてふるまう姿を見させたことで、すんなりと事が運んだ。

 今回はそれでは事足りないほど深刻らしい。

 状況も違う。

 アンジーとフラニーが7歳の時から、デーティアは月に1度王宮へ赴き、魔法を教えている。

 その日は午前中はアンジーとフラニーにほぼかかりきりになり、午後はジルにかかりきりになる。帰る間際にビーの顔を見てお土産のお菓子を渡すくらいだ。

 他国に嫁ぐアンジーと"王家の剣"と呼ばれるダンドリオン侯爵家に嫁ぐアンジーには、教えるべきことが多い。将来国王になるジルは言わずもながだ。


 そこにもビーは不満を抱えていたようだ。


 元来の気性が気ままで短気で、自由を求める気持ちが強いらしい。

 もし男だったら、デーティアの父親のように出奔していたかもしれない。

 彼は第三王子という立場だったので、フラっと出奔してデーティアの母親と出会い恋に落ちデーティアが産まれた。

 デーティアをエルフの村にあずけて数年後に、王都で流行った病で第一王子と第二王子が亡くなると探し出され、おそらく渋々王家に戻ったのだろう。


 シャロンは今のうちにその身勝手な衝動を矯めさせるために、デーティアに春までビーを滞在させたいと言う。


「あの子は夏の楽しくて楽な生活しか知りません。この際、おばあさまのやり方で思い知らせてくださいませ」

 シャロンは微笑んで言う。


 いいじゃないか。ビーがそんなに舐めてかかっているなら、好きなだけ森の魔女の生活を実践してもらおう。

「あの子はここでも万事に対して手を抜きがちなのは見えていたけどね、ここで冬をすごすならきっと泣く羽目になるよ」

「いくら泣いても春までは戻ることを禁じてください。わたくしからも言い渡します」

 2人は笑い合った。


 早速ビーに「ここで春まで過ごすことに決まった」と告げると小躍りして喜んだ。


「ただね、よくお考えよ?」

 ビーに釘を刺す。

「この森の冬は王都よりずっと寒いし雪が降るよ。王宮みたいにメイドが暖炉に薪を足したり、お湯を持ってきてくれたりなんかしてくれない。全部自分でやるんだよ?」

「やる!」ビーは即答する。

「自分のことは自分でやらなきゃいけないよ。着替えもベッドメイクもお風呂もだよ?」

「あたし、自分でできるもん」

「朝夕の納屋仕事は毎日だし、あんたには家の仕事を手伝ってもらうよ」

「あたし、魔女になりたいの!おばあさまのお仕事やるの」

 ぬか喜びしてビーが言うのをデーティアは押し留めた。

「あたしの魔女の仕事は手を出させないよ。家の仕事と言ったんだ。料理や後片付けや掃除も手伝ってもらうよ。それをちゃんとできない子供が魔女になれるもんかね」

 ビーは唇を少し尖らせて、それでも食らいつく。

「ちゃんとできたら魔法も教えてくれる?」

「まずは一冬すごしてごらん。それから言い分は聞くよ」

 けんもほろろにデーティアが言い渡した。


 口は達者でも考えは足りないね。デーティアは思った。

 王宮での教育のおかげで、同じ歳の子供より早熟ですらすらと話すが、見通しは甘いらしい。


「春になるまで王宮に帰ることはなりません。いいですか?」

 シャロンも言い渡す。

「あたし、ずうっとおばあさまと暮らすから、王宮には帰らないもん」

 言い切るビーに、デーティアとシャロンは顔を見合わせて目だけで笑い合った。


 翌日、シャロン達は帰って行った。

 馬車を見送るビーはまだまだワクワクした顔つきだ。


 元々王宮では1人部屋で、家族と二六時中顔を突き合わせているわけではない。食事の時に会うだけの日も多い。


 まだ家族と離れた実感がないのも無理はない。


 夏の後には実りの秋がやって来る。楽しい秋を過ごせればいいね。冬前に根を上げても無駄だよ。

 デーティアはにんまりした。


 さあ、この小生意気な子供がいつまで泣かずにもつかね?


