第二十八話『翳る余徳の眩耀』

「こちらへ寝返った武田の家臣は、ことごとく断首せよ! たとえ『先刻、信忠にゆるされた』と申してもじゃ!」

激しく気霜きじもを吐く信長に従い、後陣の信長軍は英姿颯爽と進む。裏切りを繰り返しかねない立場ある者を、迷いなく斬り伏せながら。


 本陣の信忠らは、疾風の如く進撃――。

勝頼が迎え撃つ新府しんぷ城の、目前に迫る。

しかし、木曾谷敗退による布陣の乱れを立て直せぬままの新府城では、信忠の勢いに恐れをなした家臣が相次いで離反。

多大なる労を尽くし、不信を招いてまで起工した未完の城から、城兵らも我先にと逃亡した。


 城を獲られる事は避けられぬとなると、大勢の人質を閉じ込めたまま、勝頼自ら火を放つ。

悔しさを滲ませながらも、一度も抗戦に使われる事なく燃えゆく牙城から、二百人の兵と共に撤退――。


 そして屈指の重臣である大叔父の城へ逃げ場を求めるも、予期せぬ開城拒否と発砲に遭い、ただいたずらに犠牲者を増やした。


「父上、やはり私には荷が重過ぎました――」

勝頼は天を仰ぎ、涙をこらえる。


 彼は生まれながらにして、信玄に翻弄される人生の上にいた――。


 ◇


 甲斐かい(山梨)隣国 信濃しなの(長野)奪取を目論む若かりし信玄は、信濃の領主である諏訪すわ氏の娘を側室に迎え入れる。

そして勝頼が生まれると、彼を覇権争いに利用した。


 信玄の正室は難産の末、お腹の子と共に死去。継室(正式な後妻)には、京の公家の中でも家格の高い三条家の娘が入っていた。


 勝頼が生まれた折、三条のかたは信玄を伴い御祝いへ。そして夫の瞳をじっと見つめ、「諏訪の血には、貴方様の“信”の字は与えてくださるな……」と、透き通った声で乞い、美しく微笑む。

諏訪の方は余りの恐ろしさと冷たさに震えたが、信玄の目からすれば、麗しき三条の方の佇まいは、陽だまりのように温かく穏やかに見えた。


 十余年が経ち、信玄は諏訪家の権力を掌握する為、勝頼を養嗣子ようししに出して元服させ、其の家督を継がせた。

全てが彼の思い通りに動き始めた矢先――。

三条の方との長男が宿敵 今川に付き、父である信玄に謀反を起こしたため廃嫡。

嫡男を失った信玄は、後継者に悩む。


「次男は盲目で出家、三男は夭逝ようせいしておる。他の弟らもまだ小さい。

もし万が一わしの身に何かあれば、家督は勝頼に譲る」と、養嗣子に出した勝頼を指名。


 ゆえに信玄の病死に伴い武田姓に復した勝頼だが、急に当主に担ぎ上げられても上手く立ち回れる訳もなく……。

家臣からは余所者扱いを受け、冷遇された。

正室の子は勿論の事、他の側室 油川あぶらかわ夫人の子 盛信もりのぶらとも、強く結び付く事が出来ない。


 それでも……、長篠の戦いで信長に大敗しても尚、武田家を守るために奮闘してきたのだ。


 ◇


「だが、もう全て終わりだ――」

八方塞がりの勝頼は敗戦を悟り、天目山てんもくざんにある先祖の墓を死に場所として目指す。

しかし武田に反感を抱く領地の農民が、敵方であるはずの信忠軍を案内。不運にも猛追に遭う。


 すると、最後の家臣――わずか四十三名が、血気はやる大軍に立ちはだかった。


「勝頼様の、武士としての名誉を守れ――!!」


「行かせてたまるか!」


「勝頼様、我々が時間を稼ぎます! 急ぎ、天目山へ!!」


 勝頼の為にと家臣らは、狭い崖道を封鎖し信忠軍に奮戦――。

崖下へ転落しそうな足場で、藤蔓ふじづるを掴み片手で刀を振るう。崖から突き落とされた兵の血汐ちしおで、川は赤く染まった。


 彼らの働きにより、勝頼は討ち取られることなく自刃――。

そして主君の自害を心で見届けたのち、四十三名の家臣は、一人残らず戦死を遂げた。


 血と涙にまみれた凄惨な戦場で、若い信忠軍は大いに勝鬨かちどきを上げるのだった――。





“本能寺の変”には『黒幕』がいた――。

この作品は史実を基にしたフィクションであり、作者の妄想が多分に含まれます。何卒ご容赦頂けますと幸いです。

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