第2話 推し活
「ナオさん、どうしたの?」
足を止めたナオの手を一平は引っ張る。
格子戸の開き戸を開け、手慣れた様子で一平は入って行く。
足を踏み込んだ先は仄暗く怪しかった。
「あら、いらっしゃいませ」
和服姿の女性がにこやかに出迎えてくれた。
靴を脱がずにすんでナオはホッとした。
「すぐにお席ご用意しますね」
案内された席は、鉄板を囲んだカウンター席だった。
何だ、食事処やない。ナオは1人青くなったり、赤くなったりした。
間接照明で手元だけが明るい。
「ナオさん、個室の方が良かった? 予約しないで来たから」
「ううん、ここがいい」
「お任せでいいかな?」
「うん」
「飲み物は、ぼくは車だから飲めないけど、ナオさんはワインでも頼む?」
「うち、飲まれへんからお水にする」
すると、いつからそこにいたのかさっきの和服の女性が訊いた。
「お水は冷たいの、常温のをお持ちしますか?」
「常温でお願いします」
「じゃあ、ぼくも同じのを」
「上着をお預かりします」
一平のスーツの上着の右肩が雨に濡れていた。
ナオは自分がひとつも濡れていないことに驚き、少し胸がキュンとした。
「ナオさん、どうして入り口で佇んでいたんですか」
ナオは小さな声で話した。
アッハハハ
水を運んで来た女性が言った。
「一平さん、今日は随分と楽しそうね」
「だって、ママ、ここを連れ込み旅館と思ったそうだよ」
「あら、まあ」
「ごめんなさい」
ナオは頭を下げ素直に謝った。
「でも、そう見えないこともないわね。ビルの谷間に古びた家屋。古民家風と言うのが売りだったんだけど、あちこちガタがきて、人間も建物も古くなるとだめねえ。あら、長話しちゃって、どうぞごゆっくり」
「一平さん、何も言わんかて」
「だって、こんな楽しいこと。もし、連れ込みだったとして一緒に来てくれたんだから」
「そのときはダッシュで逃げるつもりやった」
一平はカウンターの上で長い指を組み、いかにも楽しそうに笑っている。
「お肉、焼けました」
鉄板の前のシェフが声をかけた。
「どう?」
「わあ、むちゃ美味しい。柔らこうて歯がいらん」
「それでお年寄りのお客さんが多いんだ}
「シイッー、やけどお忍びで来る所みたい」
「まだ、言ってる」
「政府高官が密談をしにとか」
「ハハハ、何の密談する。それよりさっきのクリアファイルのどの子がいいの? ナオさんの推しは8人のうちの誰?」
「全部」
「えっ、全部。浮気者だなあ」
「だってえ、じゃあ、一平さんはララとリリとルル、どの子が一番可愛い?」
「難しいなあ」
「でしょ」
鉄板の向こう側から声がした。
「このあとガーリックライスになりますが、よろしいでしょうか?」
「ニンニク」
呟くナオに一平が訊いた。
「このあと誰かとキスでもする予定あるの?」
「もう」
ナオは一平をぶつ真似をした。
ぶたれてもいないのに一平は腕を摩った。
「ニンニク好きやけど、夜眠れんようになるの」
「それって、ぼくのこと誘ってる? 今晩、うちに泊まって行く?」
また、ナオはぶつ真似をした。
「それでは黒ニンニクでお作りしましょう」
そう言ってシェフは鉄板の上で調理を始めた。
「一平さん何見てるん?」
「ナオさん、アップにした横顔も可愛いなあと思って」
「雨の日は髪の毛うっとおしいから上げとくねん」
「あの日も、アップで眼鏡かけてズキュンとやられちゃった」
「そう言えば、あの詐欺事件、進展はあったん?」
「裁判で情状酌量嘆願の証人になってもいいかなと思ったけど、余罪がありすぎて無理みたいなんだ」
「お待たせしました」
「うわー、いい匂い」
「ほんま、お腹大きいて思うてたけど、まだ入る」
香り高いコーヒーを飲み終えた頃、ママさんがテーブルに会計に来て一平はサインした。
ナオが慌てて財布を取り出すと、
「ここは親父のつけがきくから大丈夫。ナオさんにご馳走してあげてと言われているんだ」
「えー申し訳ない。よくお礼申し上げといて」
乾かした折りたたみ傘がたたまれて渡された。
一平の上着も乾かしてあった。
「まあ、ありがとうがざいます」
「こちらこそありがとうございます。またのお越しをお待ち申しております」
ママさんに見送られ、ナオは歩き出した。
「ナオさん、どこ行くの? そっちは反対の方角」
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