壬生・新選組 近藤の虎徹

東方 文明 Tohbow Fumiaki

第1話 鴻池の虎徹


「どうも船というものは、好きになれない」

船に揺られながら心で思っていたが、口には出さない。

まがりなりにも新選組局長として、物事の好き嫌いの発言は好ましくない気がしているからだ。

 自分は生まれも育ちも多摩の山の中。船に乗るということは今までなかった。ゆえにみんなが喜ぶ「揺られる」楽しさが理解できない。その上、船頭にすべてを任せて、座って到着を待つしかないこの状況は、なんか手持無沙汰というか、居心地が悪くて仕方ない。

 その上、操舵が下手くそな船頭に当たった時など、ひどい船酔いも経験させられて、嫌いになる要因が多いのも、拙者が船を好きになれない理由かも知れぬ。


「近藤局長。船というのは暇ですな。寝ているのも疲れもうした」

 前に座る4か月前に入った新人隊士・尾形が振り返り、ため息まじりにいう。どうやら拙者と同じ、船があまり好きじゃないようだ。

「尾形。船というのはそういうものだ。大阪に着いたときにすぐに働けるように、船内にて体を休めて英気を養うことが、立派なお勤めなのだ。心して寝ろ」

 隣に座る2か月前に入って来た武田が諭すように言う。言われた尾形はまたかという感じで目をそらした。

 何度も武田の発言を聞いてきたが、どうもこの男は説教が好きなようだ。年齢が行ってることもあるが、厳しい教育を受けて、上下関係に厳しい性質の男のようだ。

「まあ尾形。もう少しの辛抱だ。それまで『くらわんか』から団子でも取って食べていろ」

 と、懐から路銀の入った巾着を尾形に差し出す。

『食らわんか』というのは、こちらの三十石船にすり寄って来る食べ物を運ぶ商売小舟・『くらわんか船』のことで、酒や食べ物を差し出して、こちらに買わせる。こちらに並走して、船内の拙者たちのやり取りを見て、女たちが手に持った団子を差し出し、「食らわんか」と言ってくる。

「いらん、いらん。そんな高いもの食えるか。・・・局長ありがとうございます。お心だけで結構です」

 そういうと尾形は、差し出されたものに手を振り、そして「うせろ」と女たちを追いやる。

 くらわんか船の食べ物は高い。陸の2倍の値段の団子である。しかし押し込められた船内でやることがなく、それで腹がへったら食べるだろう。やはり大阪だ。なんでも商売にする。やりかたがうまいと思う。

「よし、くらわんか船が、溢れてきたな。と、なると大阪は近いな」



 京都から大阪まで、歩いて五刻(約10時間)、1日がかりのの行程だが、船で下ると三刻(6時間)しかかからず、京都に住む人間にとって大阪行きで船を使うのは当たり前の移動手段である。急ぎであれば陸路を馬でかければ、もっと早く到達できるが、馬の手配の賃金がべらぼうにかかる。一応、隊でも馬は持っているが、お勤めでもないのに馬は贅沢というもの。ゆえにあまり気が進まないが船に乗った。

「武田、尾形。今回はお勤めじゃないから、付いてこなくてもよいのに」

「そうは行きません。先月、芹沢局長が凶刃に倒れたばかり、もしも近藤局長に何かあったら新選組は崩壊いたしますぞ」

 そういうと武田は、隣に控える自分は、近藤の用心棒であると胸を張る。


 先月9月18日、芹沢が長州の間者に襲われ絶命し、そのため壬生浪士組は解散となった。しかし京都警護は必要なため、解散した集団に、新たに会津藩より「新選組」という名前を賜った。

 壬生浪士組は松平容保様の預かりだったため、浪士であったが、会津藩の預かりの新選組は無論、侍である。禄が会津藩からでる新選組という隊である。

 そして先代・壬生浪士組から唯一引きづく局長であったため、拙者・近藤勇が、その新選組の局長に任命されたのだ。。

「近藤局長。どうして大阪に?」

「大阪から鴻池からの文が届いた。ぜひとも近藤先生においでいただきたい用件があるという連絡だ」

 尾形の問いに答えると、

「新選組が出来たばかりでこの忙しい時に呼び出しなんて、なんなのだ?」

武田がまた愚痴る。

「ぜひにと、言ってきているのだから悪い話じゃあるまい。なんせ鴻池はこちらに金を貸してくれている大事なお得意様だからな。行かないわけにいかない」

「いくら大店とはいえ商人だ。こちら曲りなりにも会津藩預かりの新選組。その局長を呼び出すなんて無礼である。そっちがこっちに来るのが順当だろう」

「でもわざわざ飛脚をよこすことだから、なにか緊急の用事なのですよ。武田さん」

 尾形が、武田の気持ちをなだめてくれる。


 侍というと禄と共に何人扶持という待遇がつく。いくら侍といえ、さすがに預かりの身分で扶持とは言えないが、この尾形や武田が『新選組局長・近藤勇』の箔をつけるため、随時、拙者に寄り添う「近藤付き」となっていて、お勤めに関して随時同行するようになっていた。

