episode3 雨中の天体観測

 秋雨、というと聞こえはいいが、降られている側からすればただの雨だ。私たちは校庭掃除を終え、びしょ濡れになりながら生徒会室に入った。

「まったく、急に降ってきやがって。制服がびしょびしょだ」

 しーちゃんも陰鬱な表情でため息をつく。びしょ濡れのまま、あと2時間活動することを考えると、ため息をつきたくなる気持ちも分かる。

「そうだ。体育のジャージに着替えちまおう」

 そう言ってヒデくんは鞄から体育のジャージを引っ張り出す。それを見たしーちゃんは「私もそうしようかしら」とヒデくんの真似をした。当然、私も二人に倣う。

「俺はこっち向いとくから」

 紳士的なヒデくんは、そう言って本棚の前で着替えだす。それを見て、私としーちゃんは水を含んだセーラー服を脱ぐ。ちらとしーちゃんのほうを見ると、妙に胸が大きいように感じる。私はしーちゃんにコソコソと耳打ちした。

「しーちゃん、もしかしてパット入れてる?」

 しーちゃんは真っ赤になって、「しー」と人さし指を口に添える。どうやら胸が少し控えめなことを気にしているみたいだ。彼女は急いでジャージを羽織る。正直、パットなんかなくても彼女はスタイル抜群だ。ある意味でしーちゃんも「身の程を知るべし」なんじゃないだろうか? そう思いながら、私もジャージを羽織る。

「ん? なんだこれ?」

 ちょうどジャージのジッパーを締め終えたとき、ヒデくんが本棚のなにかを見て呟いた。

「どうしたの?」

 私としーちゃんが近寄ると、ヒデくんは一冊の古びたノートを見せてきた。私が表紙の文字を読む。

「2008年度天体部記録ノート、だって」

「どうやら十年以上前、ここは天体部の部室だったらしいな」

 天体部という言葉を聞いて、ロマンチストのしーちゃんが胸をときめかせる。

「天体部! 素敵じゃない。望遠鏡で星座を観察していたのかしら」

「そうみたいだよ。ほら」

 そう言って、ヒデくんはノートを開いて見せる。黄ばんだページには星座の名前とその模写が載っていた。日付を見るに毎日観察していたらしい。それに、ずいぶんと正確に描かれている。

「わあ、見てるだけでなんだか楽しくなってくるわね。機材があれば私たちも見れるかしら」

 さんざめく星々を想像して興奮するしーちゃん。その様子を微笑ましく思いながら、ヒデくんは肯いた。

「そうだろうね。観測場所も学校だし。……って、あれ? 天候が雨なのに観察が行われている日がある。どういうことだ?」

 ノートを覗き込むと、たしかに天候雨と書いておきながら、しっかりと星座が観測されている日がある。私は窓の外を眺めた。空を厚い雨雲が覆っている。これじゃあ星座は見えない。

「星座にミステリー、なんだかわくわくするわね。ちょっと考えてみない?」

 一等星のように目を輝かせるしーちゃん。こんなに活力みなぎる彼女も珍しい。ヒデくんと私は顔を見合わせ肯いた。

 かくして、秋雨降りしきる放課後に、古びた天体ノートを巡る、ロマンチックな推理が始まったのだ。


 私はタッタと走りホワイトボードを出してくる。黒ペンをカタカタ鳴らしながら振り、腕をうんと伸ばしながらホワイトボードの上の方にキューッと文字を書いていく。さて、本日の議題はこちら。


議題:なぜ雨の日に星座が観測できたのだろうか?


「言うまでもなく、まともに星座を見ようとしても、雨の日には一寸の光も見えない。つまり、特殊な方法で観測したんだな」

 特殊な方法。私が頭を悩ましていると、しーちゃんがビシッと手をあげる。

「インターネットを使ったんじゃないかしら。それなら雨の日でも観測は可能よ」

「インターネットってことは、パソコンで天体観測したってこと? そんなことできるの?」

 ヒデくんが首を傾げると、しーちゃんが大きく首を縦に振った。

「うん。別の地域の天文台や観測所のライブ映像なら、雨の日でも夜空を見ることができるわ」

「詳しいね」

「実は、私もよく見るの」

 どうやらただのロマンチストではなく、れっきとした天体好きらしい。どうりでこの話題に食いついてくるわけだ。

 ここでヒデくんは別の視点から考えてみようと試みる。

「このノートに書かれている天候雨というのは、本当に雨なのかな?」

 単純な私は、「雨って書いてあるから雨なんじゃないか」と思ってしまうのだが、しーちゃんは違うらしい。

「たしかに、驟雨とか、あるいは天気雨とかかもしれないわね」

「驟雨? 天気雨?」

 無知を晒す私に、親切なしーちゃんが優しく教えてくれる。

「驟雨はにわか雨のこと。天気雨は晴れなのに雨が降る珍しい状態のことよ」

 なるほど。天体に詳しいと気象の知識までつくのだろうか。私はしーちゃんの考えスラスラと書きながら感心する。

「つまり、雨が止んで空が晴れ渡ったところで、グラウンドなんかに出て、天体望遠鏡で星座を見たってわけか」

 たしかに、この部室からだと庇が邪魔で夜空が完全には見えない。観測場所はグラウンドのほうがいいだろう。そう思っていると、しーちゃんがポンと手を叩いた。私たちが彼女に注目する。

「考えられるのはそのくらいかしら。とりあえず、いま出ている説を検証してみましょう」


 ケトルに水を入れてスイッチをカチッと。よっこらせと棚からコーヒー豆をとろうとする。袋を開けると、中はなんと空っぽ。しまった、補充するのを忘れてた。やむを得ない。ここは安物のレギュラーコーヒーで誤魔化すか。粉をスプーンで三回すくい、セットしたペーパーフィルターに投入。二十秒粉を蒸らした後、お湯を注いできれいな円を描く。

「おっ、サンキュー」

「わあ、ありがとう」

 なんだか人を騙しているようで心が痛むが、満足してくれているようで少しホッとする。席につき、ニ、三度息を吹きかけた後、コーヒーを味わった。うん、意外といける。

 私たち三人はコーヒーを飲みながらホワイトボードを眺めた。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

議題:なぜ雨の日に星座が観測できたのだろうか?


