第3話「この後、何か予定はあるか?」

 四限目、五十八歳の名物数学教師の授業を終えた。


 あの先生、教える力は凄いんだろうが、世界観があまりにも独特すぎる。

 解の公式の歌だかマックスミニマムのマーチだかよくわからない歌を作ったり、三乗の展開公式で黒板をぶん殴り始めたり…

 正直面白すぎてまともに聞いてられない。


 いや、なぜか数学の点数は右肩上がりなのだが。


 昼休みに入ったので弁当を食べようと、机の横にかけてある通学用バッグの中身を漁り出すのだが、途中で自分が弁当を忘れていたことに気づく。

  

 ふむ、昼食が取れないなら勉強するか。


 そう考えた俺は数学の問題集を手に取り席を立血、教室から出て歩き出す。

 目的地は図書館だ。


 多くの学校と同じように、この学校では図書館が常に開放されている。


 私立高校だけあって馬鹿みたいに広く、そして大量の本が眠っている。図書委員が熱心なのか、ジャンルも様々で、外国の文芸やエッセイ、伝記にライトノベル、挙句漫画の単行本まで。


 総冊数は驚異の四十二万冊。


 そんな規模なので、当然座席もかなり多く、埋まるなんてことがない。その上相当静かだ。


 もちろん図書の中には参考書なども大量にあるため、勉強するには困らない。


 …と、着いたな。


 図書館の扉を開いたその時、ちょうど中から出てきた人と相対した。


「っ、すみません」

「いえ、お気になさらず…って、汐じゃないか!」


 そこにいたのは、借りたと思われる本を二冊ほど抱えた荒木だった。


「荒木か。…お前四限が終わった途端に瞬間移動でもしたのか?」


 知り合いだったので、動きに詰まってお互いなんとなく気まずくなることがなかったのは良かった。


 しかし、おかげで冴えた頭で考えてみると、割と最速でここまできたはずの俺より早く図書館内から荒木が出てくるのは辻褄が合わない。


 荒木はつい先ほどまで俺と同じ教室で数学の授業を受けていたはずだし、数学の授業で使った教室は教室に関して図書館と対称的な位置にある。


「ふっふっふ、バレてしまったからには生かしておけんな」

「な、なんだと…」

「…冗談はさておき、生徒会の用事で司書の方と話していてな。四限目は途中から抜けていたのだ」

「そうだったのか。まるで気づかなかった」

「まあ、授業に使う教室も無駄に広いしな」


 無駄って言うのも生徒会長としてどうなのだろうかとは一瞬考えたが、別に荒木が授業の教室割りなんて考えているわけではないので、思考の海に廃棄しておく。


 それにしても、こいつも冗談には乗ってくるんだな。


 今まで本当に対して関わっていないことを再確認した。


「それで、ついでに二冊本を借りてきたわけだ。汐はどうして図書館に?」


 そう荒木は俺に質問するが、俺が答えるより前に手に持った数学の問題集と筆記具に気づいたらしい。


「…いや、問題集に筆記用具なんて持っているのだから、自習か」

「正解だ。ちなみに、君は何の本を借りたんだ?」

「えっ!?い、いや、大したものではないさ。それじゃあ私は生徒会の仕事も残っているのでこの辺で」

「あ、ああ…」


 やけに慌ててるように見えたが、どうしたのだろうか。

 

 …そういえば、昨日のことをすっかり忘れていた。

 思い出してみると、ついさっきまで平然と一緒に話していた美少女があれだけ自分に甘えていたと言うのが到底信じられない。


 もしかしたら、荒木が突然慌てだしたのは昨日のことを思い出したからなのかもしれない。まあ考えてもわからないのだが。


 生産性のないことを考えるのはやめて、図書館内の椅子に座る。


 ちなみに、昨日の夜荒木から早速学習の方法を聞かせてもらった。


 一度学習する範囲の問題を一通り解いてみて、解けなかった箇所をもう一周。さらに間違えた問題をもう一週と、定着に重きを置いた勉強法だ。


 特に斬新と言うわけでもなかったが、その方法が効率よく確実に勉強できることはわかったので収穫はあっただろう。俺は文系なので、理系科目は効率的に、最短で勉強したいので取り入れたいと思う。


 ということで勉強の時間だ。




 ◆




 六限目が終わり、放課後。俺は特に部活に入っているわけでもないので、すぐに下校することになる。

 これが定期考査前などになれば教室や先ほど行った図書館に残って勉強することもあるのだが、中間テストも終わった今、それほど焦ることはない。


「あの、汐」

 

 荷物をまとめて教室から出ようとすると、不意に後ろから少し不安げで、かつ綺麗な声で話しかけられる。

 俺は振り向いて答えた。


「どうした荒木」


 そこにあった荒木の顔は、まだ暑いと言うわけでもないのに頬が上気していた。

 さらに、そんな顔で見上げるように見つめられるものだから、どうしても昨日の出来事を思い出してしまう。


「この後、何か予定はあるか?」

「いや、ないが」

「だったら…」


 もしや、また甘えられるのだろうか。


「だったら、一緒に帰らないか?」

「え、ああ。と言っても、俺はすぐそこのバス停までだぞ?」


 甘えられかと期待…いや、予想したが、それは見事に外れた。

 代わりに頼まれたのは一緒に帰ろうと言うものだが、俺はすぐバスに乗るので一緒もクソもないような気がする。


「ええと、私は朝が早いから見かけることはないかもしれないが、私もあそこのバスには乗るんだ」

「そうだったのか。そういうことなら是非」

「…!ありがとう!」


 荒木が不安げだった表情を一転させてパアッと満面の笑みを浮かべるものだから、つられて俺まで笑顔になってしまう。


 斯くして、荒木と一緒に下校することになった。


 …そういえば、荒木がよく言われてる「完璧」ってイメージがあまり浮かばないな。



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