第三十三話『本能寺の変』

 突如、境内の四方八方から消魂けたたましい銃声が轟く。

 ――!!

「何事じゃ! 敵襲か――」


「いえ、甲賀こうか忍の百雷銃ひゃくらいじゅう(爆竹)ございます。大量の火縄銃の音を模しておるのです。ん……、煙の回りが速い――、急ぎましょう!!」


「何が起きておる!?」


「話は後で――! 仕掛けた火薬がもうじき爆発します!」

言うが早いか鳳蝶あげはとこの間の地袋じぶくろを押すと隠し扉が開き、二人は寝そべり転がり込む。狭い隠し部屋の床をめくれば、地下に続く梯子はしご――。

信長を先に降ろした鳳蝶あげはは、目にも留まらぬ早業でからくりを元に戻し、梯子はしごを使わず飛び降りた。


「さあ、どうぞ。こちらにございます」

鳳蝶あげはは信長の手を引き、真っ暗な地下通路を全速力で駆け抜ける。

「見えておるのか?」


「お任せくださりませ。灯火目付とうかめつけの鍛錬を積み夜目よめは利きます。まして京の地下道――しかと心得ております」


 暗闇の中、信長は鳳蝶あげはと繋いだ手だけを頼りに突き進む。何の目的で何処へ向かうのかも分からぬまま……。


 鳳蝶あげはを――、愛しき吾子あこを、守らなければと想えば想う程、大切にする方法を見失っていった。いつからか、もう今更だと逃げていた。だが彼は、そんな父親を助けに来たのだ。信長は今、守られているのだ。

鳳蝶あげははもう、守ってやるべき存在ではない――。


 立派な甲賀忍となった手を、信長は固く握り返す。

大きな掌へ、喜びよりも寂しさを感じてしまう身勝手に嫌悪――。

何もしてやれなかった後悔が目頭に押し寄せ、閉じたままの瞳から露泪を吹き散らし走った……。


 ◇


 地上に出ると、用意された馬で大津まで急ぐ。信長は華麗な手綱さばきで疾駆。自分の馬でないにもかかわらず、ほとばしる神気により瞬く間に手懐けた。

美しい騎乗姿勢で馬と一体となり光芒を放つ父の背中。時折、慈愛に満ちた表情で振り返る父の眼差しに見惚れる。母や伝五でんごから聞いていた通りの益荒男ますらお振りに動魄どうはく――。

そこはかとない魔力に魅了され集中を乱す程に、鳳蝶あげはの胸は跳ねた。


 琵琶湖を船で渡り切ると、また馬に乗り換え敦賀つるがまで(福井)走る。

そしてようやく日本海に浮かぶ南蛮船の上に、光秀の姿を見つけた。


「光秀――、お主を信じて此処まで遣って来たぞ! これはどういう事じゃ」


「かたじけのう存じまする。お話しは中で――」


「では、私は是にて」

鳳蝶あげはから、無機質な別れの言葉。

息子との時間がずっと続くと思っていた訳でもないが、何故だか――、このまま側に居てくれるような気になっていた。


鳳蝶あげは――。

 ………………。

 愛していた――!

 ――ずっと、お前を想う……」

信長は目の高さ程に大きくなった子を、しっかりと抱きすくめる。

鳳蝶あげはも偉大な父の背に、グッと腕を回した。


「父上……! どうぞ御達者で――」

伝五でんご左馬助さまのすけ利三としみつ、そして宣教師バテレン助修士イルマンに父を託し、鳳蝶あげはは颯爽と去って行く。

敢えて、振り返らぬ事を心に決めて……。


 ◇


 ―南蛮船内 日本海南下中―


「自害ですか……」

「…………」

少し不機嫌そうな光秀に、たじろぐ信長。


「いつからこの計略を――?」

「…………」

比叡山ひえいざんへの焼き討ちを決断した時から……ですね」


「――! 気付いておったか……」


「恥ずかしながら、私は何も。

ただ、帰蝶きちょう様が――」


 ◇


 ―二週間前、安土城―


「光秀、饗応きょうおう役を(接待) 解かれたと聞きましたが――」

帰蝶は帰り支度をする光秀を呼び止め、奥へ通した。


「秀吉殿から援軍要請が。準備の為、城へ戻ります」


「その傷……」


「信長様が足蹴に」

光秀は頬の傷を人差し指で触りながら、意味ありげに笑う。


「まだ続けておられるとは。其方そなたおとしめようとした者の正体は掴めぬままですか?」


「信長様と芝居を打ちましたら、すぐに。皆は信長様と私の不仲を、家臣団の結束の危機だと感じ、取り成して参りました。

しかし唯一、逆の動きをした者が。――秀吉殿です」


「やはり。そんな事だろうと思いました」


「ただ彼は西国さいこくにおるゆえ、実際代わりに動いておったのは、正室の寧々ねね殿――。

今日も腐った魚に取り替える姿を甲賀の忍が見ております。家康殿の饗応きょうおう役を(接待)仰せつかった私の評判を落としたいのでしょう。他にも様々……。今はまだ、気付かぬ振りを」


「そうでしたか。……私は、ここの所ずっと、何やら胸騒ぎがするのです……」


「秀吉殿なら大丈夫です。信長様の御命を狙うような事は決して――。私が邪魔なだけで」


「しかし、信長様のご様子がおかしいのです……。先程も、珍しく丁寧なご挨拶を。これまでの感謝と謝罪まで述べられ、もう二度と会えぬような……。鳳蝶あげはを信長様の見張りに付けようかと――。光秀も、宜しく御頼み申します」


 ◇


「丁寧な挨拶か――。そのような事で気付かれてしまうとは……。

比叡山を焼き討ち、“第六天魔王となった信長”が、全ての恨み憎しみ怒りの矛先となり、神罰仏罰により本能寺にて命を落とす――。

そして千年の歪みに揺れるこの天下は、神、仏、天皇を敬う世をようやく取り戻し、清い心が麒麟を呼ぶのじゃ。わしの死を以て、この譚詩たんしは完成する!」


「そのように見栄えの良い黒天鵞絨黒ビロード陣羽織マントに身を包み? 美し過ぎる落命に誰が “天誅てんちゅう下りけり”と思いましょう。

もっと無様に死ななくては。麒麟の尻尾すらも掴めませぬ! 恐れながら、信長様のご寵愛を一身に受ける殿方とは――」


 信長は上がりそうな口角を下げ、努めてぶっきら棒に答える。

「言わせるか――。光秀……お前じゃ」


「では私が、“第六天魔王 信長”を葬り去りましょう――」





“本能寺の変”には『黒幕』がいた――。

この作品は史実を基にしたフィクションであり、作者の妄想が多分に含まれます。何卒ご容赦頂けますと幸いです。

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