 いままでも近藤つきはいた。主(あるじ)がいて小姓がいる。それは局長とか幹部にとって当然必要な人間なので付き人はいたが、今まで若い隊士ばかりだった。新選組となり、拙者より年上の武田が同行し、付き人的なことしして、こちらにかしずくと、なにか、こそばゆい。

「そう大店の店主だぞ。そう簡単に京に出向くことができまいて。・・・そうら、もうすぐ八軒屋に着くぞ。下船の準備だ」

 そういうと、座って固まった足の延ばそうと立ち上がる。しかしちょうどそこで船が揺れ、うっかり態勢を崩し、武田の太ももに尻もちをついてしまった。

「大丈夫ですか局長。お怪我は?」

 大げさに声をあげる武田に抱きかかえられて

「失敬、失敬」

 座ってしまった武田の太ももから尻をずらし、また船に座わる。

「まだ早かったようだ」と照れて笑うと、それを見て

「そうですね」と尾形も愛想笑いを返す。

 しかし男の太ももなどはめったに触らないから、尻もちとはいえ武田の太もももに座るとは、変なもんだ。そしてそのぬくもりが、なんか気持ちよかった。

男色ではない。拙者は断じて男色はないが、・・・ぬくもりを思い出して、また笑ってしまった。

「どうしました局長?」

「いやなんでもない。なんでもないぞ。尾形」





 大阪の八軒屋船着き場から、堂島川を下がり、中ノ島の土佐堀川の脇、両替商・鴻池につく。

 大阪の鴻池善右衛門は、誰もが知る有名な両替商で、大阪で一、ニを争う大店である。

 鴻池とは壬生浪士組が出来たばかりの時からの関りで、先代の筆頭局長・芹沢による法外の金銭の借金の申し込みをむげに断らず、少なからず受けてくれた大事なタニマチの一つ。その当主・鴻池善右衛門10代目の当主・幸富が、わざわざ飛脚を使って直々の誘いを寄越した。これは断るわけにいかない。すぐさま伏見の船着場から、大阪行きの船に乗った次第だ。


 店に着くと店先にいた手代がニコニコと微笑みながら、揉み手をして愛想を振りまき、挨拶してくる。

「どうも近藤先生、お待ちしておりました。当主の善右衛門も奥におります。どうぞ奥へ。奥へ」

「ああ、すまぬな」

 店に入ると三つ指ついて番頭が待っており、武田と尾形を酒と食事を用意したくつろぎための部屋に案内する。そして拙者一人を奥の当主の部屋に連れて行く。

奥座敷にいた鴻池もこちらを見つけ、戸口まで来て、にこやかに出迎えてくれた。

「これはこれは近藤様。どうぞ奥へ」

上座に導かれて、座らされた。


「この度は新選組。局長ご就任おめでとうございます」

 頭を下げる善右衛門。

「これはご丁寧に、挨拶、いたみいる」

「これで近藤様の新選組は、守護職見回り隊と同格。誠に嬉しい限りです。これからもこの鴻池善右衛門、よろしくご贔屓にお願いします」

「まだ新選組は始まったばかり、新参者でござる。こちらこそ、色々と迷惑をかけると思う。よろしく頼む」

 なるほど、新選組拝命の祝いか。ありがたい。頭を下げた。

「・・・それで近藤様、今回はお呼びしたのは、これでございます」

 鴻池は自分の後ろに置いた、錦の袋に包まれた長いものを、こちらの前に出して置いた。

「これは、刀かな?」

「左様で、これから活躍される近藤様にぜひともこれをお使いいただきたいと手に入れたものでして」

 と、ぐいと突き出し、にこにこと微笑んでいる鴻池。

就任祝いの贈り物か。・・・しかしこの刀・・・

「拝見します」

 紐を解き、中の刀を出してみる。

その刀は赤く着色された鮫皮の柄に黒い真田紐でくくられ、暗い緑色の鞘に金の漆の雫がら模様。取り付けられた装飾具には、金の彫金が着き、明らかに大名刀の装飾が施されている拵え。