説①:インターネットで天体観測をしていた

手段ーインターネット(パソコン?)

場所ー部室

説②:雨がすぐに止んだから観測可能だった

手段ー天体望遠鏡

場所ーグラウンド?

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「パソコンか、天体望遠鏡か……そうだ! 備品リストを見ればいいんだ」

 ヒデくんは一目散に本棚に駆けて行き、2008年度の各部活の備品リスト集を取り出してきた。天体部のページを開き、リストからパソコンと天体望遠鏡の文字を探す。しかし、聞こえたのはヒデくんのため息だった。

「だめだ。2008年当時、この部室にはパソコンどころか、天体望遠鏡もなかったらしい」

 しーちゃんもがっくり項垂れる。

「よく考えたら、2008年じゃICT教育はそんなに進んでないものね。ただの部室にコンピュータ機器はないか。それに、生徒がみんなスマホを持ってる時代でもないものね」

 なるほど、時代性というのは盲点だった。それにしても、天体望遠鏡までないとなると、天体部が本当に活動していたのかさえ怪しくなってくる。

「うーーーん」

 三人揃って険しい顔をしながら、大きな唸り声を上げた。


 しーちゃんが頭を働かせながらコーヒーをすする。ふと、なにかに気づいたような表情を見せた。ヒデくんが目を輝かせる。

「なにか分かったか!?」

 しかし、しーちゃんは少し言いにくそうにしながら、私にそっと訊ねた。

「書記ちゃん、今日のコーヒーって、もしかして市販のレギュラーコーヒー?」

 しーちゃんの舌は騙せなかったか。私はパチンと手を合わせて謝る。

「ごめん! 豆が切れてたの。おいしくなかったよね?」

 今にも土下座しそうな勢いの私を、しーちゃんとヒデくんが慌ててなだめる。

「いいのよ、そんな。むしろ今までが贅沢すぎたわ。コーヒー淹れてくれるだけでも、ものすっごくありがたいのよ」

「そうだよ。いつも雑用みたいに使わせちゃって本当にごめんな。今度は俺たちも書記ちゃんのためにコーヒー淹れるよ」

 なんて優しい人たち。涙が出そうだった。私が少しうるうるしていると、しーちゃんがもう一口コーヒーを飲んだ。

「うん、こっちも悪くないわ。人間都合がいい生き物だもの。安物でも偽物でも、案外気にしないものよ」

 そう言った瞬間、しーちゃんの瞳がぱっと開いた。口元に笑みを浮かべながらもう一口コーヒーを飲み、マグカップを静かに置くと「ふふ」と笑った。

「ヒデくん。今度こそ、分かったわよ」


「あっ! あったよ!」

 生徒会室の隣の物置部屋を漁っていた私たちはついに目的のものを発見した。ヒデくんとしーちゃんが私の元に駆け寄ってくる。

「ほんとだ。コイツで星座を見てたんだな」

「型は古いけど、思ったより立派ね」

 ヒデくんは「よいしょ」と「それ」を抱きかかえ、生徒会室に運び込む。私は先回りしてカーテンを閉め、延長コードを用意した。そして「それ」に接続し、スイッチON。生徒会室の無機質な天井に満天の星空が映し出された。

「わあ、きれいね」

「ああ、壮観だなぁ」

 私たちはプラネタリウムが映し出す星空を目を輝かせながら眺めた。

「まさか毎日これを見て、星座を模写していたとはな。天体部は天体観測部じゃなくて、どっちかというと天体研究部のほうだったんだな」

「これなら、雨の日も星座が見れるし、正確に星座の様子を模写することもできるわね。あっ、このボタンを押すと日付も変わるらしいわ」

 プラネタリウムに興奮気味の二人。映し出されているのは偽物の夜空だが、彼らが味わっている感動は本物だろう。特に、はしゃぎながらプラネタリウムを操作するしーちゃんの喜びは偽物であろうはずがない。

 そういえば、最近の私はなんだか二人におだてられいるような気がする。もちろん二人にはそんな気はないのだろうが、結果的に、運であげた戦果を実力で手にしたものと勘違いして褒めているように感じる。

 でも、と私は思いながら、二杯目のコーヒーを口に含んだ。うん、悪くない。しーちゃんも言ってたじゃないか。人間は都合のいい生き物なのだ。「身の程を知るべし」。偽物の夜空の下で楽しむ時間も、運で貰った称賛も、私たちにとっては大事な財産なのだ。


 式春香。通称「書記ちゃん」。モットーは「身の丈

程を知るべし」。依頼者と探偵の影に隠れ、ささやかな活躍をする地味な女の子。正直で素直な彼女は、人知れず密かに、偽物の蜜の味を愉しんでいたのだった。


 



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