 その翌朝、ビーは夜明けに起こされた。

 前夜は嬉しくてなかなか寝付けなかったため眠くて仕方ない。

「まだ眠い」と言えばデーティアに

「おやおや、もう昨日言ったことをお忘れかい?」と窘められた。

「だっていつもはもっと遅くに起こすもん」

「今まではジルが先に寝藁を替えてくれていたからね。あんたはアンジーとフラニーが餌をやり終わって、ヤギの乳を搾って卵を探してる途中で来ていただろう?今日からはこの時間に仕事が始まるんだよ」


 朝夕の納屋仕事は力が要る。

 デーティアは通常、卵用の雌鶏を12羽にその群れの中に雄鶏を1羽、ジルが鶏肉が好物なので、夏の間は雄鶏を20羽ほど飼っている。冬の寒さがくると、その雄鶏の半数はは絞めて塩漬けやスモークや干肉に加工する。

 他に乳を搾るためにヤギを5~6頭。乳のためなので毎年子供が生まれる。雌のヤギを残して、冬に鶏と同じように潰して、加工したり、年に数度のリャドの町の祭りに提供したりしている。


 夏の間はジルが主に納屋仕事をしてくれたが、普段はデーティアが魔法を使いながら一人でやる。

 しかし、ビーがいる間は、

 あえて魔法は使わずにやらせるつもりだ。


 まず古い屎尿で汚れた寝藁はピッチフォークで台車に入れて、新しい寝藁と交換する。これが一番きつい仕事だ。古い寝藁は、家の裏手の肥料置き場に持って行きかき混ぜる。

 動物たちに餌をやり、ヤギの乳を搾る。鶏を庭に放し卵を探す。雌鶏達と雄鶏1羽は東側の囲いに、肉用の雄鶏は西側へ。その後、納屋中を歩いて卵を探すのはビーに任された。


 それが終わると朝食の支度だ。

 そして洗濯に掃除。畑の雑草取りに、薬草摘み。摘んだ薬草は種類に応じて天日や日陰で干す。ベリーをジャムやプリザーブにしたり、干したりする。バターを作り、熟成させているチーズを塩水で拭きバターを塗りこむ。

 午前のティータイムを挟んで勉強の時間。読み書きと計算を教える。

 昼食を作り食べた後は、再び家事。日によって念入りに掃除をしたり、パンやクッキーやクラッカーなどを焼いたりとあるが、薬草摘みと干して管理することは毎日だ。

 午後のティータイムをゆっくり取ると、その後デーティアはビーに針仕事の指南をする。

 長い夏の陽が傾くと再び納屋仕事。

 夕食を作り食べると、ようやくゆっくりした時間になる。それでも夏の夜は短いので入浴し、少し話をしたり本を読んでもらったりすると、もう寝る時間になってしまう。


 初日、午前のティータイムをとる頃には、ビーはへろへろになっていた。

 蜂蜜を入れた温かいヤギのミルクと軽い菓子を出す。


 ティータイムが終わると、デーティアはビーに読み書きと計算を教えながら、別のテーブルで商売ものを調合する。

「ほら、よそ見をしないで。ここの綴りが違うね。よく見て覚えな」

 ビーは不満そうだ。

「勉強きらい。魔女にいらないもん」

 拗ねるビーにデーティアは厳しく言う。

「ばかをお言いでないよ。魔女にも教育は必要さ。あたしだって王立学園で高等教育を受けたんだからね」

「ええっ!?」

 驚くビー。


「あたしはエルフの村で初等教育を終わった10歳の時に、王立学園の中等部に入ったのさ。高等部を卒業したのは15の時だった」

 ジルは来年高等部の最終学年、アンジーとフラニーは今年高等部に進学する。

 通常は7歳で初等部に、12歳で中等部、14歳で高等部に入り、卒業は17歳か18歳だ。

 初等部ではたいていの貴族や王族は、週に3回学園に通い、後は家庭教師に習う。そこで差が出て、多少の進み具合を見て、学年や卒業時期が早まったり遅くなったりする。

 庶民科ではもっと融通が利き、履修が早く終わればその分早く卒業できるが、逆も然りだ。


「あたしは庶民科だったからね。早く卒業した方だと思うよ」

 ビーはただただ驚いている。


「じゃあ、おばあさまは」

 ビーが問う。

「15歳でマナーを終わったの?」

「ばかをお言いでないよ」

 デーティアは手をひらひらと振った。

「庶民科ではまずマナーさ。マナーを修めないと貴族科と一緒になる講義に出られないからね」

 目を見開くビー。


「貴族はもっと早いよ。初等科に入学する前に一通りのマナーを覚えるのは基本だ。あんたは一応できるようだけどね、もっと身を入れないといけないね。冬の間に叩き込んであげるよ」

「あたしは魔女になるから…」

「要らないとは言わせないよ。あんたは王族だ。あたしと違って正式なね。その王女が魔女になるっていうなら、誰も反対できないほどの力をお見せ」


 ビーはまだ目をくりくりさせている。


「ま、一冬ここで暮らしてみるんだね。いつもの通り、食卓での無作法は許さないし、勉強も仕事もしてもらうよ」


 ビーはまだ、王宮を離れたこの森の冬の過酷さを知らない。

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