 右手を柄にし、左手で鞘を掴み、鞘を抜くようにして刀身を出す。

刃渡りは二尺5寸(75センチ)長めなものだ。反りは弱めだが、打ち込んでも折れたりしない強さを感じる。

「これは・・・」

 姿を見た時からわかったが、掴むと刀芯が太く大きい。「やはり」と実感する。

懐から紙を出し、その上に乗せ、動かす。

周りの明かりを反射して刃文が見える。

 太く大き目な刃渡りが、添えた左手の紙の上を滑って輝く。その時、現れる刃文は・・・

「数珠刃・・・虎徹・・・」

 刀の向こうで鴻池が嬉しそうに笑っている。


「先日、ある大名の支払期限が来まして、返済のための蔵の整理を任されまして、その目録の中に虎徹があり、その処分もこちらが受け持ちました」

 鴻池は両替商であるが、儲けの金銀を店に留め置かず、大名や藩に貸し出し、その利息を得る金貸し業務も行っていた。無論、貸出相手の返済によっては、その相手の財産処分や買取などの、処理業務も含まれているようだ。

「虎徹といえば近藤様。もうお持ちとお聞きしておりますが、名刀なら何振りも所有してもいいものです。真贋はつかぬが虎徹となれば、とりあえずこれは逃してはいかぬと留め置き、こちらに回した次第でございます。ぜひとも近藤様に手に取ってもらい、確認をしていただこうと思いまして」」

 嬉しそうに微笑む鴻池。

そう虎徹はある。今、拙者の横に置いてある刀はまさしく虎徹。しかし拙者はあまり刀に詳しくなく、自分の持つ虎徹の真贋の判別さえついていない。

 しかし虎徹にはいくつかの際立つ特徴を持っている。偽の虎徹はいくつもあるが、その中で一番の判断材料というは、刃文に現れる互の目。その中の数珠刃。

数珠刃というは、刃文に現れる独特な形で、優れた刀匠にしか出せないと言われている刃文。虎徹において、長曾根興里ならではの刃文として有名なものだ。

 それがこの刀にある。これならいくら詳しくない自分でも見分ける。これは間違いなく虎徹だろう。それも初代・興里。二代目・興正ではなく初代興里入道。数珠刃を持つ、誰もが探している虎徹だろう。

「眼福させていただきました。大業物。最上だと思います」

「気に入りましたか?」

「初代虎徹ですね。とても素晴らしいものです」

「ならば、どうぞ。お納めください」

「この虎徹を?」

 数珠刃のある本物の初代虎徹。銘は見てないが斬れると評判のハコトラであったなら、たとえそれが千両と言われても、買い求める人間がいるだろう

「局長たるもの刀にこだわるもの。虎徹好きな近藤様なら何本あってもいいですよね?お祝いでございます。どうぞお収めください」

いささか面食らった。ふうーとため息をつき、まったく名残惜しいが鞘に納め、鴻池に戻す。

「この虎徹は大名刀、これほどの物は、拙者には手が出ません」

 前にある虎徹を再び押しやる。

「いえいえ、お金はいただきません。これは是非とも近藤様に貰って欲しいのでございます」

 鴻池はなおも拙者に押し返し、勧める、

「しかしこれは大名刀だ。いくら祝いとしても・・・この虎徹を、おいそれ貰うなどとは身分が違いすぎる。いいものを見せてもらった。それで十分だ」

 そこで改まって鴻池が、拙者を見つめる。

「この虎徹をもらうと言うことは大名と同じですよね?・・・・近藤様は新選組局長ですが、これでもう終わりになるつもりですか?」

「・・・・・・」

「私め鴻池としては、近藤様には大名刀をお持ちになり、ゆくゆくは大名になって頂きたいと考えているのでございます」

「・・・」

 真剣な表情の鴻池を見て、言葉が詰まった。


『大名になる』昔、山南や土方に、「国を持つ」という冗談とも本気ともとれるような事を言ったことを思い出した。

 忘れていた。拙者は名前を残したいと思い京に来たのだ。拙者は出世するために京で戦っているのだ。

「新選組の局長になり、その近藤様といえば虎徹。そう皆の衆も知り始めています。・・・・この虎徹、気に入って頂けたならお腰に添えてもらえれば、鴻池の喜びであります」。

 鴻池に座ったまま深々と頭を下げる。

拙者は、まだまだ上を目指すつもりだが・・・・しかし何を目指すかは具体的に考えてはいなかった。鴻池は「大名を目指せ」という。

 大名になるそれは「国を持つ」こと。一国一城の主になること。

目の前にある大名の拵えの虎徹を見る。確かに大名が持つのにふさわしい。

・・・ならばこれは、もしかすると自分が大名になるために、この手に回って来たのかも知れないと思えて来た。

 と、なると腹は決まった。

「かたじけない。ありがたく頂戴いたします。」

丁寧なお辞儀をして、虎徹を受け取り、立ち上がり腰にさす。

 頷く鴻池。

拙者の中に何かが動くのがわかった。体や心の中に幾つも存在している熱くドロドロとしたものが、溶け出し固まりだし、一つの形を作り始めているようだった。


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